平松洋子『あじフライを有楽町で』

6月13日(火)雨が降ったりやんだり

 平松洋子『あじフライを有楽町で』(文春文庫)を読み終える。『週刊文春』2013年5月2・9日号から2014年12月25日号まで82回にわたって連載された食べ物エッセーをまとめたもので、文庫オリジナルというのがうれしい。

 著者の友人である詩人の穂村弘さんによると、「平松洋子と言えば知識、実践の両面から食を極めた人である」(36ページ)。知識にもいろいろあり、実践にもいろいろあるということがこのエッセー集を読めばわかる。読む側の食べ物に対する知識、実践にもいろいろなものがある訳で、それがうまく重なったり、重なるだけでなく、著者の方が上を言っていることが文句なしに確認できるような箇所があると、読んでよかったと実感できるわけである。

 「あとがき」で、平松さんは「あじフライと有楽町は、なぜかぴったりだ」(296ページ)という。表題にもなっている「あじフライを有楽町で」は有楽町駅の近くの交通会館の地下1階の定食屋「キッチン大正軒」のあじフライ中心のメニューを紹介している:
「この店の基本、それはあじフライ。たとえば――
 ミックスA定食(メンチ、あじ、エビ) 950円
 ミックスB定食(豚生姜焼、あじ、エビ) 1000円
 ミックスC定食(煮込みハンバーグ、あじ、エビ) 1000円
 あじフライへの愛と自信にあふれている。」(61ページ) 
この「カロリーK点越え」のメニューをいつの間にか食べてしまう昼休みの熱気も伝わる文章である。

 「知識」として驚き、しかも自分の経験と重なる部分も見つけられるのは「1972年、釜ヶ崎」。大坂釜ヶ崎を拠点に労働者として生き、多くの詩や文章を発表したアナキズム詩人寺島珠雄(1925-1999)が中心になってまとめた『釜ヶ崎語彙集 1972-73』の中の釜ヶ崎の風物の記事の紹介である(長門裕之主演、中平康監督の映画『当たりや大将』を思い出す)が、寺島以外の人が執筆した次の項目が特に印象に残る:
「京屋(喫茶店) (前略) 向かいのパチンコ屋桃太郎の軒に鳩がいつも群れているのは、京屋の客が食べ残したピーナッツをやるからで、早朝、自分は食べずに大事そうにピーナッツを握って出てきた労働者が、一粒ずつ鳩にやっている光景は他では見られない。そうして自分の”行事〟を済ませてから、労働者は現場に向かうのだ。(い)」(255ページ) これにつけた「皆、労働者であると同時に一つずつの人生を抱えた人間なのである」(同上)という平松さんのコメントもいい。

 「知識」を「実践」に移そうかどうかと逡巡している雰囲気がうかがわれるのが「志ん生の天丼」。昭和戦後の落語界で名人といわれ、三道楽免許皆伝を豪語した五代目古今亭志ん生の天丼の食べ方を紹介している。志ん生は、最初は上にのせてある天ぷらやごはんを肴にして日本酒を飲み、七分目まで食べた後、コップに少しだけ残しておいた日本酒を回しかけて蓋をし、いったん蒸らしてからおもむろに開けて食べていたという。(若い、売れない、貧乏な落語家だった時代に、宇野信夫の家に押しかけて、天ぷらそばを食べさせてもらっていたという話は、以前に書いたことがある。) 志ん生の行きつけだった湯島の天ぷら屋「天庄」に出かけることもあるという平松さんであるが、志ん生のまねをして天丼を食べてみたいとおもってもなかなか実行に移せないらしい。私も志ん生の高座に接したことはあるが、そのころは酒とは縁のない子どもであったのが残念である(酒に縁のある子どもだったら大変だ!!)

 「実践」といっても著者が包丁をふるう場合もあり、食べるだけの場合もある。知人から送られた筍の大軍に必死で立ち向かう次第を記す「出たか、筍」などは前者であり、友人の母親が実家から送ってくれるという山椒の新芽をふんだんに使った創作鍋を体験する「シビレる鍋」は後者である。いずれにしても、単に「食べる」ということだけではなく、「食べる」ことを通じての人間関係の豊かな広がりが感じられる。それは、この書物全体についてもいえることであって、それが一種の隠し味として文章の魅力を支えているのである。
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