大隅和雄『中世の声と文字 親鸞の手紙と『平家物語』』

2月13日(月)晴れ

 大隅和雄『シリーズ<本と日本史>③ 中世の声と文字 親鸞の手紙と『平家物語』』(集英社新書)を読み終える。

 「まえがき」で著者は(旧制の)中学生として敗戦を迎えた時に、戦時中の教科書に墨を塗って使った経験に触れている。この経験から自分で、国史とは何かを考え、日本の歴史を確かめようと考えるようになったという。
 大学入学後、学生歴史研究会に参加した著者は、その当時、日本史に関心を持つ学生の間で必読書とされていた石母田正の『中世的世界の形成』(1946)に出会った。大学に入学したての学生にとっては難しい本であったが、第4章第2節「中世的世界」にたどり着いたとき、一挙に目の前が開けたように感じたという。
 この個所には、「世界史の中で、西洋世界以外で日本だけに、古代的なものを克服して、中世的世界が形成されたことを、山間の一荘園の歴史を辿ることで明らかにすること」(5ページ)が、この著書の目的であったと述べられていた〔そういうことは、一番初めに書いてほしいと思う。なお、『中世的世界の形成』は現在、岩波文庫=青帯に入っているので、比較的容易に入手できる。〕。またこの書物の中では、中世法としての「貞永式目」、代表的な文学作品として『平家物語』、親鸞による新しい仏教の創始の意義などが論じられていた。<本と日本史>のシリーズの中世の部分の執筆を依頼された時に、著者は石母田の著作を読んだ時のことを思い出したという。中世の本について考えようとするならば、「貞永式目」『平家物語』『歎異抄』を外すわけにはいかないと思ったそうである。

 「しかし、ここでは古代を克服して新しい世界を切り拓いた中世を考え、中世の人々の営為を読み取るというのではなく、むしろ中世を体現する本が、他の時代とは違って、中世にしか見られない作られ方の中で生まれ、享受されたことを、明らかにしたいと考えた」(6ページ)と著者は書いている。
 そこで、この書物では中世の人々がどんなことを語っていたのか、彼らの肉声を再現してみたいというのである。「中世の文化は、漢字漢文に親しむ貴族や、経論を学び梵字まで知っている僧侶だけが生みだしたわけではない。宮廷の文化は、仮名文字しか読めない女性によって支えられていたし、祭礼の歌や舞を担い、地方の歌謡を都に持ち込んで流行の旋風を起こした人々も無文字の人々であったに違いない。無文字の社会に豊かな文化があり、活発な知的活動もあった。
 文字のない社会では、言葉は声で伝えられ、記憶された。文字に書いて固定して、人々に読まれ、後世に伝えられる本は、中世では、無文字の社会の傍らで作られた。中世の本には、声の響きが残っている。それを聞き取る努力をしてみたい。」(7ページ)

 この書物は次のように構成されている。
 第1章「親鸞の著述」では、彼の主著というべき『教行信証』、門弟たちのために和文で書かれた『浄土三経往生文類』、『尊号真像銘文』、『一念多念文意』、『唯信鈔文意』、さらに彼が書き残した和讃、手紙などを取り上げ、彼が自分の教えを、文字を知らない民衆にどのように伝えようとしていたかの努力がたどられている。「信心に関する質問に対して、親しみ深く語りかけるような親鸞の返事は、質問を的確に、深く理解したうえで、易しいことばで綴られていたから、消息集は門弟たちにとって、かけがえのない経典となった」(51ページ)のである。

 第2章「中世の手紙」では、青蓮院紙背文書の中で圧倒的に多くを占めている藤原為房の妻の手紙からうかがわれる平安時代末期の人情や生活、法然の手紙、日蓮の手紙、「貞永式目」にかかわる北条泰時の手紙、親鸞の妻であった恵信尼の手紙、さらに中世の手紙に見られる「多様な文体と文字の工夫」について触れられている。手紙の実例を示したうえでの「親鸞の手紙が、相手とともに考え、信心を深めていこうとする立場で書かれているのに対し、法然の手紙は、教え導く姿勢で一貫しているように思われる」(67ページ)とか、泰時の手紙には「公家政権の政治に対する批判が、確かな自信を持って堂々と述べられている」(82ページ)とかいう指摘が興味深いし、説得力がある。

 第3章「世の移り行きを書く」では、「仮名文字で書く歴史」として『大鏡』から『増鏡』にいたる<鏡物>〔実際には『大鏡』が詳しく取り上げられているだけである〕、「合戦の顛末」として『将門記』、『陸奥話記』など漢文で書かれた初期の軍記物語、説話集である『今昔物語集』の中の合戦記が取り上げられている。さらに『愚管抄』が説く世の道理とその変化、「保元・平治の物語」として和漢混淆文で書かれた『保元物語』、『平治物語』、「治承寿永の乱」として『平家物語』の成立事情について、「琵琶法師の語り」として『平家物語』が語り物として民衆の間に流布していった過程を述べている。『平家物語』の異本について研究していくと、「本というものの、中世特有のあり方があったことを考えさせられる」(123ページ)という感想が印象に残る。

 第4章「平家の物語」では、『平家物語』のあらすじが原文を抄出しながら辿られている。物語を概観するのにはいいが、特に目新しい知見も述べられてはいないように思われる。

 「あとがき」で著者は、石母田が取り上げた3編の他に、『梁塵秘抄』を取り上げてもよかったかなという感想を述べている。
 「ことばとしての声を書き留める文字を作る前に、一字一字が意味と由来を持つ漢字を学んでしまった日本人は、声から文字へという自然な流れと逆に、文字を声に移すために文字に合う言葉を選ぶ、という努力を続けることになった。他の民族と地域に見られない声と文字の関係であり、声を文字(仮名)に書き留めることと、文字(漢字)を声に移すためにことば(和語)を選ぶ、という二つの営みが交錯する中で、文学的な文章を創造したのが中世文学の世界であった」(182ページ)と議論をまとめている。

 引用されている中世の文章には必ず現代語訳が添えてあり、歴史学研究に従事しながらも文学への関心を保ち続けてきた著者の長年の研究の成果が凝縮して込められているので、読みやすくわかりやすい書物であった。この本を読むきっかけとなったのが、2月12日の『朝日』の新書版の書物のコーナーにおける紹介を読んだことなのであるが、もう少し詳しく紹介してくれてもよかったのではないかと思う。私のこの記事も内容の紹介に終わって、自分自身の意見はほとんど書いていない。著者は日本史に西洋史の「中世」に対応する時代があったという石母田の立場を継承しているようであるが、そのことの妥当性、また「中世」と言いながら、その前半部分に関心を集中させていること(『太平記』についてはまったく、『徒然草』、『増鏡』については詳しくは触れていない)がどのような理由によるものか、結論的に述べられている「中世」におけることばと文字の関係など、著者にもう少し詳しく説明してほしいところもあるし、自分なりの意見もあるのだが、それはまた、機会を見つけて、その時に思い付いたテーマに即して書き記していこうと思う。
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