ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(11-2)

 1月26日(木)晴れ

 ダンテはベアトリーチェに導かれて、地上楽園から天上の世界に飛び立ち、月天で<誓願を果たさなかった人々>の魂に迎えられ、続いて水星天で<地上での栄光を追い求めた人々>の魂に出会う。さらに金星天では<人と人を結びつける愛>に生きた人々の魂が彼を待っていた。これらの魂は至高天で神とともにいるのだが、そこでの神からの距離を示すために、ダンテに会いにやってきていたのである。さらにダンテは太陽天に達し、そこで<神学者・哲学者>の魂に出会う。ダンテを迎えたトマス・アクィナスの魂は、教会が神の意志に沿ってあるべき姿になるよう、フランチェスコ(フランシスコ)とドメニコの2人の修道会の創始者を地上に送ったと語る。そして聖フランチェスコの生涯を語り始める。

 トマスはフランチェスコが清貧を愛したことをたたえ、その生き方が多くの人々を引き付け、信仰の道を歩ませたと語る。
むしろ彼は王者のように自らの厳格な信念を
教皇インノケンティウスに明らかにし、教皇から
その修道会に対する最初の認可の印を受け取った。
(174ページ) 教皇インノケンティウスⅢ世(1160-1216)は教皇権力の絶頂を極めたとされるが、彼の時代はアルビジョワ派など異端が広がった時代であった。1210年に、彼は小さな兄弟会、つまりフランシスコ会を口頭で認可する。このあたりの経緯は、中公新書に入っていた堀米庸三の名著『正統と異端』に詳しい。

 フランシスコ会はその勢力を増し、そのために清貧を守らない会員が増えたために、改めて聖フランチェスコの生き方に学ぶことが強調されるようになり、教皇ホノリウスⅢ世(在位1216-27)はドメニコ会を認可、さらにフランシスコ会への認可を更新する一方で、アルビジョワ十字軍を支援して異端を一掃しようとした。
 聖フランチェスコはというと、エジプトのアイユーブ朝のスルターンであったカーミル(1170-1238)の改宗を試みるが失敗し、イタリアに戻って大きな成果を上げ、1224年には、受難を願って、燭天使の姿をしたキリストから聖痕を受けたといわれる。これはキリストが彼に与えた正しい信仰の証であった。
 そしてその死に臨んで
彼は、正しい相続人として自らの兄弟に
最も大切な貴婦人を託し、
彼女を忠実に愛するよう命じた。
(176ページ) 聖者は「相続人」であるフランシスコ会士たちに、彼の「貴婦人」清貧の徳を大切にし、愛するように命じたのである。
 
 さらに自らがドメニコ会士であったトマスの霊は、聖ドメニコについても語り、ドメニコ会の腐敗堕落を嘆く。
しかし彼の羊の群れは珍奇な食べ物を求めて
貪欲になりはて、それゆえ不可避的に
遠く離れた牧草地へと散らばった。

そして彼の羊達が遠くさまよって
彼から離れていくほど、
乳が出なくなって小屋に帰る。
(178ページ) ドメニコ会士たちは「珍奇な食べ物」=地上の富や金銭に拘泥し、神学から「遠く離れた」分野の教会法を学ぶようになった。人々に与えるべきドメニコ会士たちの「乳」とは、神学によって得られる精神の富のことである。トマスが「虚しく迷わねば人が善を富ませる場所」といった中の、「虚しく迷わねば」という言葉の意味についてダンテは疑問をもったのだが、地上の富を追い求めることが「虚しく迷」っていることであるとトマスは説明したのである。

 ドメニコ会士であったトマスがフランシスコ会の創始者について語る11歌が終わり、次に12歌ではフランシスコ会士の霊がドメニコ会の創始者について語ることになる。修道会は、キリスト教の内部における一種の革新運動であったのだが、都市と商工業の発展に伴って法律の必要性も増し、修道士たちが世俗的な事柄にかかわる機会も多くなってくると変容を余儀なくされる。変化をやむなしとする人もいたが、それを批判する人々もいた。一方で都市の金融業を営む市民の出身であり、他方で教会と修道会が信仰に立ち返り、清貧の徳を取り戻すことを望むダンテは、自分の中に対立する2つの要素を抱え込んだ矛盾に満ちた存在である。ここでは信仰を重視する保守的なダンテが勝っているように思うが、彼には別の一面もあったことを忘れてはなるまい。

 翻訳者である原さんは、聖フランチェスコ、フランチェスコ会とイタリア語読みによる表記を徹底されているが、修道会自身はフランシスコ会と称しているので、表記に迷うところである。むかし、アイルランドのコークの郊外を歩いていたところ、立派な礼拝堂があり、その前に中世から抜け出してきたような焦げ茶色のフランシスコ会の修道服の修道士が立っていて、けばけばしい身なりの若い女性に、お前近ごろ礼拝に来ないが駄目じゃないかというようなことを言っているのを見て、こちらは別に信仰はないのだが、ひどく感動したのを思い出す。その後、ダブリンの同じくフランシスコ会の礼拝堂で居合わせた信者の男性からこれを持っていると絶対に安全だからとお守りを渡された(今でもそのお守りは持っている)のと並んで、フランシスコ会についての忘れがたい思い出である。日本にもフランシスコ会系の学校がかなりの数あるので、どこがそうだか、関心のある方は調べてみてください。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR