東谷暁『予言者 梅棹忠夫』

12月25日(日)曇ったり晴れたり

 12月22日、東谷暁『予言者 梅棹忠夫』(文春新書)を読み終える。

 梅棹忠夫(1920-2010)に会って話を聞いたことは1度しかないが、彼の書いたもの、彼について書かれたものはたいてい目を通してきたつもりである。それで書店でこの本を見つけた時、ごく自然に手が出たのだが、その一方で2つほど疑問に感じていたこともある。

 1つは「予言者」ということで、東谷さんが「預言者」(prophet)と「予言」者(fortune-teller)とを区別し、使い分けているかどうかということである。
 「預言者」(prophet)というのはLongmanの辞書によるとsomeone who people believe God has chosen to be a religious leadeer or teacher (神が宗教的な指導者あるいは教師に選んだと人々が信じる人物)、「神の言葉を預かる者」である。これに対して「予言」者(fortune-teller)はsomeone who tells you what will happen to you in the future (あなたに将来起きるであろうことを告げる人物)である。『旧約聖書』に出てくるイザヤやエレミヤは「預言者」の典型的な例であり、「予言」者として有名なのはやはりノストラダムスであろう。

 もう1つは、梅棹の「予言」がこの書物で詳しく論じられているように、かなりの精度をもって日本と国際社会の未来を予測したことは確かであるが、むしろ最近の日本と世界で起きていることは、彼の予測の限界を示し始めているのではないかということである。例えば彼は20世紀の特徴として、国家システムが世界を網の目のように覆いつくしたことをあげているのであるが、多国籍産業の動きやテロの問題、難民の問題は、そのような国家システムの網の目のほころびを示しているのではないかと思われる。

 実は東谷さんはこの書物の「プロローグ――実現した予言と失われた時代」の冒頭に「忘れられた予言者」という見出しを掲げていて、私の第2の疑問にまさに最初からこたえようとしているのである。
 梅棹が的中させた予言として、東谷さんは、戦後日本の経済的繁栄、日本経済の回復により専業主婦は無用のものになるであろうという「妻無用論」、イスラーム教と中東という地域が今後世界の中で重要な意味を持つようになること、情報産業の興隆、グローバル=エイジの到来などをあげている。このほか、ソ連の崩壊や、大阪の没落なども予見していたという。
 また、梅棹は都市開発や文化行政にも積極的に関与したことを東谷さんは強調する。大阪万博開催と、民博(国立民族学博物館)の開館とその後の運営の中での活躍、さらには大平政権の下での田園都市構想への関与などがその顕著な例である。(こういう活動は「予言」者的ではあっても、「預言者」的とは言えないと、私は思う。)
 「梅棹がいま日本人の記憶において希薄になろうとしているとすれば、それは彼がこうした予言を外したからではなく、むしろ、そのほとんどが的中して、現実そのものになりおおせてしまっているからなのである」(7ページ)とさえ、東谷さんは断言する(その現実が崩れ始めているのではないかということも私の疑問の中には含まれている。)
 しかし、そのような彼の思想と行為の「明るい」面だけではなく、彼が司馬遼太郎とともに、1980年代以降の日本を見て、「日本文明は終わりか」と暗い見通しを述べていたことも指摘している。このことと関連しては「あかるい虚無家」という性格規定が興味深い。(単に個人的な資質の問題ではなく、やはり日本の社会が直面した状況の認識があったと思う。)
 そして梅棹が残した業績よりも、そのような業績を生み出すに至った彼の行為と思索の過程にこそ、改めて学ぶべきものがあると論じる。(この点は同感である。)

 最初に書いた2つの疑問についてみれば、やはり第1の疑問をめぐっては混乱があると思う。「予言者」などといわずに、社会科学における予測の問題として、議論を進めていく方がすっきりする。第2の疑問については、また機会を見て、この本の細部を検討しながら、各論的に検討していきたいと考えている。入り口だけの議論になってしまったが、この書物が何に取り組もうとしているかはお分かりいただけたと思う。
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