夏目漱石『虞美人草』(2)

5月8日(月)晴れ

これまでのあらすじ
〔漱石が明治40年(1907)年に『朝日新聞』入社第1作として、新聞に連載した小説で、明治40年の読者がこの小説を読んでいるその当時に物語がほぼ同時に進行していく形で書かれている。〕
 外交官を目指している宗近君(28)とその遠縁で大学で哲学を勉強した甲野さん(27)が京都を旅行中である。外交官であった甲野さんの父親が任地で急死して家の中がごたごたしており、病弱で神経の細い甲野さんを気晴らしに宗近君が誘い出したものらしい。
 甲野さんが旅行に出かけた留守中に、その妹の藤尾(24)が大学出の秀才である小野さん(27)に英語を教わりながら、次第に距離を近づけている。小野さんには恵まれない環境で育ち、京都で井上孤堂先生にお世話になって高校・大学を卒業したという過去があり、先生の娘の小夜子(21)と結婚することが暗黙の了解事項になっている。孤堂先生は京都の家を畳んで、上京するという手紙をよこす。
 宗近君と甲野さんが泊まっている旅館の隣に琴を弾く娘がいて、父親と二人暮らしで、もともとは東京もので、近日東京へ引っ越すという。二人は嵐山に花見に出かけた際にも娘を見かけ、何となく気になる。
 宗近君の妹の糸子(22)が藤尾を訪問する。糸子は自分の兄が藤尾と結婚することを望んでいるのだが、藤尾から彼女が甲野に好意を寄せていることを見抜かれる。藤尾は、ちょうどやってきた小野さんと京都での宗近と自分の兄の様子を想像しながら、想像力の乏しい糸子をおもちゃにする。(以上6回まで。前回、宗近兄妹と甲野兄妹が従妹同士だと書いたのは、私の誤解で、「遠縁」であった。宗近君と藤尾の間には結婚の約束があるような、ないような関係がある。宿の隣に住む、琴を弾く娘が小野さんの恩師の令嬢である小夜子であるということは、まだ読者にしかわからない。なお、登場人物の年齢は数え年である。)

 7
 宗近君と甲野さんは京都ですることがなくなって夜行列車で東京に戻る。偶然が重なって、東京に引っ越す孤堂先生と小夜子も同じ列車(の隣あう車両)に乗り合わせている。宗近君と甲野さんが食堂車でハム・エッグスの朝食をとる一方で、孤堂先生と小夜子が駅弁を買って食べるというところに、両者の暮らしぶりの違いが表れている。新橋駅に到着した宗近君は、駅で小野さんを見かけたように思う。甲野さんは気づかなかった。(小野さんは、もちろん、孤堂先生と小夜子を迎えに来たのであり、その様子は次の8で小夜子の回想として間接的に語られる。それよりも、客車の中で孤堂先生が『朝日新聞』を広げて読んでいるという描写が面白い。当時、『朝日新聞』の売り子が、「漱石の『虞美人草』」と呼んでこの新聞を討っていたという逸話を知っていると、余計に面白く感じられる。)

 8
 甲野の家では母親が藤尾と話している。父親の死後の相続と、兄妹の身の振り方をめぐっての話であるが、甲野さんが財産はいらないと言っていることが世間体を気にする母親には納得がいかず、思案に暮れている。この問題が片付けば、藤尾に婿を取るつもりであるが、藤尾は趣味のない宗近君は嫌で、小野さんと結婚するつもりであるという。母親は「あんな見込みのない人は、私も好かない」と「同意」する。漱石はこのあとに「趣味のないのと見込のないのとは別物である」(123ページ)と書いて、母娘の意見が一致するように見えて、その底にディスコミュニケーションがあることを示している。母親は、宗近家に出かけて、宗近君と藤尾の縁談をはっきり断ろうというが、藤尾ははっきりした約束がないものを断るというのもおかしいという。
 甲野の家で母と娘の相談が終わったころ、宗近の家では灯りがついて、にぎやかな談話が始まる。旅行から帰ってきた宗近君に甲野さんを迎え、宗近の父と糸子が加わって談笑している。京都の話がいつの間にか若い連中の縁談の話になり、宗近の父が甲野の行く先を心配する(それよりも糸子が内心で気をもんでいる)。

 9
 東京に出てきた小夜子は自分が過去の存在になってしまっていると感じ、小野さんとの世界の違いを嘆く。一方、小野さんは捨ててしまったはずの過去がまだ自分に近寄ってきているのを感じて不安である。孤堂先生の新居を訪問した小野さんは粗末な家に満足している様子の小夜子に魅力を感じず、すぐに辞去する。その後で孤堂先生が帰宅する。孤堂先生は小野さんと小夜子を結びつけるために、一緒に博覧会に出かけることを提案する(「博覧会」というのはこの年3月20日から上野で開かれていた東京勧業博覧会だそうである。すでにこの小説の4で、小野さんの京都時代からの友人である浅井が博覧会に出かけて、アイスクリームを食べてきた、今度はロシア料理を食べに行くと話している)。

 10
 甲野の母が宗近家にやってきて、宗近君の父親と娘の結婚をめぐっての話をする。甲野さんは自分ではなく先妻の子であり、どうも意思が通じにくく、自分の進路をめぐってもはっきりしないので、そちらの方がはっきりするまで藤尾の縁談を進めるわけにはいかないという。宗近の父親が、自分の息子の嫁に藤尾はどうかともちかけると、宗近君は長男で跡取りだから、養子にはできないと言葉を濁す。
 宗近家の2階では宗近君が糸子と彼女をからかい半分に話をしているが、博覧会に出かけることになる。来客が藤尾の母であることから糸子は藤尾の縁談が話題ではないかといい、藤尾は宗近君を嫌っているから結婚は無理だろうと意見を述べる。

 11
 宗近君と糸子、甲野さんと藤尾が連れ立って博覧会見物に出かけ、夜のイルミネーションに感嘆する。台湾館が竜宮に似ているということから、形容はうまく当たると俗になる、当たらなければ(実際よりも高尚に外れれば)詩になる、まずくて当たらない形容は哲学であるという議論が一行の間で交わされる。体の弱い甲野さんがくたびれたので、4人は茶屋で休む。と、近くの席に孤堂先生と小夜子を連れた小野さんが座っていた。(詩と哲学をめぐって藤尾と甲野さんの兄妹の間で議論が交わされるのが、2人の価値観の違いを知る手掛かりになる。藤尾は詩と哲学を対立するものと考えている――小野さんもそのように考えているが、必ずしもそうではないのである。)

 京都と東京に分れて展開していた小説が、登場人物が全員東京に移ったことで進行を速めてくる。宗近一と甲野藤尾、小野清三と井上小夜子の間に婚約が成立しているのか、いないのか、微妙なところで物語が始まり、藤尾が小野さんに近づき、結婚しようと考えることで波乱が起きる。この5人の関係の近くで、甲野欽吾を宗近糸子が慕っている。欽吾も糸子は嫌いではないのだが、結婚すべきかどうかの決断がつかない。

 5人の関係といえば、サッカレーの『虚栄の市』を読んでいて、第6章のレベッカ(ベッキー)・シャープ、アミーリア・セドリの2人の女性と、アミーリアの兄で東インド会社勤務のジョーゼフ(ジョス)・セドリ、アミーリアの幼馴染で恋人である陸軍将校のジョージ・オズボーン、ジョージの学校時代からの友達で同じく陸軍将校のウィリアム・ドビンの3人の男性がヴォクソール遊園の夜の行楽に出かける場面で、『虞美人草』のこの場面を思い出した。ここではアミーリアとジョージ、ベッキーとジョスが結婚の約束をするかどうかが焦点になり、それになぜか(内心はアミーリアを恋している)ドビンがついてきている。
 かなり短期間の出来事を描いた『虞美人草』と、長期にわたる出来事を描く『虚栄の市』は小説としての性格も違うし、夜の行楽の展開や結果も大きく違うのだが(『虞美人草』の方が会話の内容も、登場人物の行状も上品でおとなしい)、たぶん、漱石が心のどこかに『虚栄の市』のこの場面を留めながら、博覧会の場面を書いていたのではないかという気がしてならない。(ヴォクソール遊園は今はなくなっているが、上野公園はいまでもあるとか、『虚栄の市』の一行が出発したラッセル・スクエアからヴォクソールまでは多少距離があるが、『虞美人草』の一行は上野からそれほど離れたところに住んではいなかっただろうとか考えるのも楽しいことである。)

 甲野の母親の言説が明晰でなく、ディスコミュニケーションの原因になっているのが、入り組んだ人間関係の解決に全く役立たない。3の宿屋での宗近君と甲野さんの会話の中にゴーディアン・ノットという言葉が出てくるが、それが必要なようである。列車の場面で出てくる駅弁とか、甲野の母を迎えた宗近の父が勧める和菓子(柿羊羹)、博覧会の会場で一行が食べる〔「チョコレートを塗った卵糖(カステラ)」などにこだわって、この小説の時代の雰囲気を考えてみるのもいいかもしれない。
 
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