『太平記』(151)

3月26日(日)雨

 いったんは京都を占拠したものの、宮方の反攻を支えきれず、九州に落ち延びた足利尊氏・直義兄弟はわずかな軍勢で筑前多々良浜に上陸、宗像大宮司の館に迎え入れられた。宮方の菊池武俊が尊氏が頼りにしていた少弐貞経の城を攻め落とし、さらに多々良浜に押し寄せた。軍勢の多寡から見れば、圧倒的に宮方が有利であったが、時の運に恵まれたのであろうか、尊氏軍は百倍に余る菊池軍を退け、さらに菊池の居城を攻め落として、九国二島(九州の筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩の9国と壱岐、対馬の2島)を制圧した。

 今回から第16巻に入る。建武3年(1336)2月、尊氏が九州へと落ちのびた時に、四国および中国地方、さらに九州の足利方の武士たちは、気勢をなくして慌て惑い、あるいは山林に隠れ、あるいは縁者のもとに身を寄せ、旗色をかえて新田義貞の命令書を受け取るものもあった。このときに、義貞がすぐさま足利方の武士たちの討伐に赴いていたら、一人として降参しないということは無かったはずであるが、このとき、もしすぐに各地の足利方の武士たちを討伐に出かけていれば、足利方の武士たちの中で降参せずに、宮方と戦い続けたものはいなかったはずであるが、これまで同様新田勢は長時間にわたる軍議に時間を使ってしまって、討伐の機会を失っていた。さらに義貞は、そのころ、世間に美人としての評価が高かった勾当内侍(後醍醐天皇の側近の一条行房の娘。行房の妹とする文献もあるそうである。「勾当内侍」というのは、天皇の身の回りのお世話をする女官たちの三等官の長であり、本名を呼ばずに職名で呼んでいる)を妻として天皇からいただき、尊び寵愛し始めた頃で、わずかな時間でも別々になってしまうのを嫌がり、建武3年3月の末まで、西国への遠征を延期していたが、このことこそ傾城傾国、つまり美女が城や国を傾けるという故事の通りであった。

 義貞がグズグズしているうちに、丹波では久下、中沢、荻野、波々伯部(ほうかべ)らの武士たちが、足利一族の仁木頼章を大将として、高山寺(兵庫県丹波市氷上町の弘波山上にあった)を山城として立てこもった。播磨では赤松入道円心が白旗山(兵庫県赤穂郡上郡町)に城を構えて、宮方の討伐軍の来襲に備えていた。
 美作では、この地に勢力を張っている菅原一族の江見、弘戸、その他の武士たちが奈義能山(岡山県勝田郡奈義町と鳥取県八頭郡智頭町との境にある)、その東南にある菩提寺(勝田郡奈義町高円)に城を築いて国中で無法を働いた。
 備前では土地の田井、飽浦(あくら)、内藤、頓宮(はやみ)、松田、福林寺などという武士たちが、足利一族の石橋和義という武士を大将として、甲斐川、三石(備前市三石)に城を構えて水陸両方からの宮方の来襲に備えようとしていた。
 備中では庄、真壁、陶山、成合(なりあい)、新見、多地部(たじめ)などの武士たちの一族が、勢山(せやま、倉敷市真備町の妹山)で防御を固めて、鳥も通えぬほど厳重に城柵を築いた。

 さらにこれから西の、備後、安芸、周防、長門は言うまでもなく、四国、九州の武士たちも、尊氏方に味方しないと立ち行かないので、本心がどうであれ、足利方に従いなびかないということはなかったのである。

 西日本の各地で城郭が築かれ、固められ、また諸国の武士たちの蜂起の情報がすべて京都へと伝えられたので、さらに東国で足利方の勢力が強大になってはかなわないと、北畠顕家卿を鎮守府将軍に任じて奥州へと派遣した。鎮守府は奥州平定のために置かれた軍府である。歴史的な事実としては、顕家が鎮守府将軍になったのは、これよりも早く建武2年11月、陸奥守になったのはさらに早く元弘3年8月のことだそうである。 

 新田義貞には、山陰道8か国(丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐)、山陽道8か国(播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門)、計16か国の管領(政務全体の管理)を許されて、尊氏追討の宣旨が下された。義貞は天皇のご命令を受けて、西国に旅立とうとしていたその矢先におこりの病を発病して、体を動かすことができなかったので、まず新田一族の江田行義、大館氏明の2人を播磨へと派遣したのであった。

 赤松円心はこれを聴いて、敵を踏みとどまらせるようなことがあってはいけないと思い、備前、播磨両国の武士たちを糾合して、書写山(兵庫県姫路市北西部)の麓の坂本に押し寄せたので、江田、大館を大将とする宮方の軍勢は室山(兵庫県たつの市御津町室山)で対戦した。宮方の兵が赤松軍を破り、江田、大館は、勢いを増して、この勢いならば西国の足利方を討伐することは容易であると京都に向けてしきりに文書を発送した。

 義貞は勾当内侍への愛情に溺れたり、病気になったりで、尊氏方攻略の機を逃す少し間抜けな武将として描かれている。それでも、江田、大館からの知らせを受け取って、いよいよ重い腰を上げることになる。宮方としてみれば、九州から大軍が押し寄せてくる前に、中国地方の尊氏方の武士たちを抑え込んでおきたいところであるが、果たしてどのような展開になるか。尊氏方の中心になるのは赤松円心であるが、九州から尊氏・直義兄弟が戻ってくるまで自分たちの勢力だけで宮方の攻勢に対抗できるかどうか、気になるところである。丹後の荻野のようにいつの間にか尊氏方になっている武士もいるので、本文を気を付けて読んでいく必要がある。
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