夏目漱石『虞美人草』(6)

6月5日(月)晴れ、気温上昇

これまでのあらすじ
 外交官であった当主が任地で病死し、甲野家には未亡人と長男の欽吾(27)、長女の藤尾(24)の3人が残された。欽吾は先妻の子、藤尾は未亡人の実子である。遠縁の親戚である宗近家の長男で外交官を目指している一(28)と藤尾を結婚させようという内々の約束が父親同士のあいだではあったが、藤尾は実際的な一よりも、英語の家庭教師をしてもらっている秀才で詩人肌の小野清三(27)の方に心を移している。藤尾の母は、病弱で超俗的な欽吾ではなく、将来有望な小野を藤尾の婿に取りたいと考えている。他方、初めの妹の糸子(22)は欽吾に思いを寄せている。
 小野には学費の面倒を見てもらった井上孤堂という恩師がいて、孤堂先生は自分の一人娘の小夜子(21)を小野と結婚させるつもりであり、そのために京都の住まいを引き上げて上京してきた。甲野さんに対して藤尾は、小野さんを夫に選ぶと言い、義母と義妹に愛想をつかした甲野さんは家出を決意する。宗近君は外交官試験に合格して藤尾と結婚するつもりでいたが、糸子に、次に甲野さんに反対されてあきらめる。その代りに、甲野さんが従妹とと結婚するように頼む。孤堂先生から小夜子との結婚を急き立てられた小野さんは、友人の浅井君に破談の申し入れを依頼する。

18
 浅井君が小野さんと会った翌日、孤堂先生の住まいを訪問する。無神経な浅井君は、小野さんが最近ハイカラになって人間として頼るべきではないと言い、体調を損ねている先生の気分を逆なでする。実は小野さんに頼まれたのだが、博士論文執筆で忙しいので結婚の話はなかったことにしてほしいという。先生は浅井君の無礼な言い方に加えて、小野さんが自分で断りに来なかったことに腹を立てる。自分の訪問がもたらした結果に驚いた浅井君は慌てて孤堂先生の家を出る。
 この場面で、浅井君をもてなすのに小夜子が出雲焼の皿に和製のビスケットをあまり多くなく盛って出すというのが気になる。この作品の10で宗近老人が藤尾の母に柿羊羹を勧めているのにくらべると、貧し気な感じである。

 孤堂先生の家を飛び出した浅井君は、小野さんの下宿に戻ると思いきや、(路面)電車に飛び乗る。
「突然電車に乗った浅井君は約1時間余の後、ぶらりと宗近家の門からあらわれた。続いて車が2挺出る。1挺は小野の下宿へ向う。1挺は孤堂先生の家に去る。50分ほど遅れて、玄関の松の根際に梶棒を挙げた1挺は、黒い幌を卸したまま、甲野の屋敷を指して駆ける。」(359ページ) 
 車というのは人力車である。『吾輩は猫である』の金田邸には電話が引いてあったから、宗近邸にも電話があったのではないかと思われる。あるいは下女の清か、書生の黒田が車屋まで走っていったのであろうか。

 小野さんの下宿に向かった車に乗っていたのは宗近君である。小野さんは昼食を済ませたばかりであった。〔食事つきの下宿屋というのは今でも残っているだろうか。残っていたとしても、昼食までは出さないのではないかと思う。] この日の午後に藤尾と大森に行く約束をしているので、何となく気が咎めている。その一方で、浅井君が孤堂先生を訪問した結果も気になっている。と、いつの間にか、宗近君がやってきたのに気づく。
 宗近君は浅井君の訪問を受けて一部始終を聞いたと言い、「人間は年に一度くらい真面目にならなくっちゃならない場合がある」(365ページ)と小野さんが出会っている事態に直面して解決に取り組むべきだと説く。小野さんは自分の弱い性格と、それゆえ宗近君に対して感じていた劣等感について告白し、小夜子と結婚するという。宗近君は、小夜子とを連れて藤尾と対面し、そのことをはっきり言うように勧める。小野さんは藤尾と大森に出かける約束を打ち明ける(小野さんは大森に行かないことにしたので、待ち合わせの時間に遅れたら、すぐ藤尾は戻ってくるであろう)。宗近君は手紙で小夜子を呼ぶことにする。

 孤堂先生の住まいを訪れたのは宗近の父で、老人同士の方が話がしやすいだろうという宗近君の配慮である。もともと体調が悪かった孤堂先生は、熱を出して小夜子の看病を受けている。孤堂先生も小夜子も小野との結婚はあきらめた様子であるが、もう少し様子を見てからにしてほしいと宗近老人が頼む。そこへ、宗近君への手紙が届く。

 第3の車は糸子をのせて、甲野の家に向かう。甲野家では甲野さん(欽吾)が原稿や手紙を暖炉で焼き捨てたりして、家出の準備をしている。甲野さんは父親の肖像画だけもって家を出るつもりである。母親が現われて世間体を憚って、家出を止めようとする。そこへ糸子が現われる。兄に迎えに行けと言われたので、やってきたという。2人が出ていこうとすると、母が止めようとして、糸子と母との間で口論になる。そこへ宗近君が小野さんと小夜子をともなってやってくる。
 漱石は紫の女=藤尾と、黄色の女=小夜子の描写に力を注いで、糸子については筆を粗略にしているところがあるが、彼女の色は鶯色(うすみどり)である。甲野さんを迎える場面で糸子の髪型=廂髪(ひがしがみ)がわかる。藤尾については2ですでに「波を打つ廂髪」(39ページ)とある。まあ、いつも同じ髪形をしているとは限らないし、廂髪といってもその中でいろいろ種類があるようであるが、とにかくそのころ流行の髪型であったことは間違いない。これに対して、小夜子は5で「昔しの髷を今の世にしばし許せと被る」(88ページ)とあり、髷を結った頭である(忙しいこともあって手入れの行届かないところを9で小野さんに見られて、幻滅されている。とにかく、女性の髪型の描写でも漱石が手を抜いていないことがわかる。

 宗近君と小野さん、小夜子、甲野さんと糸子、藤尾の母親は甲野さんの書斎で藤尾の帰りを待っている。3時に新橋駅で待ち合わせていた藤尾は、25分に人力車を走らせて家に戻ってくる。宗近君に小夜子を紹介され、小野さんからこれまでの生き型を改める、小夜子と結婚すると聞いた藤尾は、狂ったように笑い、宗近君に金時計を渡そうとするが、宗近君は時計を壊して、自分たちの行為が欲得ずくではなく、道義のためのものだという。突然、藤尾が倒れる。

19
 前日の雨で春の花が全部散らされてしまった中で、藤尾の部屋に彼女の遺体が横たえられている。枕元には銀屏風が逆さに建てられているが、それには酒井抱一の虞美人草の絵が描かれていた。
 娘の死に悲嘆にくれる母親に向かい、甲野さんと宗近君は自分の心を偽らずに、真実に生きてほしいと言い聞かせる。
 藤尾の葬儀が済んだのち、甲野さんは日記に道義の実践の結果が悲劇であり、それを避けると喜劇が展開すると書き記す。2か月後、甲野さんは日記の一節を抄録してロンドンの宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。――
 「ここでは喜劇ばかり流行(はや)る」

 最後で断罪されているのは、ヨーロッパの文明であり、それに追随する明治の日本であるように思われる。ただ、漱石が新聞小説として一般の読者を相手に書いて作品だけに、思っていたほど突っ込んだ文明批評はなされていない。この小説が社会の上っ面をなぞっているだけだということは、作品の一の方の次の箇所でも明らかであろう。藤野の部屋で、彼女と小野が話している時に:
社会は彼らの傍(かたえ)を遠く立ち退いた。救世軍はこの時太鼓を敲いて市中を練り歩るいている。病院では腹膜炎で患者が虫の気息(いき)を引きとろうとしている。露西亜では虚無党が爆裂弾を投げている。停車場では掏摸が捕まっている。火事がある。赤子が生まれかかっている。練兵場で新兵が叱られている。身を投げている。人を殺している。藤尾の兄さんと宗近君は叡山に登っている。(33ページ)
 日露戦争に際して、日本の社会主義者がロシアの社会民主労働党に手紙を送り、それに答えたロシアからの返事が『平民新聞』に掲載された中に、虚無党のテロは、ツルゲーネフのような小説家の作り話で、我々はそういう手段はとらないと書かれていたと記憶する。とはいえ、この小説が書かれた3年後の明治43年(1910)に幸徳事件が起きていること、『それから』のなかに、幸徳秋水が名前だけ登場していることに注意を喚起しておこう。作者の思想が作品の中にすべて出て来るとは言えないのである。

 『虞美人草』を読み終えてみると、『坊っちゃん』と『草枕』を足したような作品という印象が残る。『坊っちゃん』も『草枕』も明治39年(1906)、つまり『虞美人草』の1年前に書かれた作品だから、共通する部分が多いのは当然かもしれないが、藤尾には「草枕」の那美さんのような野性や、土俗性のようなものがないから、その点で魅力に欠ける(あくまで私の趣味である)。那美さんのモデルになったと言われる前田卓(つな、1868-1938)という女性については、黒川創『鷗外と漱石のあいだで 日本語の文学が生まれる場所』(河出sh防振社)に詳しいが、宮崎滔天の妻になった槌の姉だそうである。

 甲野さんの世間的な沈黙(発表しない論文はいろいろあるらしい)とか、憂愁・煩悶には『虞美人草』の作者が慎重に隠そうとした思想的な関心が潜んでいたかもしれず、この作品の行間を当時の社会的な文脈に照らして掘り下げることは、決して無益なことではないと思われる。

 漱石は西洋、特に英国の偽善に満ちた文明を嫌ったが、そのような偽善への批判が英国の中でもブルームズベリー・グループの活動に見られるように、漱石のほぼ同時代の英国でも展開されていたことを付け加えておこう。『吉田健一対談集』の中で、吉田と中野好夫と阿部知二が英文学は「大人の文学」だという話をしていて(逆にいえば、「青春」だの「初恋」だのというのはあまり縁がない)、その意味では漱石は、英文学をやるにしては、関心が少し若いところを向いていたかなと思ったりした。『高慢と偏見』の登場人物など、『虞美人草』と年齢的に重なるけれども、人間的に自立しているという点では、ずっと大人ではないかという気がするのである。 
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虞美人草

 たいへん面白く読ませてもらいました。
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