小川軽舟『俳句と暮らす』

12月28日(水)晴れ

 12月27日、小川軽舟『俳句と暮らす』(中公新書)を読み終える。
 俳人として俳句を作り、俳句雑誌を主宰し、新聞の俳句欄の選者を務める一方で、サラリーマン生活を送る、二足の草鞋を履き続けてきた著者による「俳句と暮らす」生活、あるいは生活とともに作られる俳句を提案する書物である。著者は自分以外の俳句作者たちの作品も取り上げ、できるだけ広い目で、多様な生活と俳句の実例を取り上げようとはしているが、一流大学を出て、あまり出世はしなかったようだが大企業に勤め、それなりのサラリーマン生活を送ってきたように見受けられる。さらに言えば、企業人としてはエリートとは言えなかったかもしれないが、俳句作者としては日の当たる場所にずっといたようである。だから、生活と結びついた俳句といっても、先日取り上げた小沢信男『俳句世がたり』が50歳過ぎてから俳句を作り始めた、あまり売れない文士の俳句論として多少僻みっぽく、しかし鋭い社会批判を含んでいるのとは、かなり違った雰囲気をたたえていることは容易に推測できるだろう。
 
 「俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ」((ⅲページ)と著者はいう。俳句とは「松尾芭蕉のように漂泊の詩人として歴史と自然と人間を謳いあげるものだろうか。画家でもあった与謝蕪村のように理想の美を追い求めるものだろうか。小林一茶のように弱い者への共感をユーモラスに示すものだろうか。/そのどれもがもちろん俳句である。しかし、それと同時に、俳句はもっと私たちの日常に身近に寄り添ってくれるものである」(ⅴページ)ともいう。たいした出来事もなく過ぎた「そのようななんでもない一日もまた自分の生きた証だと考える人には、俳句はその一日の意味を教えてくれるはずである。」(同上)

 レタス買へば毎朝レタスわが四月
 この書物の執筆時点で、著者は東京に本店のある金融機関から、大阪に本社のある鉄道会社に転出し、単身赴任の身を神戸で過ごしている。その中で自炊生活を送っているが、「この生活を新鮮に感じることができるのは、俳句をやっていたおかげだと思」(6ページ)っている。「食材には旬がある。だからほとんどの食材は季語である。料理もその多くが季語になっている。」(6ページ) 知識だけならば歳時記を見ればよい。しかし、買い物をして、料理をする経験を通じて、実感できることが多いという。「祖しt台所に立つようになると、季節との出会いが今までよりさらに新鮮に感じられるようになったのだ。」(同上) 「台所に立って四季の移り変わりとともにある日常を味わう。いまや台所は私の俳句にとっても大切な舞台の一つになった。」(12ページ)

 サラリーマンあと十年か更衣
 著者は就職してから俳句を作り始め、その後長くサラリーマン生活と、俳句作りを続けてきた。にもかかわらず、サラリーマン生活は、俳句の対象とすべき日常ではないと決め込んできたところがあったという。これは著者だけのことではなかったようである。「高度経済成長期の日本人の生活を正面から詠った俳句は甚だ乏しい」(45ページ)。サラリーマン生活はむしろ川柳の方に向いているのかもしれない。それでも著者は定年が近づいて、名残惜しさの気持ちが募り、サラリーマン俳句を作ろうとし始めているという。

 妻来る一泊二日石蕗(つわ)の花
 単身赴任中だから、妻の来訪を受けることもある。もともと、自分自身の生きざまを題材として俳句を読むときに、最も身近な存在が妻である。ということで、妻を詠んだ俳句は多く、その中でも中村草田男と森澄雄が傑出した存在であるという。
 ところがその一方で、妻が夫を詠んだ名句というのは一向に見当たらないそうである。夫が死んだ後ならないわけではないが、夫は生きているうちはどうもだめだというのが著者の発見であった。
 定位置に夫と茶筒と守宮(やもり)かな 澄子
 熱燗の夫(つま)にも捨てし夢あらむ 和子
 特に初めの句は、この程度のものかという感じが強く残る。

 さらに散歩の折に浮かんだ句、酒にまつわる句が取り上げられる。ここでは著者の俳句の師である藤田湘子、彼に俳人としての酒の飲み方を教えた秋桜子門下の兄弟子石田波郷、波郷や湘子がよく出かけた小料理屋・卯波の主人であった鈴木真砂女などの人々をめぐるエピソードが興味深い。
 ビールくむ抱かるることのなき人と 真砂女
 そら豆と酒一合と勇気がある 湘子(たんめん老人曰く この句はいいねぇ)
 さらに俳句は座の文芸であるという議論から、連句の実例にまで話がはずんでいくのは読んでいて楽しい。

 そうかと思うと、病気や死を詠んだ句も取り上げられている。それも生活の一端だからということであろう。カリエスと戦った正岡子規、結核を病んだ川端茅舎、石橋秀野(山本健吉の夫人)、石田波郷、ガンで死んだ尾崎紅葉、石川桂郎、江國茂、白血病で命を失った田中裕明らの句が紹介される。「最後まで俳句を作り続けなければ、これまで俳句を作ってきた意味がない。病気になってもユーモアと詩情(158ページ)を忘れず俳句とともに」生きた先人たちに続かなければならないとの決意が語られている。
 最後に「芭蕉も暮らす」として、芭蕉の生涯と句業がまとめられているが、これはなくてもよいかもしれない。

 実作者の立場から、どのように生活し、その中で俳句を作っていけばよいのかというヒントをつづった書物である。読みながら、俳句とも川柳ともつかない五七五を作ったので、紹介しておこう。
 年の瀬や 徳利の重さ 酒の重さ
 
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