中島義道『東大助手物語』

6月12日(月)曇りのち晴れ

 中島義道さんは2通りの意味で哲学者である。我々が日常接する問題、特に苛立つような問題を取り上げて、それらの本質に迫る論考を展開するという意味で哲学者であり、カントの研究者という意味でも哲学者である(こちらは哲学=学者というべきであろうか。これまで前者の系列に属する著書(『<対話>のない社会』『私の嫌いな10の言葉』など)は何冊か読んできたが、後者の立場から書かれた書物は読んだことがない。そのような読書経験から、かなり個性の強い学者、少数派であっても自分の意見を貫く人物だという印象を持っている。少数派といっても、そのなかでもまたいろいろな個性があるから、中島さんの意見に共感する場合と、そうでない場合とがあることはひていできない。

 この書物は中島さんが東京大学教養学部の社会科学科の社会思想史講座の助手(現在では助教というらしい)であった時代に、講座の糟谷(仮名)教授から受けたいじめ・嫌がらせの次第を書き綴ったものである。いじめは大学の中だけで終わらず、中島さんの家庭生活にまで及ぶ。必ずしも良いとは言えない夫婦生活にますます亀裂が入りそうな干渉である。糟谷教授の怒りの原因は中島さんの「態度の悪さ」である。言動の一挙手一投足が不興を買う。このことについて中島さんは次のように書いている。
 「助手生活一年目から二年目と駒場に長くいるにつれ、私はもはや全く糟谷教授を学問的に尊敬しなくなっていき、それとともに、教授に対する態度も軽いものになっていった。
 そこまで考えて、「態度が悪い」という糟谷教授の言葉の核心にあるものが、ふとわかった感じがした。「態度が悪い」とは「自分を尊敬しない」ということなのだ。確かに、私が教授の学問に対する評価を下げていくうちに、糟谷教授に対して軽く見る態度をとっていたであろう。そして、哲学思想系の学者の場合、その学問と人間とを切り離すことはできない。私は学問的に全否定している教授を人間として尊敬することはできないのである。」(169ページ)

 中島さんは東大の教養学部(教養学科)、法学部、人文科学研究科(哲学専攻)の2学部1研究科を卒業、修士課程を出た後博士課程進学を拒否されて予備校講師の仕事をした後、ウィーンに留学した博士号をとったというかなり異色の経歴を持つ。異色の人材であることに目をつけて、教養学部の助手に採用したのがほかならぬ糟谷教授であった。にもかかわらず、その関係は悪化の一途をたどったのである。若いころは優秀な研究者であったかもしれない糟谷教授であるが、その当時はほとんど業績らしい業績を残さない、演習に参加する学生が途中から1人もいなくなってしまうような教官であり、しかもその理由を自分なりに掘り下げようとせず、自己満足や学生の質の低下の非難で紛らわせてしまうような人物であった。だから、自分の忠実で強力な味方になるはずの人間が宋でなくなってしまうと、途端に凶暴な牙をむき始めたということらしい。そして、糟谷教授の最後のよりどころになったのが人事についての影響力である。その当時、大学の人事は公募が主流になり始めていたが、新規開設予定のために個人的な伝手を頼りにして助教授人事が舞い込んできた。

 大学、あるいは教職における人事には、というよりも人事というのは一般的にそういうものだろうが、偶然の、不確定的な要素があって、その結果についても予測が難しいところがある。だから、人事に対する自分の影響力を誇大に評価し、また他人からの評価を求めるというのは極めて危険なことである。さらに言えば、教職関係の人事について言えば、学力の方を尊重して性格的なことは(よほどの異常がない限り)、見過ごした方がいい。そんなことを書くのは、私の最初の就職に際して、指導教官が君は性格円満ではないけれども、性格円満だと推薦状に書いておくと言われた記憶があるからで、そんなことよりも就職先で教えるはずの科目についての学問的な能力が全くない(教養課程で単位を落とした科目ばかりである)ことの方が問題ではないかと内心で思っていたことがあるからである。中島さんの場合も、糟谷教授から性格に問題があると言われ続けた訳であるが、性格に問題があると言っているご本人の方がよほど性格に問題がある場合も少なくないのである。それに、「性格的な問題」を口実にして思想差別が行われる危険もかなり大きいからである。

 糟谷教授からの中島さんへの要求は、夏休みのドイツ旅行中に留守になる自宅の庭の芝刈りが、中島さんを飛び越えて、その夫人に命じられるところにまでエスカレートする。もはや、教授と助手の個人的なあるいは個別的な関係として放置できる問題ではなくなってきて、中島さんは大学院時代の指導教官や周囲の頼りにできそうな人物に相談をし始める…。

 著者自身の経験の実録であり、この書物に登場する何人かの人物は実名であり(大森教授は大森壮蔵であろう)、何人かは当然のことながら、仮名になっている。四方田犬彦『先生とわたし』は、東大の教養学部時代から続いた四方田さんとその師であった由良君美の交流の実録であるが、軋轢を重ねたにもかかわらず、四方田が由良に対して抱き続けている尊敬の念が、実名での展開によって裏付けられている。四方田に及ぼした由良の人格的な感化力は決して否定できないほどに大きいのだが、直接の師弟関係ではなく、講座における上下関係にすぎないこちらはそうではないのである。
 大学や大学院で師弟関係がなくても、教授と助手のあいだに師弟関係が生まれることもありうる。が、それは両者の努力の結果として生まれるものである。教育は愛であるというが、愛には憎しみが付きまとう。だから努力が必要なのである。そのことを無視した教育論は空理空論に陥りがちである。一方的に相手にだけ努力を求めるのは横暴である。
 さて、もし私が1年浪人して東大に入っていれば、中島さんと一緒の学年になったはずで、ということは私の高校の同期生の中にも彼と一緒に学んだという人間が少なくないはずだと思う。つまり、ここに書かれている著者の経験には私の経験とつながったり、重なったりする部分がある一方で、それぞれの大学にはそれぞれの大学の事情があることを考えさせられた。大学によって機関によって、人事の進め方にも違いがあること、知らないというよりも分らない部分が少なくないことなど走っておいてよいことである。大学の先生の世界の暗部を、自分自身や自分の家庭の問題も視野に入れながらあからさまにした書物であり、アカデミズムの中で自分の履歴を築こうと考えている人は、目を通しておいた方がよい書物ではないかと思う。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR