ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(17-2)

4月19日(水)曇りのち晴れ、依然として気温が高い
 ベアトリーチェに導かれて、天空の世界へと旅立ったダンテは月天、水星天、金星天、太陽天を経て、火星天に到着する。ここで彼は十字軍に加わって戦死した、彼の玄祖父であるカッチャグイーダの魂に迎えられる。カッチャグイーダは彼が生きていた時代のフィレンツェの貴族と市民が平和に共存していた様子を語り、この旅行から戻った後のダンテの運命を予言する。彼は金銭を必要とする画策により、彼と結んだ(大銀行家と教皇党貴族からなる)黒派によってフィレンツェを追放され、友人や家族、名誉を失い、つらい亡命生活に入るという。彼はともに追放された仲間たちからも裏切られることになるので、一人一党を貫く方がよいともいわれる。

おまえが最初に避難し最初に客として遇されるのは
階段の上に聖なる鳥を戴く
偉大なるロンバルディア人の大きな懐であろう。

この方はおまえに対して深い敬意を示してくださり、
行うことと求めることが、お前たち二人の間では、
他の人々の間で後にくるものが先に来ることになる。
(260-261ページ) カッチャグイーダは、亡命者ダンテを最初に迎え入れるのはヴェローナを支配した皇帝党スカーラ家(1311年以降皇帝代理)の当主であったバルトロメオ・デッラ・スカーラ(?-1304)であるという。(これはもちろん、1300年以後にダンテが経験したことを、「予言」の形で事後に語っているのである。)1291年にバルトロメオと皇帝フェデリコ2世の孫娘が結婚して以来、スカーラ家の旗は、階段の上に皇帝の象徴である鷲の図柄になったとされる。バルトロメオは、ダンテが何かを求める前に進んで与えたことが合わせて語られている。

この方とともにおまえは見ることになる、
生まれるにあたってこの猛き星の刻印が押された人物を。
それゆえにその人物の武勲は記憶に残るものとなるのだ。

幼い年齢ゆえ、人々はいまだこのことに
気づいてはおらぬ。なぜならこれらの天輪は
わずか九年しかこの人物の周囲をめぐってはいないからだ。
(261ページ) さらに当時まだ9歳であったバルトロメオの弟カングランデ・デッラ・スカーラ(1291-1329)がイタリアにおける帝国復活の希望を担って活動することになるだろうという。

おまえはその人物と彼の恩恵に期待の目を向けるがよい。
その方のおかげで富めるものも物乞いも境遇が変わり、
多くの人々の立場が変えられるであろう。
(262ページ) カングランデの政治によって、立場によって利害の異なる社会の各階層の状況、生活は一変するだろうというのである。そして、自分の未来の運命を知ったダンテに次のようにいう。
わしはこれが原因となっておまえが隣人たちを妬むようになってほしくはない。
なぜならお前の生命は、その者達の邪悪に罰が下る時点を超えて
未来へとはるか遠くに続いていくからだ」
(263ページ)と語っていったん口をつぐむ。

 ダンテはしかし、死後の世界の旅で多くの人の消息や出来事を聞いたが、それを地上で話せば人々の怒りを買い、黙っていれば、真実を隠したものとして、後世において自身への評価が消え去ってしまうのではないかとたずねる。
さらには星の輝きから輝きをめぐりながら空の中で、
私は聞きました、私がそのまま伝えるとすれば、
多くの人々に強烈な苦みを味わわせるようなことを。

その一方で、もし私が真実にとって意気地のない友であれば、
この時代を昔と呼ぶことになる人々の間で
生命を失うでしょう。そのことを私は恐れます。
(264-265ページ) 

 これに対してカッチャグイーダは次のように答える。
・・・「自身の、あるいは縁故のものの
恥ずべき行いにより曇った良心は、
まさしくお前の言葉を責めと感じるであろう。

しかしそれでも、あらゆる偽りを退けて、
おまえの見た一切を明らかにするのだ。
疥癬のある場所は好きに掻かせておけばよい。

というのも、お前の声は味わったばかりでは
かみつくような痛みを覚えさせるであろうが、消化されたあかつきには
生命に溢れた滋養を残すであろうからだ。

このおまえの叫びは風のように轟くであろう、
最も高い頂という頂をひときわ激しく撃つ風のように。
これが栄誉を受ける少なからぬ理由ともなる。
(266ページ) カッチャグイーダはダンテに、真実は人類の役に立ち、特にダンテの言葉は有力者や重要人物にも影響を与えるだろうから真実を語らなければならないと答えた。「高い頂」は、地上の有力者や高位の人物を意味するという説、「頂」を塔の頂と解釈して、都市の暴力的な有力者を暗示するという説があるそうである。

このことゆえに、おまえはこれらの天輪の中で、
山の中で、苦しみに満ちた谷底で、
名の知られた魂達だけを見せられてきた。

なぜならば、聞く者の心は、
目に見えぬ、人に知られぬものからなされた例や、
それ以外でも根拠のない論証による例では、

納得することも、さらには固く信ずることもできぬからだ」。
(266-267ページ) ダンテはこれまでの旅で、名高い人物ばかりに引き合わされてきたが、その死後の姿を記すことは地上の世界の多くの読者、その中には多くの為政者や学者たち(その多くは官僚である)がいるだろうが、それらの人々に確実な影響を与えるだろうと告げた。(カッチャグイーダは第15歌で彼の息子であるダンテの曽祖父が煉獄の第一環道を百年以上も回っていると告げたが、ダンテ自身はそのことを知らずに煉獄の第一環道を通過している。これは曽祖父との対話が、読者にとって意義あるものではないという判断のためと考えられる。)

 ダンテは1316年ごろにトスカーナを離れ、今回紹介したヴェローナのカングランデのもとに1320年ごろまで滞在する。ダンテは、カングランデを高く評価し、皇帝代理である彼にイタリアにおける皇帝権の復活の希望を託し、『天国篇』を捧げているが、カングランデは『天国篇』の反教皇庁的な姿勢を危惧し、出版に踏み切らなかった。原さんの「「天国篇」を読む前に」によると、カングランデの宮廷はダンテにとって必ずしも居心地の良いものでなかったようで、ダンテがカングランデに、なぜあなた(ダンテ)は宮廷の道化師ほどにも皆に喜ばれないのかと訪ねられ、人は己に似たものを評価するからですと答えたという逸話などが、ペトラルカによって伝えられているという。

 こうして彼は1320年ごろからラヴェンナのグイド・ダ・ポレンタのもとに移り、1321年にヴェネツィアへの外交交渉に出た帰りに、マラリアにかかって、ラヴェンナに戻った後この世を去っている。西ローマ帝国が亡びた時の最後の首都がラヴェンナであったのは、皇帝によるイタリア統一というダンテの希望と符合しているように思われる。

 さて、今回の文章を書きながら、私は19世紀の詩人ハイネの次のような文章を思い出した:
ダンテがベローナ(ヴェローナ)の街路を行くとき、民衆は彼を指さし、「あの人は地獄に行ってきたんだ」と囁いた。さもなくばいったいどうして地獄とすべての苦悶をあれだけ忠実に描くことができるだろうか、というわけである。そのような畏敬に満ちた信仰があるとき、…この偉大な詩人ダンテの精神から湧き出た、苦しみもがくすべての人物たちの話もどれだけか深い力を発揮するだろう…」(木庭一郎(1991)『ハイネとオルテガ』、123ページより重引)。
 ダンテが、自分の将来の運命と、自分が死後の世界への旅行によって見聞きしたことを明らかにしていくという使命とを知らされたところで、第17歌は終わる。
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