ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(20-2)

6月1日(木)晴れ、気温上昇

 ベアトリーチェに導かれて、地上楽園から天空の世界へと飛び立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天をめぐり、それぞれの天で彼らを出迎えた魂たちと神の恵みや地上における正義の実現をめぐって議論を交わし、これまで抱いていた疑問を解いていく。続いて訪れた木星天においては、地上において正義の統治をおこなった帝王たちの魂が集まって鷲の形を作って彼らを迎えた。目の中心にいたのはダヴィデ王であり、目の上の眉を作っているのはローマのトラヤヌス帝、ユダヤの王ヒゼキヤ、ローマのキリスト教化を行ったコンスタンティヌス帝、名君として知られるシチリア王グリエルモⅡ世、トロイア人リーペウスの5人である。異教徒であるはずのトラヤヌス帝とリーペウスがこの中に入っていることをダンテは不思議に思う。

 ダンテはこの疑問を思わず口にしてしまう。すると、鷲の姿をした魂たちは
天の王国は熱い愛と生ける希望からの
強い力を受け入れる。
それらは神の意志に勝つのだ。

それは人が人に優越する仕方ではない。
神の意志が負けるのは、その意志が任されることを欲するからである。
そして打破されることにより、その慈悲をもって勝利する。
(306-307ページ)と、神はその無限の慈悲により、人の愛ゆえの希望を受け入れ、自ら望んでその希望をかなえると語った。

眉をなす最初の魂と第五の魂が
おまえを驚かせている。というのもおまえは
天使のいる領域に彼らが描かれているのを見ているからだ。
(307ページ) ダンテを驚かせている2人の魂であるが、トラヤヌス帝は「息子を失った哀れな寡婦」のために息子の敵をとり、それを知った教皇グレゴリウス1世の「生ける希望」を聞き入れ、トラヤヌス帝を復活させると、帝は救世主が人類の罪を贖ったことを信じ、信仰ゆえに神への愛の火が燃え上がって天国に来たと述べた。(すでに何度かこの話は出てきたが、中世にはそういう伝説があったのである。)

 もう一人のリーペウスについては、
下界にあって彼の愛のすべてを正義に向けた。
そのために神は、恩寵に恩寵を加え、彼の目を
未来における我ら人類の救済に対して開かせた。

それゆえ彼はこの救済を信じ、それ以来
異教信仰の悪臭をもはや受けつけず、
道を踏み外した人々を非難し続けた。

おまえが以前に右の車輪のかたわらに見た
あの3人の貴婦人達が、
洗礼の儀式に千年以上先だってその洗礼を司った。
(309-310ページ) 3人の貴婦人たちは、ダンテが煉獄山頂の地上楽園で目にした慈愛・希望・信仰の対神徳を示す3人である(『煉獄篇』第29歌121-126行、437-438ページ)。この3つの対神徳は、トラヤヌス帝の場合にも大きな役割を果たした。洗礼の儀式を始めたのは、『新約』に出てくる聖ヨハネであるから、トロイア戦争が紀元前1000年ごろと考えると、「千年以上先だって」というのはつじつまが合っている。リーペウスの事例は、ウェルギリウスの『アエネーイス』からダンテが創作したのであろう。(ウェルギリウスに地上楽園まで自分を案内させておいて、あとはリンボに戻してしまうというダンテの身勝手さにも腹が立つのだが…)

 そして鷲は言う。
おお、救済の予定(さだめ)よ。
第一原因の全貌を見ることのかなわぬ
あれらの視線から、あなたの根源はどれほど遠いことか。

そしておまえ達、、必滅の者達よ。人を裁くことにおいては
自らを厳しく律し続けよ。というのも余ら、神を見ている者達でさえ、
未だ救済に選ばれた皆を知っている訳ではないからだ。
(310ページ) 神の救済の予定は人間には理解できないという。

 翻訳者である原さんはこの第20歌の「解説」において「ダンテは第19歌、第20歌で、教皇や皇帝、各地の王が支配の正当性を神に求め、神の名を利用して、神の代理として戦争などの行為をすることを制限しようとしているように思える。そしてダンテは、井教の信者が神の「意志に調和する」(第19歌88行、290ページ)行いで、神慮によりキリスト教信者として天国に迎えられると述べることで、教皇が神の意志を代理し、救いを独占的に媒介するという思想を打破し、同時に神の意志、すなわち正義を人類にとって不可知にし、神意の恣意的利用に制限をかけたのである」(601-602ページ)と論じている。ここで、「神」とあるのを「歴史(的必然)」とか「民意」とかと置き換えると、マルクス主義や新保守主義がある特定の集団のイデオロギーとして採用されて、現実の世界に多くの害毒を流した(ている)事例が想起できるだろう。(特定の宗教や思想が悪いのではなくて、それが特定の集団のイデオロギーとして、他の人々を攻撃し抑圧する手段と化すのが悪いということである。) このように読んでいくと、ダンテの文学には彼の時代の条件に制約された部分と、そのような制約を超えて普遍的に説得力を持つ部分とがあることがわかる。それこそが彼の文学の魅力である。

 こうしてダンテは、ベアトリーチェに導かれながら、木星天を去り、土星天へと向かう。
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