夏目漱石『三四郎』

1月3日(火)晴れ、温暖

 昨年、12月27日に夏目漱石『三四郎』を読み直し終えた。この作品に触発されて書かれた可能性のある森鷗外の『青年』を読んだ後、その余勢をかって読み直したのである。明治時代に地方から東京に出てきた青年が、そこで新しい生活をはじめ、新たな出会いをかさね、時代の雰囲気と思潮を学びながら、自己を形成していくという一種の教養小説の形をとっている点が両者の共通点である。しかし、この両作品は、『青年』が主人公の上京後2か月余り、『三四郎』が1年余りの経験を描いているだけで、教養小説と呼ぶには厚みがたりないという印象が残る。それだけでなく、その後の日本の文学史をたどってみても、教養小説といいうるような作品はことのほか少ないのではないかと思われる。そんなことを念頭に置きながら、この作品を読み返してみたい。

 『三四郎』は明治41(1909)年に『朝日新聞』に連載された。この年の8月19日号の紙面に漱石は次のような予告文を書いている:
「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に入った三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触していろいろに動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を離すだけである。あとは人間が勝手に泳いで、自から波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者もこの空気にかぶれて是等の人間を知る様になることと信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。」(高橋英夫『偉大なる暗闇』(講談社文芸文庫)31-32ページより重引)

 ここで漱石は小説の主眼は「空気」それも、「新しい空気」にあると述べている。そのような「空気」の中を登場人物たちはどのように泳いでいくのか。
 九州の高校を卒業して東京の文科大学に入学した小川三四郎は、上京する列車の中から様々な経験をする。特に列車の中で最後に話をした髭の男の「日本より頭の中の方が広いでしょう…囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(新潮文庫版、24ページ)という言葉を聞いて、「三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした」(同上)。
 
 東京に到着した三四郎は大都会の人と物の動き方の激しさに圧倒される。下宿に届いた母の手紙の指示に従い、同郷の先輩で理科大学の講師をしている野々宮宗八を訪ねる。野々宮は物理学者で地下室にこもって光線の圧力の研究に励んでいる。彼が現実社会に背を向けて研究に没頭している姿を見て、三四郎は自分の人生について改めて考える。
 野々宮と別れて大学の構内を歩いていた三四郎は2人の女性に出会う。そのままぼんやりしていると、野々宮さんに声を掛けられて、大学の近辺を散歩する。
 9月、新しい学年が始まり、初めのうちは授業がなかなか始まらなくてじりじりしていたが、始まってみるとだんだん退屈してくる。そうこうする中で、佐々木与次郎という専門学校を卒業して選科に入学した男と出会う(この時代の制度では、本科は学生だが、選科は生徒と呼ぶ決まりである)。与次郎は三四郎に都会での時間の過ごし方をいろいろと指南する。そして図書館を利用するように勧める。
 与次郎から野々宮さんの伝言を聞いた(都合のいいことに与次郎と野々宮は相識だったのである)三四郎は、野々宮さんの家に出かけ、彼が入院中の妹の見舞いに出かけるので、留守番を頼まれる。翌朝戻ってきた野々宮さんから、届け物を頼まれた三四郎は病院で、野々宮さんの妹のよし子に会う。病室を出て、廊下を歩いていると、よし子の見舞いに来たらしい若い女に病室がどこかを訪ねられる。それは三四郎が池のほとりであった女性であった。
 秋が深まり、大学にも慣れてきた三四郎は、ある日、与次郎が彼が下宿している家の主人で高等学校の英語の教師である広田萇先生に出会う。広田先生は三四郎が上京する列車の中で話をして、煙に巻かれた人物であった。広田先生の引越しの手伝いに駆り出された彼は、もう1人手伝いに来た若い女里見美禰子と出会う。彼女はよし子の友達であり、池のほとりと病院の廊下で、三四郎が出会った女性であった。

 多少偶然めいた筋の運びの中で離合を繰り返す主要登場人物は、高橋英夫の指摘を繰り返すまでもなく、それぞれかなり類型的に設定されている。小川三四郎、佐々木与次郎という名前には平凡で、どこにでもいそうな学生の姿が託されている。与太郎の弟分のような与次郎という命名には、どこかおっちょこちょいな性格も付加されているようである。里見美禰子はこの時代に目立ち始めていた、新しい、気取ったタイプの女性であるし、野々宮よし子は古風でおとなしい女性に設定されている。佐々木与次郎は広田先生を「偉大なる暗闇」と持ち上げているが、ご本人はそれを下らないと切り捨てている。しかし、広田先生が類型的に描かれながらも、この時期に現れ始めていた新しい知識人のタイプを体現していることも否定できない。

 作中、与次郎が三四郎に年を尋ね、三四郎が23だと答える場面がある(おそらく、これは数え年だから、満年齢では22歳の可能性があるが、旧制だとしても、大学の1年生としては少し年をとっている)。そこで、与次郎は明治15年よりも前に生まれた人間と、それ以後に生まれた人間とでは生まれ育った環境が違うから、現実に対する処し方が違うのだというようなことを言って、三四郎は田舎育ちだから例外かもしれないとも付け加えている。漱石がこの小説の主眼を「新しい空気」においたというのは、一つには、このような新しい世代の登場による新しい動きを描こうとしているとも受け取れる。ただし、美禰子とよし子の結婚問題をめぐる動き、与次郎による広田先生を文科大学に就職させようという動き、この小説の2つの動きはともに目覚ましい成果をあげないまま小説は終わっていく。

 与次郎が言うように、大学の授業が詰まらないのは、教師と学生との生育環境の変化によって増幅されている世代差も影響しているようである。しかし、それ以上に、文明開化が一応行き渡り、日本が富国強兵の成果として日清・日露戦争に勝利し、教育制度が一応整備された明治40年代において、教師と学生との世代差に目を向けることも重要ではあったが、教師の内部での世代差の存在にも目を向けるべきであったし、漱石はそのあたりにも目を配っていたと思うのである。

 とにかく、『三四郎』においては、世代間の物の考え方、見方の違いが一つの大きなテーマとなっている。これと絡んでくるのが、三四郎のところに絶えず届く、母からの手紙や、その中の重要な登場人物「三輪田の御光さん」の存在に示される都会と地方との対立である。三四郎は官吏となって出世する道を歩むはずの法科大学ではなくて、文科大学に進学した。地方の豊かな農家の子どもらしい三四郎に、地元の人々やおそらくは母親が期待しているのは、学士になって箔を付けたうえで、地元に帰ってよい嫁をもらい、地元の名士として生活することであろう。(しかも、地方の女学校に通っている「三輪田の御光さん」という格好の候補者がいるのである。) これらのことを念頭に置いて考えると、三四郎が、新しい思想に目覚めるでもなく、都会の人になるでもなく終わっているこの小説は、時代の空気を巧みにとらえているが、「教養小説」としてはあまり成功していないと判断せざるを得ないのである。

(昨年中に書いておけばよい論評を、本日まで書かないでいたのは、三四郎だから1月3日と4日に取り上げようという心づもりがあったからである。鴎外の『青年』との比較や、高橋英夫さんの『偉大なる暗闇』論なども含めて、明日のブログでさらに本日の内容を補足するつもりである。) 
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