森鷗外『青年』

12月26日(月)曇り

 12月25日、森鷗外『青年』(新潮文庫)を読み終える。
 この作品は明治43(1910)年3月1日発行の『スバル』第2巻第3号から明治44(1911)年の第3巻第8号まで連載された。一応完結したという形をとってはいるが、主要登場人物がそろってこれから本格的に物語が展開しようというところで、急に打ち切られたという感じがしてならない。実際、鷗外は次のように末尾に記している:
 「鷗外云。小説「青年」は一応これで終とする。書こうと企てたことの一小部分しかあまだ書かず、物語の上の日数が六七十日になったに過ぎない。霜が降り始める頃の事を発端に書いてから、やっと雪もろくに降らない冬の時候まで漕ぎ附けたのである。それだけのことを書いているうちに、いつの間にか二年たった。とにかく一応これで終とする。」(244ページ)

 小泉純一(どこかで聞いたような名前だが、主人公がいわば白紙の状態であることを示す命名と思われる)という青年が主人公である。山口県の資産家の息子で、中学校を優秀な成績で卒業したが、特に進学することもなく、宣教師からフランス語を習ったりし過ごしていたが、意を決して文学修行のために上京してきたのである。

 初音町(現在の文京区小石川の一部)の貸家に落ち着き、中学校の同級生で美術学校に通っている瀬戸に連れられて出かけた会合で帝国大学の医科の学生で文学にも関心がある大村荘之助{木下杢太郎(1885-1945)がモデルだといわれる}と出会い、親友になる。その席で、平田坿石(夏目漱石)のイプセンについての談話を聞く。
 実は、ここでのイプセンについて語っている個所が読みたくて『青年』を読み始めたのである。というのは、明治41(1908)年に『朝日』に連載された(鴎外がこの小説を書くにあたって、大いに意識していたに違いない)漱石の『三四郎』にもイプセンについて触れた個所がある。それは三四郎が東京に出て知り合った<新しい女>里見美禰子が「イブセン」の劇に登場する人物に似ている、いや、今の女性はみな「イブセン」の人物に似ている…というような会話を友人である与次郎とかわすという場面である。イプセンの劇を19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの社会と思想界の状況、知識人たちが感じていた危機意識といったものを視野に入れずにただ新しい動きとしてだけ認識するのは皮相浅薄な議論である。そして登場人物にこのような会話をさせている作者漱石自身のイプセンについての見解は隠されたままである。

 もちろん、この小説の中で鷗外が坿石(漢和辞典で調べたところ水晶のことらしい)に語らせているイプセン論は、鴎外の考えたもので漱石のものではない。鷗外が作中人物に語らせているということで彼自身の考えではない可能性もあるが、それなりに興味を掻き立てる文明批評の含まれた議論である。1つは、イプセンはノルウェーの劇作家であるが、彼の劇にはノルウェーという国を超越して世界の人々を説得するような力があった。「イブセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイブセンになったというが、それが日本に伝わってきて、またずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。」(51ページ) ヨーロッパの思想が、日本に輸入されるとスケールが小さくなる、あるいは毒が消えてしまうという指摘である。
 もう1つは「イブセンの個人主義に両面がある」(52ページ)という発言で、一方であらゆる習慣を脱して個人が個人として生きる、したいことをするという面、もう一方で、自己を向上させようとする一面があるという。これは漱石の「私の個人主義」などと対比して検討していきたい問題を含んでいるように思われる。

 この後、明治42(1909)年11月27日に、イプセンの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』が上演されるのを、純一は「時代思潮の上から見れば、重大なる出来事である」(61ページ)と思って、見に出かける。そこで同郷の法律学者の未亡人である坂井れい子という女性に出会い、亡父の残したフランス書があるので、見に来てはどうかとの誘いを受ける。坂井夫人の屋敷を訪れた純一は夫人の誘惑に負けて肉体関係を持ってしまう。

 『三四郎』が旧制高校を出て大学に入学した学生の最初の1年をとにかく描いているのに対し、『青年』は純一の上京後2か月余りの出来事を書き綴っているだけである。もちろん、その間の主人公の経験には目覚ましいものがあるが、まだ物語は動き始めたばかりである。この作品への「解説」の中で、ドイツ文学者である高橋義孝は『青年』は「教養小説」(Bildungsroman)であるという。「教養小説」とは、主人公の成長の過程をたどる小説ということで、ドイツ文学史家が好んで使う言葉である。しかし、そう規定してしまうには、この小説が描いている期間は短すぎる。これからどのように展開するのか、という期待を抱かせたまま小説は終わってしまっているのである。ひょっとすると、フローベールの『感情教育』のようにいわば反教養小説的な展開をするのかもしれない…とさえ思ってしまうところがある。

 実は、『青年』に続けて、『三四郎』を読み直しているところで、美術学校や慶応の講師はしたが、帝国大学で教えたことがない鷗外に比べて、帝国大学に加え早稲田や明治でも教えた漱石の方が大学というものをよく知っているという強みだけでなく、漱石の方が小説を組み立てていく技法に長けているなぁと改めて実感している。ただ、ヨーロッパの思想動向についての広い関心と掘り下げ方、それから主人公の女性関係の描き方などは、鷗外の方に長があるという気はする。そのあたりも含めて、今度は『三四郎』について書いてみるつもりである。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR