年号と西暦

1月2日(月)晴れ

 昨年1月2日付の当ブログ「新年雑感二題」のなかで、西暦2016年の2016は、平成28年の28で割り切れるが、このような組み合わせは平成に入って5度目(1990/平成2、1992/平成4、1995/平成7,2002/平成14と2016/平成28)であり、これは昭和に続いて多いと書いたついでに、「来年は平成29年、2017年になるはずであるが、29も2017も素数であって、こういう組み合わせが明治以降、いくつあるかは来年の楽しみに取っておくことにする」と書いた。それで、西暦と年号による年数がともに素数になる組み合わせを探ってみた。

 日本の年号の中で、一番長く続いたのは昭和(1926~89の64年間)、次が明治(1868~1912の45年間)、第3位が応永(1394~1428の35年間)で、平成は今のところ第4位であるということも以前に書いた。西暦の年数を年号の年数に換算するとき、その元年が対応する年の数を弾けばよいのだが、その数の性質によって西暦による年数と年号による年数の関係が左右されるということも書いておいた。

 平成に入って、5年(1993)、11年(1999)、23年(2011)、そして29年(2017)が両方とも素数という組み合わせで、合計4度ということになるが、明治は0、大正は1(大正2年/1913)、昭和も1(昭和2年/1927)ということで、平成はほかに比べて多い。これは西暦と明治の換算に使う1867、大正の1911、昭和の1925がすべて奇数であることによるもので、2以外の素数は奇数であるから、換算に使う数字が奇数の場合は2年以外に西暦の素数に対応することは無いためである(明治2年は1869年で、奇数ではあるが、3の倍数である)。

 それで、日本の比較的長く続いた年号について年号による年数と、西暦がともに素数になる組み合わせを洗い出してみると、
天平(奈良時代:聖武天皇729~749、3年/731、5年/733、11年/739)
貞観(平安時代:清和天皇~陽成天皇859~877、5年/863、11年/869、13年871)
延喜(平安時代:醍醐天皇901~923、7年/907、11年/911、13年/913、17年/917,19年919)
文明(戦国時代:後土御門天皇1469~1487、3年/1471,13年/1481)
天正(戦国~安土桃山時代:正親町天皇~後陽成天皇1573~1592、5年/1577,7年/1579、11年/1583、17年/1589,19年/1591)
ということになり、延喜と天正がそれぞれ5回で日本最高記録ということになりそうだ。

 これが中国の年号まで入れると、後漢の光武帝の時代の年号である建武は5年/29、7年/31、13年/37、17年/41、19年/43、23年/47、29年/53と7回もこの組み合わせを経験している。もっとも、この時代の中国人は西暦については知らなかったはずだし、素数という概念も持っていなかった。いわば意識されずに作られた記録ということになる。また、御承知の通り、この建武という年号は後醍醐天皇が鎌倉幕府が亡びたのちに、新しい時代の始まりを意識して選ばれたのである、日本では1度もこの組み合わせを見ることはなかった。
 逆に、唐の太宗の年号である貞観は3年/629、5年/631、11年/637、17年/643、23年/649と5回に終わっているが、日本でもこの年号が採用され、上に見たように3回素数同士の組み合わせを見ている。したがって2つ合わせれば、おそらくはこれが東アジア最高記録ということになるのではないか。おそらくというのは、私も全部の年号について調べてわけではないし、上にあげた数字の中には素数でないものも含まれているかもしれないということである。興味のある方は、歴史関係の本の年代表を点検してみてください。
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