『非常線の女』、『簪』

1月8日(日)曇りのち雨

 神保町シアターで「没後40年特別企画 女優・田中絹代」の特集上映から、小津安二郎監督の『非常線の女』(1933、松竹鎌田)と清水宏監督の『簪』(1941、大船)の2作品を見る。『非常線の女』はサイレント映画で、ピアノの生伴奏つきの上映であった。

 日本映画の二大女優というと、田中絹代と山田五十鈴だそうである(津村秀夫の意見だが、その意見を『物語近代女優史』の中で紹介している戸板康二も特に異論はないらしい)。それぞれの生前に映画やテレビにおける出演作を見たこともあり、その限りにおいて同時代人といえるかもしれないが、私の母親よりも年長で、それぞれ生きていれば100歳を超える年齢なので、多少の距離感を持ってしまうところがある。とはいえ、たとえ、サイレント映画であろうと、その若く美しい時代の姿に接すると、そうした距離感は薄らいでいくのである。

 『非常線の女』は、小津安二郎もこんな作品を作っていたのかとびっくりするような異色作で、田中が扮する時子という女性が昼はタイピスト、夜はギャングの情婦という2面性を持った女性として描かれている(そのこと自体は物語づくり上の工夫といえなくもないが、どうも現実離れがしている)。職場の社長の息子が田中に夢中になるのだが、田中はその求愛を受け入れる気になれない。彼女と一緒にいる襄二(岡譲二)は表向きボクシングジムを経営しているのだが、裏ではいろいろな悪事を働いている。そこに、学生の宏(三井秀夫=弘次)が仲間に入れてほしいとやってくる。彼は和子(水久保澄子)という姉と2人暮らしで、弟を心配した和子が襄二のところにやってきて、宏を仲間から外してほしいと頼んでくる。弟思いで家庭的な和子に、襄二は魅力を感じ、それを知った時子は和子に嫉妬するが、実際に会ってみると彼女が気に入り、自分たちもやくざな世界から足を洗おうと思い始める。

 庶民派でかわいい感じの田中絹代が、ギャングの情婦のけばけばしい役柄を演じるのには無理があり、和子を演じている水久保澄子の清純な美しさに食われている感じがないでもない。時子の仲間の女性を演じている逢初夢子の妖艶な感じと3人3様の女優の個性の共演が見どころの1つにはなっている。後は、時子の職場や街頭風景の描写に見られる表現主義的な画面構成、光と影の使い分け、さらにビリヤード場、レコード店、キャバレー等の昭和一桁時代の東京の雰囲気のモダンさも見どころであろう。すでに映像の記号性を把握している感じの小津の映画作りが、ストーリーの貧弱さを補っている感じである。映像の記号性などと難しいことを書いたが、サイレントでモノクロという制限された表現の中で、何を言うかという努力の積み重ねは、目の前の事柄を漫然と撮影するような映画作りの何倍もの意味を持つということを改めて考えさせられたということである。
 家に帰ってから『ノーサイド』1995年9月号や、Wikipediaで調べてみたのだが、水久保澄子は戦前すでに日本映画界から姿を消して、その後消息不明であり、逢初夢子は五輪の水泳における銀メダリストであった遊佐正憲と結婚したことは知られているが、1985年以後の消息はこれまた分からないようである。

 『非常線の女』の入場券の整理番号が75番であったのに対し、『簪』は7番であった。両方まとめて買ったから、こういうことになったのだが、実際に『簪』の入場者は『非常線の女』に比べてかなり少なく、小津と清水の現時点における評価の違いを知ることになった。ただし、『簪』の観客は、意外に若い年齢層から構成されていて、あるいは昨年、シネマヴェーラ渋谷で行われた清水の作品の特集上映が、新しい客層を呼び込み始めているのかなと思わないでもなかった。清水はもっと評価されてよい作家だと思うし、この作品を見てその気持ちをさらに強くした。

 神保町シアターの壁面に貼り出されていた田中絹代の年譜によると、清水宏と田中絹代は一時期事実婚をしていたらしいが、『簪』はその2人が分かれて後の作品。井伏鱒二の「四つの湯槽」という小説が原作になっているそうである。(私は井伏鱒二の作品が好きで、その映画化もかなりよくみている方である。渋谷実の『本日休診』と、川島雄三の『貸間あり』がいいね。中村登の『集金旅行』は岡田茉莉子の美しさとトニー谷の芸が印象に残っている。)
 ある年の夏、山間のひなびた温泉宿に日蓮宗の題目講である蓮華講の一行が泊まりに来る。この一行は旅館の1階を借りるのだが、2階にはこの旅館にい続けている学者風の片田江先生(斎藤達雄)、納村青年(笠智衆)、若い広安(日守新一)とその妻、老人(河原侃二)とその2人の孫が泊まっている。片田江先生は、下の団体客がうるさいことに不満をもち、また団体客にあんまが独占されてしまったことに腹を立てる。
 露天風呂に入っていた納村青年は湯の中に落ちていた簪で足を怪我して、ひと騒動が起きる。蓮華講に加わっていた簪の持ち主である太田恵美(田中絹代)から簪をなくしたという手紙が来て、その簪で納村青年がけがをしたことが知らされ、恵美がお詫びに宿へ戻ってくる。片田江先生が簪の持ち主は美人か、不美人かなどと余計な想像をめぐらし、騒ぎ立てるのが面白い。恵美と納村青年は打ち解けるが、それ以上に2人の関係は発展しない。実は恵美は東京で愛人生活をしていたのが、その生活に嫌気がさしてやってきたのである。彼女は納村青年の歩行訓練を手伝ったり、子どもたちと遊んだりしながら、生活を見つめなおす。2階の客たちはいろいろな事件に遭遇することで、次第に仲良くなって、東京に戻っても、この結びつきを忘れないようにしようと約束するのだが、恵美には帰る家がないのである…。

 日蓮宗の講中が出てくるので、舞台は身延山の近くではないかと思ってみていたのだが、下部温泉だそうである。むかしの旅館はこんな感じだったなぁという思い出が私の年代にはかすかに残る。他人同士が毎日接触することで打ち解けていく、時として余計なことに首を突っ込んでしまう…という人情の動きが丁寧に、ユーモアを込めて描かれているのがいかにも井伏鱒二作品の映画化らしい。子どもたちの言動が生き生きと描かれ、物語の進行にも絡んでくるところに清水の技量が発揮されている。

 『非常線の女』を見ていると、アメリカ映画のような印象を受けるところがあるのだが、日本人の俳優が演じていることでどうも違和感を感じてしまう。『簪』はそれに比べると垢抜けがしない印象を持つが、その分、日本の風土に密着しているというか、安心して見ていられるところがある。田中絹代の出演作という共通点はあるが、両作品の性格はかなり違っている。どちらかというと、『簪』の方が田中の個性にはあっていると思うのだが、別の感想をもつ方もいらっしゃるかもしれない。

 『非常線の女』は1月4日、8日だけの上映であったが、『簪』は9日、11日、12日、13日にも上映される。田中絹代という女優についてだけでなく、日本映画の歴史について、さまざまに関心を広げる機会になると思うので、上映時間を確認のうえ、ぜひご覧ください。

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