北杜夫『どくとるマンボウ青春記』

4月28日(金)曇りのち晴れ

 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫)は、1968年に中央公論社から刊行された著者の旧制松本高校、東北大学医学部で過ごした若き日々の回顧録を文庫化したものである。しばしば旧制高校の教育を礼賛した書物と評価されているが、大学時代の思い出も含まれていること、著者が少しばかりであるかもしれないが、旧制高校での生活についていけないものを感じていたことも記されていることを見逃してはならないと思う。また、1964年(私が大学に進学した年である)の慶應義塾大学における学費値上げ反対運動あたりから始まって、次第に大学における学園闘争が激しくなっていた時期にこの書物が刊行されていることも考えさせられるところがある。

 著者の過ごした旧制高校生活には2つの側面があり、1つは生徒の自治や自由を重視し、学校の授業を超えて人生を学ぶより大きな学問を身につけようとした(実態としては、ただ勉強を怠けていただけじゃないかという指摘もあるかもしれない)「蛮からな」、旧制高校の歴史全般を通じて指摘される特徴と、もう一つは終戦直後の生活困難と社会改革、特に旧制高校の廃止を含む学制改革の中での生活の特徴である。もっとも北さんはその中では生活困難の方を強調しているように思われる。さらに言えば、他の高校には見られなかった、松本高校だけの特徴というのもあって、例えば、あいさつとして「バッキャロー」といっていたというのは、松本高校だけの習慣である。(生前にTVなどで見かけた北さんの態度は、きわめて礼儀正しいものであり、「バッキャロー」というような乱暴な挨拶とは無縁な方に見受けられた。もちろん、年齢を重ねてそのように変化したということもあるだろうが、旧制高校の多少乱暴な生活の中で、それに対して批判的な目も持ち合わせていたことは、本文を読めばわかることである。)

 著者は「旧制高校というところは、これまた複雑怪奇である。まず、その教師からして変っている。」(56ページ)と書き、その教師たちの奇行や愚行を書き連ねる。もっとも生徒たちがそういう側面しか見なかったという部分を差し引いて読む必要がある。著者自身も「わざとおかしな例ばかり書いたが、旧制高校の先生のよい点は、生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれることであろう。」(62ページ) と付け加えている。他の点では問題があっても、とにかく「生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれる」ような先生は、時代と場所を超えて、どのような教育機関にも必要な存在には違いない。もう一つ重視してよいのは、旧制高校における寮生活、特に寮生の自治活動を通じての自治訓練や同世代教育の存在であり、学寮制を高等教育の中で全面的に採用することは不可能だとしても、自治活動や同世代教育の余地を確保することも考えるべきであろう。

 ところで、私は最初の方で学園闘争について書いた。その背景をなしているのは、大学をはじめとする高等教育の大衆化ということである。1960年代に入り、大学がやたらと新増設され、学生の数が増えた。その結果として様々な問題が生じたが、その主なものは、大学の財政が苦しくなったこと、また人事や施設の維持管理など経営上の問題が複雑になったこと、さらに量的な拡大に伴って学生の質も変質したこと、そのため大学教育の内容の不適切性が顕著になってきたことなどである。

 旧制高校の先生が生徒に親身に接したのは、教師も生徒も同じ共同体の仲間であるという認識があったからである。旧制高校というのは戦前の日本に(数え方によって違うが)30校余りしかなかったエリート教育機関であって、そのために教師と生徒との間に共同体としての意識が芽生えやすかったのである。戦後の学制改革で旧制高校は廃止されて、大学の教養部や文理学部になった。そのことに異議を唱えたり、反対した教師や生徒が少なくなかったことは記憶されてよいし、どくとるマンボウがこの『青春記』の中で愛情をこめて描き出している松本高校の名物教師蛭川幸茂などはその中の代表的な1人である。
 ところで、戦後の学制改革はそれまではヨーロッパ風であった日本の高等教育を、アメリカ風に改造しようとしたといえるだろうが、都留重人さんの『師友雁信録』や犬養道子さんの『マーティン街日記』を読めばわかるように、アメリカのエリート・カレッジにもそのような教師と学生との共同体的な意識は存在したし、アメリカの大学には学生組合やフラタニティー、ソローリティーなどの活動もあって、学生の自治訓練・同世代教育の場も十分に確保されているわけで、戦後の学制改革の中で、日米の高等教育の最良の部分のコミュニケーションがつながらなかったことが惜しまれる。

 いずれにせよ、戦後、特に1960年代以後の大衆化した大学で旧制高校流の師弟関係を求めるのは、以前に比べてむずかしくなってきたのはある意味で当然のことである。私が大学生だった時代というのは、大学の大衆化が急速に進行する時代であったのだが、自分自身がそのことを自覚していたという記憶はまったくない。また、先生方、特に教授クラスの方々は、旧制の教育を受けて方々が大部分で、それゆえ大学教育の大衆化に向き合うという姿勢の先生は少数であったと思う。抜本的な改革が必要になっている時期に、その必要性を認識している人があまりいなかったことはその後の日本の高等教育にきわめて好ましからざる影響を及ぼした。また学生の自治会活動が過激化し、分裂を重ねて退潮したのも惜しまれるところである。

 作家であり、ある時期までは医師であった北さんが、旧制高校の教育を懐かしがること、その中のある要素を学制改革以後の高等教育にも求めることは当然ではあろうが、大学の先生が同じような懐旧の念だけでこの書物に接するのは問題であろう。(もっとも著者をはじめ、この書物に懐旧の念を抱いたであろう昭和一桁生まれの方々は次第に鬼籍に入られている。) むしろ、この書物の中に隠されている旧制高校についての批判的な意見に目を向け、旧制高校の教育の批判的な継承の可能性をさぐる方が生産的に思われる。時代の変化に対応して、本の読み方が変わってもいいし、この本はそういう読み方を変えながら読み継がれていくべき本だと思った次第である。

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