ムルタテューリ『マックス・ハーフェラール』

4月18日(火)晴れたり曇ったり、変わりやすい天気、気温上昇

 大学に入学した直後のことだったと記憶するが、第二外国語の選択をめぐる新入生へのガイダンスがあって、先生方が何を話されたのかは忘れてしまったが、出席された先生方の1人であった塩谷饒先生がドイツ語を勉強すると、オランダ語の勉強にも役立つと言われたのだけ記憶している。後で知ったことであるが、塩谷先生は教養部でドイツ語を教えられているだけでなく、文学部でオランダ語も教えられていたのであった。しかし考えてみると、我々の生活の中でオランダ語が必要になる場面というのはあまり多くない。それに英語ができるオランダ人は多いのである。

 そのオランダ語が必要になる数少ない場面の1つが、オランダの植民地であったころのインドネシアの歴史について研究することである。また、オランダ近代文学の中で傑作に数えられるムルタテューリMultatuli (本名Eduard Douwes Dekker, 1820-1887)の小説『マックス・ハーフェラール』(Max Havelaar)は、ジャワやスマトラで植民地官吏として働いた著者の経験をもとに、オランダのインドネシア(当時は東インド)植民地支配の問題点を描いた作品である。

 当時のジャワは18の理事州に分けられ、それぞれの理事州にオランダ人の理事官が最高責任者として配置されていた。さらに理事州はいくつかの郡に分けられ、それぞれの郡にオランダ人の副理事官が責任者として任命されていたほか、ジャワの有力な貴族が首長(オランダ人はこれをレヘントと呼んだ)として任命されていた。レヘントたちはジャワの各地で、住民に対して無償労働を要求したり、家畜を無償で供出されたりという不正を働き、そのために窮乏化した住民たちは難民として流出することさえあった。しかも東インド政庁の首脳は腐敗と事なかれ主義に陥っていて、この問題に深入りせず、したがって本国の政府に東インドの実情が伝わることはなかった。ムルタテューリは郡の副理事官として在職中にこれらの不正と戦い、その結果職を解かれたのちに今度は小説の題材としてこの問題を取り上げたのである。

 さて、この小説は昭和17年(1942)に『蘭印に正義を叫ぶマックス・ハーフェラール』という題名で朝倉純孝による翻訳が刊行されているそうであるが、目にしたことはない。しかし、私の手元に平成元年(1989)に大学書林から刊行された渋沢元則訳注の『マックス・ハーフェラール』がある。これはこの長大な小説の最初の3章だけをオランダ語と日本語の対訳でまとめたものであるが、それだけでなく、英語、フランス語、インドネシア語への翻訳のテキストも紹介されている。最初に述べた、塩谷先生の言葉を思い出すと、ドイツ語がないのが残念であるが、並べて比べてみると各言語の特徴がよくわかるのではないかと思う。それで、書きだしの1文だけであるが、書き連ねてみようと思う。

オランダ語
Ik ben makelaar in koffie, enwoon op de Lauriergracht, no. 37.
英語
I am a coffee broker, and I live at No.37 Lauriergrachat, Amsterdam.
フランス語
Je suis courtier en café. J'habite Lauriergrachat, nº 37.
インドネシア語
Saja adalah makelar kopi, tinggal di Lauriergrachat No. 37.
日本語
私はコーヒーの仲買人であり、ラウリールフラフト街37番地に住んでいる。

 「仲買人」というインドネシア語(makalar)の単語がたぶん、オランダ語(makelaar)からの外来語らしいことなど比較的容易に推測できる。また英訳だけ、ラウリールフラフト街がアムステルダムにあると付け加えているのは翻訳者が気をまわしたのだろうが、興味深い。
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