貸間あり

1月24日(火)晴れ

 1月21日にシネマヴェーラ渋谷で「名脇役列伝Ⅰ 浪花千栄子でございます」の特集上映から、『江戸の悪太郎』(1959、東映、マキノ雅弘監督)と『貸間あり』(1959、宝塚映画、川島雄三監督)の2本を見たことについては、1月21日付の当ブログ「日記抄(1月15日~21日)」でも触れた。『貸間あり』は井伏鱒二の原作小説を川島と藤本義一が脚色し、川島が監督した作品で、私は井伏も川島も好き、さらにこの映画には浪花千栄子はもちろんであるが、フランキー堺、淡島千景、乙羽信子、清川虹子、桂小金治、山茶花究、藤木悠、小沢昭一、益田喜頓と主役、脇役として戦後の日本映画を彩ってきた俳優たちが出演しているから、やはりここで取り上げておくべきだと思った次第である。明日(1月25日)には小津安二郎の『小早川家の秋』と二本立てで上映されるので、まだご覧になっていない方は是非ご覧ください。私ももう一度見てみたいと思うのだが、ちょうど薬が切れて医者に行かなければならないのでどうなるか…。

 この映画を原作者である井伏は「どぎつく、汚い」と評し、気に入らなかったようであるが、そういうどぎつさ、汚さが大阪という町の一面であることは否定できない。
 映画は道頓堀の近くで若い男が怪しげな本を売りさばこうとしていて、このあたりを縄張りにする暴力団の連中から文句をつけられ、逃げ出す場面から始まる。逃げ込んだ先が、天牛という有名な古本屋である(現在は移転して、関西大学の近くに店を構えている)。そこに、頭を使う仕事なら何でも引き受けるというチラシが貼ってある。それを見た浪人生らしい男が、逃げてきた男に話しかける。何でも屋に予備校の模擬試験の代理受験を頼もうというのである。逃げてきた男は、この何でも屋と同じ場所に住んでいるという。

 通天閣が見える夕陽ケ丘の一角に建っている古い屋敷が、どういう理由からか大勢の間借り人を置いている。家主はご隠居と呼ばれている老人、賄のおばさんの食事を食べる間借り人がいるかと思えば、自炊している間借り人もいる。おでんのネタの卸だの、洋酒の密売だの、養蜂など間借り人の仕事は多様である。中でも目立つのは3人の男性の愛人を掛け持ちして、稼いでいる女性である。そうかと思えば、二階の広い部屋を使って、無線だの望遠鏡だのを備え付けて、原稿の代筆や怪しげな著述に精を出している男=何でも屋の与田五郎もいる。そこへ、陶芸家だという若い女性がパンフレットの原稿を書いてほしいとやってくる。そしてそのまま、間借り人に加わってしまう。天牛でビラを見てやってきた浪人生も五郎に弟子入りを志願し、部屋を借りようとしたのだが、先を越される。

 初めの部分だけの要約だけでも、登場人物が多く、その言動にまとまりがなく、あまりにも雑然としていることに呆然とさせられる。浪花千栄子といえば、藤沢恒夫・橘高薫風『川柳に見る大阪』という本にこんな句が紹介されている。
 法善寺浪花千栄子に似た女将(おかみ) かず子
 法善寺について、著者はこんな風に説明する:「法善寺界隈は、昔は今よりもっとごちゃごちゃした町だった。芝居裏と呼ばれた色町にも近く、行き交う男女の影にいささかの翳(かげり)があった。」(藤沢・橘高、102ページ) さらに上記を含む川柳を紹介したうえで、「これら一連の句は、ごちゃごちゃした中にも、何処か艶な雰囲気のある横丁を想像させる。」(同上)と続けている。
 この本に収められている川柳の特徴はやたら固有名詞が多いことで、法善寺も浪花千栄子も知らなければわからないというような句がほかにもある。天牛という古本屋が出てきたが
 天牛で咳してたのが作之助 岩井三窓
 天牛の棚を見上げた鍋井克 西尾 栞
(26ページ)という句もある。作之助は織田作之助、鍋井克は画家の鍋井克之のことである。こちらも、描かれている場所と人物についての予備知識がないと、雰囲気が味わえない。大阪は広いようで狭い町、川柳はその中でも狭いサークルで楽しまれていたということの反映であろうか。固有名詞にたよっている分、どんどん古くなっていく代わりに、百科事典の見出しのようにしぶとく生き延びていくようにも思われる。

 そういう大阪の市街地を見下ろしながら、住人たちがドタバタ喜劇を展開させていく。物語が複雑すぎて、その分、個々の登場人物の個人技が目立つことになる。何でも屋が浪人生から頼まれる代理受験が、だんだんスケールの大きい話になっていく(見てのお楽しみ)。三人の愛人を掛け持ちしている女性は、故郷に帰って結婚することになり、送別会が開かれる。送別の辞を執筆した何でも屋が風邪をひいて声が出ないという理由で、おでんのネタ卸が代読することになる。ここで「サヨナラだけが人生だ」という井伏の『厄除け詩集』の中の詩が読まれる。・・・

 井伏鱒二の小説は、かなりの数が映画化されているが、それぞれ出演者(森繫やフランキー)、脚本家や監督(渋谷実、川島…)の個性が前面に出てしまい、相当に原作から逸脱した出来栄えになっているように思われる。先日見た、『簪』は井伏原作というのがうなずける出来栄えであったが、これはおそらく清水宏と井伏の個性が近いからではないかと思う(そう断言できるほど、清水の作品を見ているわけではないが、弱い者に対するリアルだが温かい気持ちと視線というのは共通しているように思うのである)。

 既に書いたことだが、旧制中学の同期生である小沢昭一とフランキー堺が、代理受験を頼む予備校生と頼まれる何でも屋を演じており、楽屋裏を知っていると余計に面白いが、受験会場でフランキー堺が取材に来ていた記者から何度目の受験ですかと質問されたり、さらに教室でタバコを吸ったりする場面はそのままでもおかしい。そういえば、小沢昭一はこの2年後に中平康の『あいつと私』でも大学生を演じていたなと思い出す(早稲田出身の小沢が慶応の応援団に交じっているところがおかしかった)。宝塚で一緒だった乙羽信子と淡島千景についても同じような面白さが付きまとっている。

 そういうわけでシチュエーションの設定あり、ドタバタあり、楽屋落ちあり、雑多な笑いを詰め込んで、それぞれの出演者の個人技の寄せ集めというような体裁で雑然と進行する作品なのだが、「貸間あり」の下げ札にこだわっているおでんのネタ卸の桂小金治が何とか下げ札をくくりつけることに成功する幕切れが何とも投げやりなのが気になる。
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