「春を待つ雪」と「雪の瀬川」

2月20日(月)晴れのち曇り、風が強い

 蔵書の整理をしていたら、宇野信夫『江戸おとし咄 夜の客」(集英社文庫)という本を見つけた。昭和59年(1984)発行で定価を見ると300円とある。この30年余りの間にずいぶん本の値段が上がったことを改めて確認した(それにあの頃は、消費税などというものはなかった)…という話はさておいて。

 この本は、「序にかえて」で劇作家である著者が書いている通り、子どものころから親しんできた古典落語のいくつかを、自分なりに書きかえた。それもこれも「語られる落語を、書かれた落語として残しておきたい」(7ページ)という思いからであるという。

 ざっと目を通してみて、気づいたのは、この中に収められている「春を待つ雪」という咄が中公文庫の『圓生人情噺(中)』に収められている「雪の瀬川」と同じ話だということで、改めて書架を探して、『圓生人情噺(中)』を見つけ出した。(こんなことだから、蔵書はいつまでたっても片付かない。) こちらは昭和55年(1980)発行で定価は420円であった。以前、読んだ時には気づかなかったのだが、この本を監修しているのが宇野信夫で、解説も書いている。その解説にも記されているが、6代目の三遊亭圓生(1900-1979)はこれらの文庫本が出版されたころには世を去っていた。圓生が高座にかける際に凝らしていた工夫を知り抜いている宇野がどのように自分なりの物語を語ろうとしたか、両者を比べてみよう。(宇野の「春を待つ雪」の方が簡単なので、こちらを主にして、圓生の「雪の瀬川」とどこが違うかを見ていくことにする。)

 江戸は芝口一丁目の松屋という茶道具屋の若旦那の清三郎が吉原半蔵松葉の瀬川という花魁に熱を上げ、通い続けているので、父親が、親類のものを集めて相談のうえ、懲らしめのために勘当ということになり、家を追い出された。(「雪の瀬川」では、若旦那は古河の大金持ちの跡取りで善次郎といい、人間がまじめすぎるので少しは遊びを覚えてほしいと親の計らいで江戸に出されたという設定になっている。さらに、周囲の人間がいろいろと画策して、吉原へと連れ出し、瀬川と引き合わせる家庭も詳しく描き出されている。)

 はじめのうちは金もあったので、人の家の二階を借りて、毎晩のように松葉に通っていたが、松葉の主人がこの様子では勘当が赦されるわけはなく、本人のためにならない、また瀬川のためにもならないからといって、二人が会えないようにする。そのうち、若旦那は金もなくなり、ああ俺が悪かった、今更どこへ行くこともできず、いっそ死んだ方がいいと思い込んで、吾妻橋から身を投げようとするところを、店の使用人で、ふとした過ちから暇を出されて、本所松倉町に裏屋住まいをして紙屑買いを渡世にしている源六というものに助けられる。(「雪の瀬川」では勘当されてから松葉に通ったというくだりはなく、金がなくなって永代橋の上をうろうろしていると、元使用人の忠蔵という男に助けらる。忠蔵はやはり店で働いていたお勝という女といい仲になり、2人で江戸に逃げて麻布の谷町というところに住んで、神屑屋をやっている。)

 源六は、家へ連れてきて、女房にも話をして、その日稼ぎの貧乏人ではあるけれども、夫婦してよく若旦那の面倒を見る。そのうち、暮の20日、朝から雨が降るので、源六は商売に出かけることができない。清三郎は瀬川に手紙を届けてほしいという。直接手渡すわけにはいかないから、贔屓にしていた幇間の富本米太夫のところに行って手紙を預けてほしいというのである。
 源六が米太夫のところに行くと、借金取りと間違えられて初めのうちは居留守をつかわれるが、若旦那からの便りと聞いて飛び出してきて、手紙を預かり、瀬川のところに出かける。(「雪の瀬川」では、若旦那が瀬川に手紙を書くというと、忠蔵がそんなことはやめなさいと言って、瀬川の若旦那への想いを疑うが、それでも不承不承使いに出ることになっている。また、手紙の仲立ちをする幇間は五蝶という名になっている。使いのものを借金の取り立てと間違えて居留守を使うのは同じである。)

 米太夫が瀬川のところに出かけると、ちょうどお客が帰った後で、「花魁は床へ花を活けてお茶を点てて一服飲んでいる」(52ページ)。〔いかにも格式高い遊女という感じであるが、それまで取っていた客があまり気に入らないから、ここで気分を切り替えているという様子にも受け取れる。〕 米太夫から手紙を受け取った瀬川は、清三郎の窮状を知り、涙ぐむが、返事を書いて、お金を一両紙に包み、一両は使い賃だと言って米太夫から源六に渡してくれるように言う。(「雪の瀬川」では五蝶が博打で借金をこしらえて表に出られないので、さらに使いのものを頼むことになっている。手紙を読んだ瀬川が泣いてしまって、返事が書けず、「書き損じては破り、破っては書き、見てる間に屑かごへ三杯ばかり屑がたまる」(『圓生人情噺(中) 雪の瀬川』(67ページ)というありさまだったと伝える。)

 源六が家に帰って、清三郎に手紙を見せる。手紙には雪か雨の降る晩に必ず廓を抜け出して清三郎に会いに行くと書かれていた。清三郎どころか源六も悪天候の日を待っていると、米太夫が現われて、当座の小遣いにと15両を置いてゆく。そして26日、雪が降っているので、瀬川が来るに違いないと用意をして待っているとなかなか来ない。源六の女房はお産の手伝いに大家さんから呼び出されて家を空ける。源六は清三郎を二階にあげて、貸本屋から頼まれた義士伝の写字をはじめたがそのうち寝てしまう。(「雪の瀬川」でも五蝶が忠蔵のところに金を届けてくる。忠蔵は相変わらず瀬川の真意を疑っているし、廓を抜け出すことは不可能だと決め込んでいる。女房がお産の手伝いに出かけ、義士伝を写字するのは同じである。)

 深夜、源六の住む路地に駕籠が入ってきたかと思うと、宗十郎頭巾をかぶって合羽を着た一人の背の高い武士が家へ入ってくる。これはどうしたことだと源六が慌てていると、武士は合羽をとり、頭巾を外すと、中から現れたのは瀬川花魁である。大きな髷に結った頭に頭巾をかぶっていたから背が高く見えたということで、二階から降りてきた清三郎と手に手を取り合って何も言わず涙にくれる。よもやま話をした後、瀬川はその夜のうちにまたしてあった駕籠に乗って吉原へ帰り、彼女が持ってきた金をもって、源六が芝口の店に出かけ、一番番頭を通じて一部始終を大旦那に伝えてほしいと頼んだところ、その骨折りが功を奏して、清三郎の勘当も赦され、瀬川を落籍して、二人は夫婦になって、松屋の跡を継いだという。(「雪の瀬川」では、合羽をとり、頭巾を脱ぐところの描写がより詳しくなっているが、読んでのお楽しみ。瀬川は廓へ戻らず、忠蔵が翌日店へ行って話をすると、父親が大病を患っているということもあって、勘当は許され、松葉屋へは身代金を払って、二人は夫婦になるという。店が江戸から15里離れた古河にあるということを忘れたような結末になっている。)

 「紺屋高尾」(5代目の古今亭志ん生は「幾代餅」として演じていた)と同様「傾城に誠あり」という咄であるが、もちろん、例外的な話だから語り継がれたということも忘れてはならないのである。圓生の高座は、落語らしいくすぐりもあり、また瀬川の服装の描写に見られる艶麗さもあって、(まだ耳の奥に残っている彼の声を思い出しながら)活字を追っていくのが楽しい。とくに、上記の梗概では省いてしまったが、忠蔵が善次郎を引き取る際に、大家さんに断りを入れると、大家さんがいろいろと助言をするくだりが面白い。食べ物について「くさやの干物なんざいいね、うん。通人が『ああ、こりゃちょいと乙なもんですな』なてんで喜ぶ。それもね、丸焼きにしたやつをお皿の上へのっけてつき出すなんざ、野暮でいけませんよ、うん。干物というものは、ま、お前も知ってるだろうが、ありゃ背中の方から焼くもんだ。おなかの方はひっくり返して、ちょいっと火にかけりゃそれでいい。それから頭を取って、まん中の骨もとってね、しっぽの方の皮はこりゃ取らなくっちゃいけませんよ… 一口でもって食べられるように、頃あいの大きさにこいつをむしってね、うーん、醤油はやはりいいのを使わなくっちゃいけない。それに味醂なぞがあるといいな。それをほんの心もちたらして、醤油をかけるわけだ。それからやはり鰹節(かつぶし)をかけなくちゃいけないだろう。香の物だって、沢庵の輪切りを出しておくなんてのは、こいつもやっぱり野暮でいけないからこう、隔夜(かくや)に切ってね、水へ泳がせて、ここで塩気を抜いてこいつを絞って、醤油(したじ)をかけて、鰹節はまァ、あってもなくてもいいようなもんだがやっぱりかけた方がよかろう」(『雪の瀬川』、54-55ページ) 食べ物一つとっても、とうとうと意見を開陳する世話好きな大家さんの見識、いやはや、どうも恐れ入りました。まだまだ大家さんの助言は続き、忠蔵は最後には、大家さんから鰹節を借りて家に戻る。ということで、六代目三遊亭圓生という落語家と人情噺の魅力を改めて認識し、いつまでたっても蔵書の整理は進まないというお粗末である。 
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