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ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(20-1)

5月25日(木)曇り、一時雨

 ベアトリーチェに導かれて天上の世界に旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天を次々に訪問し、そこで彼らを出迎えた天国の魂たちと会話をして、胸に抱いている様々な疑問への回答を得る。木星天では正義の統治をおこなった皇帝や王たちの魂が鷲の姿をとって彼らを迎えた。時代や場所の制約でキリスト教を知らなかったが、善良で悪を犯すことなく死んだ者の魂は、どうなるのかと質問すると、鷲は限られた人間の知恵で神の無限の意志は理解できないと言いながら、神の意志に合致するものだけが正しいという。そして神の正義を地上で実現するという使命を果たさず、悪政を行っている地上の王たちを非難する。

全宇宙を光で照らす天体が
私達の半球で沈んでいき、
昼間の光があらゆる場所で消えていく頃、

空は先ほどまでその天体によってだけ輝いていたが、
一つの光源を反射している
数多の光によってすぐにまた姿を現す。
(298ページ) ダンテの『神曲』の世界のもとになっているプトレマイオスの宇宙金は、すべての補遺は太陽の光を反射して輝いているとされた。太陽が沈んだ後、惑星や恒星が太陽の光を反射して、ダンテたちを照らした。恒星は自分で光っており、太陽はそのような恒星の1つにすぎず、太陽よりもはるかに明るい恒星が宇宙には数多く存在すると天文学者たちが明らかにするのは、もっと後のことである。最近出版されたガリレイの『星界の報告』(講談社学術文庫)は1610年に彼が望遠鏡を作成して行った天体観測の結果をまとめたものであるが、そこでは惑星が望遠鏡で見ると拡大されて円形に見えるのに対し、恒星はそのような明確な形を示すことはないと語られている。

地上世界とその統治者たちの形象が
祝福された嘴を沈黙させた時、
この空の変化が私の記憶のうちに浮かんだ。
(同上) 鷲はローマ皇帝権を表し、それは神が人類に与えたあるべき統治権力であることがこれまでも繰り返されてきた。

 鷲が沈黙すると、木星天の魂たちの歌う歌が聞こえる。そして、再び、鷲が声を発して、ダンテに語り掛ける。鷲は、鷲の目の部分を見るように言う。地上の鷲が太陽を直視できるといわれるように、天国の鷲も正義の源泉である神を直接見ている。そして神を見ているために目の部分はもっとも高貴な存在であった。鷲の姿を作っている王たちの魂の中で、目を輝かせている者達は、最高の地位を占めているという。
瞳の中心で輝いている者は
聖霊を歌った詩人であった。
彼は都市から都市へ聖櫃を引いていった。
(301ページ) 鷲の目の中心にいる魂は古代イスラエルの王ダヴィデであった。彼は旧約聖書の「詩編」の作者とされる。「詩編」は神がダヴィデの口からその言葉を発したものだと考えられており、ダヴィデの功績は、自由意志で神の意志に沿ったことにある。

 この後では、その目の上の眉を作っている5人の帝王の魂が紹介されていく。
余の眉の曲線を作る5人のうち、
余の嘴に最も近いものは、
息子を失った哀れな寡婦を慰めた。

今や彼は知る、この甘美な生とその逆を経験したために、
キリストに続かぬことが
どれだけ高い代償を払うか。
(302ページ) ローマの五賢帝の1人に数えられるトラヤヌスは『煉獄篇』第10歌にも紹介されているように、「息子を失った哀れな寡婦」のために、息子の仇を討った。中世にはそれに感動した教皇グレゴリウスⅠ世が神に祈って彼の魂を地獄のリンボから一時地上に呼び返し、洗礼を行ってキリスト者にしてから天国に送ったという伝説があった。歴史上の現実のトラヤヌスはキリスト教信者を迫害していたのである。ここでダンテはこの皇帝が地獄(といってもリンボであるが)と天国とを経験したことで、キリスト教信者であることの意義を確認しているという。

 その隣にいるのはユダヤの王ヒゼキヤである。北のイスラエルと南のユダヤに国が分裂し、東のアッシリア、西のエジプトの2大強国に挟まれて、苦しい立場にあったが、『旧約』の『列王記』には「父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行」(下18-3)ったと記されている。預言者イザヤの助けもあり、アッシリアの大軍の攻撃を受けたが、その大軍が一夜で壊滅したことで危機を脱した。ところが、そのころ、彼は病気になり、自分の行いを改悛して神に祈ったために命を15年間延ばしてもらったという。『列王記』と『イザヤ書』に見られる説話であるが、後者の方が詳しい。
今や彼は知る、永遠の裁きが
不変であることを、下界で価値ある祈りが
今日を明日に延ばそうとも。
(302-303ページ) ヒゼキヤの跡を継いだ子どものマナセは悪い王様だったと記されているので、彼が長生きしたことは、すべてではないにしても、ユダヤの多くの人々にとってはいいことであったのではないかと思われ、その点では永遠の裁きにかかわるダンテのこの言葉に疑問が残る。

 次に紹介されるのはキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝(272-337)で、そのことよりも帝国の都をローマからコンスタンティノープル(イスタンブール)に移したことが問題にされる。ダンテは、皇帝が東に移動し、教皇が西ローマの統治権を引き継いだと主張していることを批判する。
 その次は善政により善良王とあだ名されたシチリア王グリエルモⅡ世(1153-89)である。
今や彼は知る、天空がどれほど
正しい王を愛しているかを。そしてそのことを
彼の輝きの強さに見せ続けている。
(304ページ)

 5人目の王はトロイア人のリーペウスである。彼はウェルギリウスの『アエネーイス』にわずか3行だけしか登場しない、リーペウスである。彼はトロイア落城の際にアエネーアースと行動をともにするが落命した。「(彼は)並ぶものなき正義の士で/テウクリア人の間で誰にもまして公正を守ったのに/神々にはそう見えなかったのだ」(アエネ2.426-428)。
今や彼は知る、神の恩寵について
地上の人々が理解しえない多くを。
その視線はそこまで見通していないのだとしても」。
(同上) トラヤヌスとリーピウスは異教徒であり、鷲の目と眉を構成する魂たちの中に異教徒が混じっていることにダンテは驚く。彼は問題にしていない様子であるが、うるさいことを言えば、ダヴィデとヒゼキアは聖書に登場するとは言うものの、キリスト教以前のイスラエル(ユダヤ)の王である。別の解釈をすれば、ここでダンテは宗教を超えた人類の融和の可能性を垣間見せているとも考えられる。
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