ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(12-1)

2月2日(木)晴れ

 ベアトリーチェに導かれて、地上楽園から天上へと飛び立ったダンテは、月天で地上での<誓願を果たさなかった人々>、水星天で<地上での栄光を追い求めた人々>(それで神の栄光への思いがおろそかになった)、金星天で<人と人とを結びつける愛>に心を奪われ、神への愛を軽んじた人々の魂に迎えられた。そして太陽天に達して、神学者と哲学者の魂に出会う。彼を迎えたトマス・アクィナスの魂は、聖フランシスコの生涯と、彼とその修道会がドメニコ会とともに教会を支える存在であることを語る。

祝福された炎が最後の言葉を
話すやいなや、
聖なる石臼は回りはじめ、

その輪が一周し終わる前に
もう一つの輪がそれを取り囲み、
動きには動きを、歌には歌を美しく合わせた。
(180ページ) トマス・アクィナスら12人の神学者たちの霊がつくる輪は、水車小屋で水車によって回される石臼のように回転し、もう一つの輪が現われる。そうして奏でられる天上の音楽は、地上のいかなる音楽にも勝るものである。
・・・永遠の薔薇の
二つの花輪は私たちの周囲をめぐり、
外輪は内輪に唱和した。
(182ページ)

 そして、また新しい声が聞こえてきた。
・・・「私を美しくしている愛が
もう一人の司令官について話すよう私を誘う。
その方ゆえに我が司令官はこれほどの賞賛をここで受けているのだ。

一人がいる場所に、もう一人も紹介されることがふさわしい。
二人が一つになって戦ったのと同じく、
二人の栄光がともに輝きを放つよう。
・・・ (182-183ページ) ドメニコ会士であるトマスが、聖フランシスコについて語ったので、今度はドメニコ会の創始者である聖ドメニコについて語られる。彼もまた、教会が神の道を踏み外しているのを正すために天から派遣されたのだという。彼は誕生前から様々な力を発揮し、その偉大な仕事を予示したのである。

 そして彼は主dominusの所有格dominicus(主に属するもの)をその名とし、
ドメニコと彼は呼ばれたのだ。そこで私は彼のことを、
キリストがご自身の農園の助けとされるべく
選んだ農夫として語ることにしよう。
(187ページ) こうして、まだ名乗っていない霊から、ダンテは聖ドメニコと彼に続いた人々についての話を聞くことになる。その内容については、また次回。

 フランシスコ会とドメニコ会とが教会を支える車の両輪であるという考えは、『神曲』の中で、煉獄篇の終わりごろから盛んに繰り返されてきた主張で、ここでそれが集約的に説明されることになる。神学的な議論よりも、ダンテが使っている比喩や言葉の美しさの方に見るべき面があるのではないかと思う。〔なお、dominusとかdominicusとかいうのはラテン語で、ラテン語を勉強すると名詞や形容詞の格変化、動詞の人称変化や時制による変化などを暗記させられることになる。イタリア語には名詞の格変化はなくなっているので、その点は楽である。〕
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