小沢信男『俳句世がたり』

12月23日(金)晴れ

 12月22日、小沢信男『俳句世がたり』(岩波新書)を読み終える。
 みすず書房の雑誌『みすず』の表紙裏1ページに、2010年から2016年まで73回にわたって連載されたエッセーを1冊にまとめた書物である。

 著者は1927年というから昭和の初め、東京の下町の生まれ。戦後、花田清輝(1909-1974)に認められて文筆活動に入り、新日本文学会に所属して小説、詩、評論、ルポルタージュなどを発表してきた。俳句を始めたのは50歳を過ぎてからで、「町場育ち」のために、「植物動物の季語の類は、正直いまだに苦手だ」(2ページ)という。
 それで季節の移り変わりに応じて、行事や記念日にちなむ俳句(時に川柳)を丹念に拾いだし、その中で東京の下町暮らしの変化の様相を手繰りだす。そして自分の観察と感想をつづる。子どもの時代からなじんできた祭りの経験と記憶は、
神田川祭の中をながれけり 万太郎
(4ページ、神田祭、
千人が手を欄干や橋すゞみ 其角
(12ページ、隅田川の花火)
板前は教へこなりし一の酉 登四郎
(51ページ、一の酉、かつての非行少年が、今や立派なすし職人になった)
鬼灯(ほおずき)市に遭ひしひとの名うかび来ず 波郷
(161ページ)と変化していく。

 なぜ、俳句を作るのか。著者は井上ひさしの言葉を引き合いに出す。
「みんな年をとるとふしぎに俳句をひねりだすのは、さては「日本人の逃げ道じゃないか。カトリックに告解という儀式があるとすれば、日本人には俳句という告白があるんじゃないか」
 俳句イコール贖罪の文芸である。とは「意表をつく卓見」と江國滋は述べていて、ふーむ。同感、賛成です。」(11ページ)

 句会などで詠もうとして詠んだ俳句よりも、人生の感慨が現われた句が多く採用されているのは、このような考えによるものであろうか。特に戦争、東京大空襲や軍隊での体験を読んだ句が目立つ。
ざん壕で読む妹を売る手紙 彬
(101ページ、1936=昭和11年/2・26事件の年に鶴彬が詠んだ川柳)
おぼろめく月よ兵らに妻子あり 素逝
(191ページ、長谷川素逝)
風船爆弾放流地跡苦蓬(にがよもぎ) 澄子
(74ページ、池田澄子)
てんと虫一匹われの死なざりし 敦
(45ページ、安住敦)
焼跡に遺る三和土(たたき)や手毬つく 草田男
(88ページ、中村草田男)
危うくも吾祭られず招魂祭 変哲
(93ページ、変哲=小沢昭一、戦死していれば、靖国神社で軍神として祀られるところだった)
梅雨さむし鬼の焦げたる鬼瓦 楸邨
(7ページ、加藤楸邨、原爆資料館を訪ねての所感であろう。私も資料館を訪ねたが、ハイクも詩も思い浮かばなかった。慚愧。)
人に言はずひぐらしきけばながらへし 澄雄
(104ページ、森澄雄、敗戦から39年後の作)
あやまちはくりかへします秋の暮 敏雄
(141ページ、三橋敏雄)
 戦争を批判しながらも、時流に流されてしまっていた自らの弱さ、その弱さを共有できる他者への共感がそれとなく語られているのも印象的である。小沢昭一さんが海軍兵学校予科の生徒になったのは、「殴られるより殴るほうへまわろうという計算があった」(95ページ)という。そんな弱さを共有できる人の一人の作品:
朝寝して寝返りうてば昼寝かな 風天
(101ページ、風天=渥美清、病床にあった時の作か、それとも売れない芸人だったころの思い出か)

 さらに、東京ゆかりの文学者の遺跡をたどり、自分の旧知の文学者についての思い出を語る。
漱石が来て虚子が来て大三十日 子規
(54ページ) すごい豪華版に見えるけれども、この句が詠まれたのは1895=明治27年、漱石は松山の中学校に勤めていて、帰省中だったのだそうだ。虚子は全くの駆け出しであった・・・。
その年の遊び納めや三の酉 荷風
(113ページ)
かたいものこれから書きます年の暮 荷風
(114ページ) 文化勲章を受章した年の作。彼の作風が受章によって変わったかどうかは議論の余地がありそうだ。

 俳句を残さなかったが、著者にとって忘れられない文学者たちのことも語られている:
「故人との出会いを想う。後期高齢をかさねるほどに、それも慰みのひとつでして。存命中はともあれ。存命中はともあれこっちも死ねば出会えるかも。
 花田清輝は享年65.私は今88.再会したならば、なぁんだお若いですなぁ、と談笑しつつ三尺下がる。故人に影があるかどうかは不明ながら。
 長谷川四郎は享年77.晩年は寝たきりでしたが。ぶっきらぼうな立ち姿に出会えるはずで、みあげてさぞや欣快でしょう。
 などと口を滑らして、真顔で尋ねられたことがある。信仰をお持ちですか。いやなに気ままな空想、生きている間の自由でしょうが。」(184ページ)
流れ星いまもどこかを脱走兵 淳
(194ページ) この句とともにべ平連の活動や、鶴見俊輔さんのことが回想される。「いっぽうで、一億総活躍なんて脳天気な掛け声がある。むらむらとエスケープの気分がそそのかされますなぁ。」(196-197ページ)
 かくして、著者は
よみじへもまた落後して除夜の鐘
(205ページ)という年末を迎えようとしている・・・。
 著者は渋谷のユーロスペースで映画を見ることもあるらしい(186ページ)が、お目にかかる機会があるだろうか?

 最後につけたし:歌舞伎役者の初代中村吉右衛門の句が紹介されているのも興味深い。
女房も同じ氏子や除夜詣 吉右衛門
(23ページ)
雪の日やゆきのせりふをくちずさむ 吉右衛門
(25ページ)
 これら2句を二代目中村鴈治郎の
あの人もあの妓(こ)も消えた法善寺
(藤沢桓夫・橘高薫風『川柳に見る大阪』、100ページ)と比べて味わってみるのも一興であろう。

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