ヒッコリー・ロードの殺人

5月10日(金)晴れ後曇り

 クリスティーの『ヒッコリーロードの殺人』(Hickory,Dickory,Dock, 1955)を読み返している。第二次世界大戦後、少し落ち着いてきたロンドンの学生寮で起きた連続殺人事件にポアロが取り組む。学生寮と書いたが、もともとの英語ではStudent hostelと表現されているらしく、個人の所有で学生だけでなく一般の勤め人も入居させている。バス・トイレは共用、食事つきである。持ち主はニコレティス夫人という感情の定まらない老夫人であるが、ハバード夫人という実務能力にたけた経営者がいて、寮の生活を取り仕切っている。ところが、この寮でしきりに奇妙な盗難事件が起きてハバード夫人を悩ませる。

 ハバード夫人というのが実はポアロのきわめて有能な秘書のミス・レモンの姉であり、姉の心配事が妹に伝染して、ミス・レモンが彼女にあるまじき仕事上の間違いをする。そこで気になったポアロがヒッコリー・ロードにある学生寮に出かける。(ヒッコリー・ロードは架空の地名で、ロンドンのたぶんウェスト・エンドのどこかであろう。リージェント・パークが出てくるからその近くと考えればよいかもしれない。)

 盗難事件そのものは簡単に片付き、寮で生活する心理学者の卵コリンの気をひくためにおこなった、同じく寮で生活する薬剤師のシーリアの仕業とわかる。そして二人は婚約を発表するが、あくる朝に、シーリアが死体で発見される。最初自殺と思われるが、そうではないという確たる証拠が出てくる。一連の事件の中には、シーリアが自分でしたのではないと言っていたものがあり、何かもっと奥の深い奇怪な事件があるように思われる。寮に不穏な空気が立ち込める。

 学生寮が舞台になっているので、コリンとシーリアの他に、中世史専攻のナイジェルと考古学専攻のパトリシア、医学生のレンとアメリカ人でフルブライト留学生のサリーという3組の男女の関係が展開する。その行き先はある程度まで予想がつくものではあるが、必ずしも後味のいい結末とはならない。犯人がわかる前に読んでも、分かってから読んでもあまりこの印象は変わらないのではないか。おそらくはそのために、この作品はそれほど人気のあるものではないが、ロンドンの大学の中で、時代も違うしごく短期間ではあるが暮らした経験がある私にとってはある種の身近さが感じられる作品である。この中にアキボンボというアフリカからの今ひとつ英語が達者でない留学生が出てくるが、彼の言動を見ていると何となく自分のロンドンでの生活が思いだされて苦笑せざるを得ない。

 つけ加えておくと、ロンドン大学というのは学位授与機関であって、研究や教育は個々の高等教育機関が行っている。その中でユニヴァーシティ・カレッジとキングズ・カレッジが総合的な高等教育機関としてさまざまな学部をもっている他に、この時代は理系のインペリアル・カレッジと社会科学系のロンドン・スクール・オヴ・エコノミクス(LSE)という2つの専門教育機関がその傘下に入っていた。今ではインペリアル・カレッジはロンドン大学から独立しているので、インペリアル大学などと紹介されている。ユニヴァーシティ・カレッジ、キングズ・カレッジ、それにインペリアル・カレッジのそれぞれに医学部や付属病院がある他に、ロンドン大学の傘下にある医学校や病院は他にもある。それでコリンとレンはセント・キャザリン病院に所属しているというのだが、これは架空の病院らしく(全部ではないと思うが、ホームズに出てくる病院はセント・バーソロミュー病院、チャリング・クロス病院など実在のものが多い)、したがって彼らがロンドン大学のどこのカレッジの所属なのかは推定しがたい。

 クリスティーはナーサリー・ライム(イングランドの伝承的なわらべ歌)から発想を得た作品を多く書いているが、これもその一つ。ただし、題名と内容のつながりがもう一つ弱いようにも思える。しかし全般的に言えば、クリスティーのわらべ歌や古典からの引用の生かし方は実に巧みであることも付け加えておこう。それが具体的にどういうことかは、これから書いていくつもりである。
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