神奈川という川が流れていた

2月8日(水)晴れ

 神奈川県の中に横浜市があり、横浜市の中に神奈川区がある。(ちなみに、現在の神奈川区役所は昔、横浜市役所だった。)

 安政5年(1858)日米修好通商条約が結ばれた折に、安政元年(1854)の日米和親条約(神奈川条約)で開港されていた下田・箱館(函館)に加えて、近い将来に神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港することが決められた。しかし、実際には東海道の宿場町であった神奈川ではなく、漁師村であった横浜が開港された。このため、諸外国は条約違反であると抗議をしたが、幕府は横浜は神奈川の一部であると押し切った。

 神奈川は江戸時代、品川、川崎に続く東海道の宿場町であった。その名は、さらに古く鎌倉幕府の執権であった北条時宗が家臣に宛てた手紙の中に「神奈河」として登場するのが初めだそうである。もっとも、この一帯の鎮守である洲崎大社は源頼朝が安房の国から勧請したものだと言い伝えられており、神奈川の地名である幸ヶ谷はさらに古く源義家が命名したといわれるから、このあたりを往来する人はもっと昔からいたのである。

 さて、その神奈川という地名は、この地を流れていた川に由来するものだそうである。神奈川県高校地理部会編『かながわの川(上)』(神奈川新聞社、1989)に比佐隆三という人が書いているところによると、「京浜急行線の仲木戸駅そばの横浜市立神奈川小学校とタクシー会社の間にある道は、何の変哲もない通りである。しかし、この道が昔は川であり、神奈川の地名の起こりとなった場所といる人は少ない。/・・・現在は埋めたてられて道となった神奈川は幅が約2間(約3.6メートル)で長さは約300メートルと短い川であった。京浜急行のガード下の道幅は、当時の神奈川の川幅を示している」(10ページ)という。

 神奈川という川の名の起こりとして、この書物では郷土史家・高田善之さんのこの川はあまり水が流れておらず、水源も定かではなかったので、上流が無い川という意味から「上無川(かみなしがわ)」と呼ばれていたという説明を採用している。「かみなしがわ」⇒「かんながわ」⇒「かながわ」であるという。実は、神奈川は「金川」であるという説明を聞いたことがあり、どちらが正しいかはわからない。

 しかしその「由緒ある神奈川も、昭和4年には関東大震災後の区画整理で障害となり、埋められて消えてしまった」(11ページ)のはまことに残念な話である。近くを流れている滝の川とか、入江川のような地元の人間以外は知らないような(地元の人間でもその名を知らない人が少なくない)川が、とにかくまだ流れを保っているだけに、神奈川という川が流れていたことをもっと多くの人に知ってほしいと思う。

 京浜急行の仲木戸駅は、JRの東神奈川駅の東の方100メートルばかりのところにある。両方の駅を結ぶ陸橋が設けられているので、知っていると便利である。(なお、東神奈川駅は、東急の東白楽駅から歩いていける距離にあるので、これも知っておいた方がいいと思う。) 駅の名前が違うので、すぐ近くにあることに気付かないという例はほかにも少なくない。

 神奈川と横浜と同じように、兵庫県に神戸市があり、神戸市に兵庫区があることも興味深いが、その間の経緯についてはどなたかご教示ください。
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