志賀直哉と岩元禎

1月10日(火)晴れ

 昨年の末に、森鷗外の『青年』と夏目漱石の『三四郎』について書いた。この2つの作品はともに、明治の末に地方から東京に出てきた青年の出会う新しい経験を描いたもので、一種の<教養小説>と見ることができるが、主人公の成長の過程を描くという意味では、物語られている期間があまりにも短く、その短さをどのように解釈するかという問題が残る。またこの2つの作品を通じてうかがわれる鷗外と漱石のヨーロッパ文明に対する姿勢の違いにも注目する必要があるというようなことも書いておいた。簡単に言えば、鷗外は明治初期の啓蒙的な気分、ヨーロッパの新しい文物や思潮を取り入れて、日本をさらに開花させていこうという姿勢をもっていたのに対し、漱石はそれに対し懐疑的であり、19世紀から20世紀の転換期に現れてきたイプセンやニーチェに代表される思想に対する受け止め方にもそのことが現われているのではないかということである。

 しかしヨーロッパの文明に対する受け止め方は、啓蒙と懐疑という2つに尽きるわけではない。ヨーロッパの文明をその表面だけではなく、古典にまでさかのぼってとことん追求してみようという考え方をする人物もいた。旧制第一高等学校でドイツ語と哲学を教えていた岩元禎は、そういう人物であった。彼を『三四郎』に登場する<偉大なる暗闇>広田先生のモデルだというのは、一種の伝説にすぎないが、岩元が安定期を迎えた日本の教育の世界で、新たに出現し始めた教師の代表的な一例であったことは否定できないだろう。

 それでは、彼らに続く世代、特に『青年』の小泉純一や『三四郎』の小川三四郎とほぼ同世代の人々は、日本人としてどのようにヨーロッパの文明を受け止めるかという問題をどのように考えていたのか。その一例として、志賀直哉(1883-1971)を取り上げてみたい。
 柳田国男(1875-1962)は昭和32年(1957)12月から翌年3月にかけて『神戸新聞』に連載し、後に単行本としてまとめられた『故郷五十年』のなかで、明治39年の日記に「志賀直哉といふ人、ピネロの作全部を買ひたりと、如何なる人にや」(講談社学術文庫版、209ページ)と書いたと記している。柳田は30を過ぎたばかり、志賀は23歳か24歳で、東大の英文の学生であった。ピネロは、この時期人気のあった英国の劇作家で、志賀は英文科だから、彼の作品を読んでも不思議はない。ところが、高橋英夫による岩元禎の評伝『偉大なる暗闇』によると「この頃もしかすると志賀直哉は日本中の大学生で一番たくさん原書を買っていた一人ではなかろうか」(205ページ)という。そしてそう推測する理由として、柳田の回想を引き合いに出している。さらに推測を重ねて、そのような大購書家(大読書家ではない)としての志賀直哉(後年、書物とは縁のないような作家生活を送ることになる)の背後に岩元の影響を見るのである。
 高橋によると、岩元はある事情から、志賀直哉のドイツ語の家庭教師をしていたことがあって、学習院から東大に進学する時期の志賀の日記には岩元への直接・間接の言及がみられるという。そういう日記の一部が何個所か引用されているのだが、特に印象に残った個所を引用する。

○或る人が、近世文学だ、何んだアいつて、ギリシャ、ローマの文学にも精通せずに何がワカルものかといふ。
 此人の説だと、イプセンやトルストイなどを見る暇にホーマー、エシロスでも研究しろといふのだ。此人はホーマーと、エシロスさへよくワカれば、イプセンや、トルストイは自然にワカルものゝやうにいふ。
 絵についても同じ事をいつてる、
 イプセン劇の前編が、ホーマーに書いてあるのぢやあるまいし、ホーマーを知らなくて近世文学がワカルものかといふのからして可笑しな事だが、ホーマーやダンテさへ見てゐれば、今のものは直ぐワカルという理屈があるものか、殊に絵などは、左うである。
 人の命が千までも万までもあるものと思つてゐるのが誤りである。(高橋『偉大なる暗闇』(講談社文芸文庫版、209-210ページより重引、エシロスはアイスキュロスのことである。)

 近世(近代)文学について知るために、古典から学ぶ必要はないという志賀の議論はそれはそれで筋が通っている。ここで批判されている「或る人」は高橋が推測するように岩元であろう。近世は中世の批判、古代への回帰から始まるとすれば、近世を知るためには古典を知る必要があるという議論も成り立つ(ほかにも様々な議論が成立しうる)。要するに志賀が書いている「わかる」ということの内実をどのように考えるかによって議論が分かれる。
 人生は短い(だけでなく、時代の変化は激しい)からじっくり根源までさかのぼってヨーロッパの文明を理解しなくてもよいのだというのは、杉田玄白の『蘭学事始』に見られる「素意大略」の精神と通じるものを感じる。『解体新書』の翻訳作業から出版をめぐる玄白と前野良沢の対立を描く菊池寛の小説「蘭学事始」を思い出し、志賀と菊池の間にはこの点で共通する文明観があるのかもしれないなどと考えているのである。(前野良沢の方が岩元禎とつながっているところがある。)
 さらに他の作家の例を視野に入れながら、日本の近代文学におけるヨーロッパ文明の受容の問題について考えていくつもりである。
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