吉田茂・吉田健一・河上徹太郎「親子対談」

5月19日(金)晴れ、気温上昇

 1998年に小沢書店から刊行された『吉田健一対談集成』は座談の名手であった吉田が加わったさまざまな対談・座談を集めた書物で、英国や文学をめぐり、(少数の例外はあるが)同時代の一流の人士との意見交流が、主題についての多くの(少しばかり古めかしくなっているが、有益であることに変わりはない)知識や理解を与えてくれる。この対談集の冒頭に収録されているのが、『改造文芸』の昭和24(1949)年7月創刊号に掲載された吉田とその父親で、当時首相であった吉田茂(1878-1967)の親子対談であり、吉田の師匠筋である文芸評論家の河上徹太郎が第三者として加わっている。

 次のような前書きがある:
 定刻目黒の外相官邸へ着くとすぐ、二階の私室へ通される。よく手入れの行届いたフランス式の庭には梅雨が煙り、机の上には雑然と積まれた書類の上に、今まで読んでいたらしい「ライフ」が投げ捨ててある。首相「今日は何のお話をすればいいんです?」河上「ことによると議会より大変ですよ」といい乍ら、一同座につく。(9ページ)
 吉田茂は外相も兼務していたから、外相官邸に住んでいても不思議はない。いまの首相は官邸と公邸とをもっているが、当時は官邸の中に個人的な生活の場も設けられていたということらしい。なお、この官邸というのは現在の東京都庭園美術館であることが、対談を読んでいくとわかる。だから「目黒」と書いてあるけれども「白金」と書く方が適切ではないかと思う。季節は梅雨に入っており、7月号に掲載されたということで、雑誌発行当時は最新の情報を含んでいたと考えられる。通常国会の議事が終わって、首相としても一休みというところであるが、文学雑誌の取材ということで、ちょっと当惑しているところがあるかもしれない。

 河上が「今日は一つ政治に関係のないお話を‥‥。」と切り出すと、首相は「なんでも話しますよ。いまの日本は政治的にはどうせうまくゆきっこありませんよ。」とかなりざっくばらんな態度で対応する。この政治家が、少なくとも首相になって最初のころは、自分は本来外交官であって、政治については素人であると自認していたことがわかる発言もある。ワンマンといわれた吉田茂ではあったが、自分の能力を冷静に見つめる側面もあったようである。それでも日本はぼちぼち復興していることが話題にされ、戦勝国である英国が依然として耐乏生活を続けようとしていることを評価する。

河上 あなたは健一君をイギリスの学校へお出しになりましたけれども…‥。
首相 あれは私よりは私の家内が熱心に主張しましてね。
河上 その目的は功を奏しましたかしら。
首相 さあ、どうですかね(健一さんを見て微笑)。まあ、日本にいて不良少年になるよりかよかったでしょう。(笑)
健一 でも、イギリスへいったお蔭で、このごろずいぶん稼いでおりますよ。
首相 そうかい。親の所へ少しは持ってくるといい。(笑)
健一 それほどじゃないんだけども。(11ページ)
 吉田茂の妻(健一の母)雪子は昭和16(1941)年に死去していたが、外交官出身で各種大臣を歴任した政治家の牧野伸顕(1862-1949)の娘である。ここでの茂・健一の親子の間の距離の保ち方が絶妙で面白い。
 吉田茂はずっと日本で教育を受けたので、外国の文化について勘が働かないところがある。子どものころから外国に出かけて教育を受けると、そのあたりが違ってくるのではないか。白洲次郎などを見ているとそう思うというのが吉田茂の感想である。

 イギリスの小説ではどんなものを読むかという河上の問いに対し、吉田茂はクリスティはよく読んだという(この時代だから英語で読んだのであろう)。クリスティの小説には単に推理小説としての面白さだけでなく、イングランドの風土や人情についての詳しい描写があるので、この国で暮らした人間にとっては懐かしく読める部分がある。吉田茂は駐英大使の経験があるから、クリスティを懐かしい気持ちで読んでいたかもしれない。
 日本の小説では「鞍馬天狗」(大佛次郎)を読んでいるという。外相官邸はもともと朝香宮邸であったので、宮様の蔵書が残っていて、その中の「宮本武蔵」(吉川英治)だの「新書太閤記」(吉川英治)だのを引っ張り出して読んでいるという。
健一 パパは矢田挿雲の「太閤記」を読んだでしょう。
首相 矢田・・・・・? そうだったかな。
健一 吉川英治のはどうですか。
首相 あまり面白くないね。
健一 人生教訓みたいなものが入ってるからでしょう。
首相 さあ、それもあるかもしれない。もうお談義はたくさんですよ。(笑)
 70歳を超えた父親に対し、40歳に近づいている息子が「パパ」というのはどうもすごいねえと思う。吉川英治の作品の人生教訓的な部分を父子ともにあまり好まないというのは注目してよい(日本の経営者や教育者に吉川英治があたえた影響というのはかなり大きなものではなかったかと思うのだが、この親子はそういう流れとは無縁であったわけである)。

 読書以外では、以前は新国劇をよく見たが、ここ10年ほどはご無沙汰しているという。映画は見ない(当時のことだからテレビはまだない)。
河上 じゃ、お疲れをやすめるのは、大体何ですか。
首相 寝ますね。尤も睡れなくて困ってるんですけれども。
河上 武道の方は何かなすったんですか。
首相 いや、何にもしません。子供の時に親父で撃剣で殴られて以来、しないことにしています。
健一 馬はずいぶんお早いんでしょう。
首相 馬は乗ったけれども。
 吉田が武道とは関係がなかったというのが興味深い。親父というのは実父の竹内綱であろうか、養父の方であろうか。父親の暴力で、武道が嫌いになったような言い方である。いまの政治家は、学校で武道を教えさせたがっているが、吉田が生きていたら賛成するだろうか。

 吉田茂は能書家であった(以前、『開運!なんでも鑑定団』に吉田茂の書が出品されたことがあり、明治の元勲たちほどではないが、近年の政治家の中では吉田の書は出色であるという評価が語られていた)が、特に手本とする書家はなく、独創であるという。健一は「パパに書いていただいたお蔭で、ぼくの家の表札、非常に立派ですよ。」(16ページ)と思いがけないことを言う。
 話は清水崑と首相との付き合いや、政治漫画についての首相の感想から、政治家とジャーナリズムの関係に移っていく。かなり微妙な話も含まれるが、それは機会を改めて紹介することにしたい。

 この対談の主人公は明らかに父親の方であり、息子の方はまったくの添え物であるが、時々、座の空気を和らげたり、父親の意外な側面を引き出す援護射撃をしたりで、後年における座談の名手ぶりの片鱗を見せている。文学の話とはいっても、登場するのはクリスティやドイル、吉川英治で、話題がかなり限られているが、高橋哲雄(1989)『ミステリーの社会学』(中公新書)によるとミステリーを楽しむのは、幾分なりとも教育のある社会層であって、これにくらべると一般小説の方が受け皿は広いのだそうである。(日本の時代小説にもミステリーと多少似た部分があるのではないかという気がする。) それで漱石や鷗外の話題というのも出てこないのだが、『虞美人草』の登場人物で外交官志望の宗近一が明治40(1907)年に(数え年で)28歳という設定になっていることを思い出した。ということは明治13(1880)年生まれで、11年生まれの吉田茂よりも少し年下ということになる。吉田茂は杉浦重剛の日本中学校に学んだことがあり、座談の後半に出てくるように漢籍の素養もあり、欧米一辺倒という人物ではなかった。この時代の外交官というのは多かれ少なかれ、国士的傾向があったのかなと考えたりもするのである。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR