日記抄(12月13日~16日)

12月16日(金)晴れ

 12月13日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、および前回の補足:
◎12月10日の項で、<坊っちゃん>と漱石の距離について注目する必要があると書いたが、簡単な例を挙げておく。うらなりの送別会の会場でおかれていた陶磁器を見て、坊ちゃんは大きな瀬戸物だといい、博物の教師にあれは唐津ですと訂正される。坊ちゃんにはその意味が分からない。作者である漱石はもちろん陶磁器についての一定のたしなみがあるのである。もう1例、山嵐と2人で赤シャツの悪口を言っていて、あいつの親父はことによると湯島の陰間かもしれないといって、山嵐に湯島の陰間とは何だ?と聞かれて、なんだかわからないが男らしくないものの事だろうと答える。書いている漱石は湯島の陰間がどういうものかは知っているのである。『坊っちゃん』は主人公の一方的な語りが展開されるので、読者はそれに巻き込まれて、主人公と一体になって読み進むことが多いが、作者である漱石はそういう読み方を戒める仕掛けをいくつか作っているのである。

◎12月11日分で書き落としたこと:
 『朝日』の朝刊に出ていた『AERA』12月19日号の広告によると、論述式を導入する「新テスト」の実施によって「浮かぶ大学 沈む大学」が特集されている。「『新テスト』2020年開始は受験生のためになるか」をめぐり、早稲田大学の鎌田薫総長は「思考力鍛える」と肯定的な回答をし、東京大学の南風原朝和副学長は「国語教育がゆがむ」と否定的である。
 自分自身が受験生であったころに、論述式の問題の解答の仕方について結構指導を受けたものであるが、大学の教師になってみると、学生たちがほとんどその種の指導を受けていないことに気付いた。都会の受験校と地方の学校とではこの種の指導の仕方が違うようである。論述試験の導入は受験指導の経験が蓄積されている学校とそうでない学校の格差を改めて明るみに出すかもしれない。また最近の電子化された文書作成の普及は、文章の書き方を根本的に変えているように思われるのだが、論述式の導入は、そういう変化を考慮していないように思われ、私は否定論の方に傾いている。

 同じ朝刊に夏目漱石の生涯を回顧する記事が出ていたが、その中で1916年11月21日に「知り合いの結婚披露宴に」出てそこで、落花生を食べたことが病状を悪化させたと書かれている。この時の新郎が後の東京大学のフランス文学の教授・辰野隆であることは辰野ご本人が記している。漱石は新婦の方の関係で出席したのである。

12月13日
 『朝日』の朝刊に都心の大学の新増設抑制案が自民党・政府内で浮上しているという記事が出ていた。そうではなくて、もっと積極的に大学の設置に介入して、地方の大学の整備を進めるべきではないかと思う。都道府県の規模に見合った総合大学と、各地域の伝統に根差した地域短大・大学の組み合わせによって地方の高等教育を振興すべきなのである。

 同じく「謎とき!日本一」のコーナーに各都道府県の神社数の順位が紹介されていた。1位が新潟県で4758社、2位が兵庫県で3870社、3位が福岡県で3423社、出雲地方を含む島根県は31位で1173社、伊勢神宮のある三重県は38位で3423社、46位が和歌山県で445社、47位は沖縄県で14社ということである。この記事で触れられていたように、集落の数が神社の数に影響しているのだが、明治時代に神社の統廃合を進めた時の地方行政の在り方とも関係がありそうである。

12月14日
 落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書)を読み終える。2009年に出た本で、読み落としていたことに気付いて購入したものである。古代中国の歴史については、歴史的な事実ではない説話が、歴史書や歴史教育の中でまかり通っている。最近の研究成果に基づいて、そのような書物と教育の影響から生まれた誤解を正そうというのがこの書物の狙いである。「夢のない話を延々とするので、「現実的な話は聞きたくない」という人は、本書を読まないことをお薦めしたい」(3ページ)と「はじめに」に記されているが、どうしてなかなか面白い。第5章「「共和」の時代は共和制ではなかった」というのは、9月に読んだ佐藤信也『周』にも書かれていたことである。第6章「『春秋左氏伝』の虚実」や第7章「覇者は何人か」、第8章「戦国時代の始まり」も佐藤さんの本と合わせて読むといいだろう。
 しかし一番面白かったのは、番外編「三国志の英雄たちと赤壁の戦い」で、「中国には、北と南に地理的な違いがあり、互いに攻めることが難しい」(189ページ)という指摘など、大いに参考になった。もともと騎兵での戦いに慣れている魏の軍が、水軍による戦いに慣れている呉と蜀の連合軍(主力は呉)に水上の戦いで敗れたのは当然であるという。
 『春秋』は信頼できるが量が少なく、『左伝』は量は多いが必ずしも信頼できない」(62ページ)というような評価にはなるほどと頷かされる。中国の歴史についての新たな関心を呼び覚まされる書物である。

 NHK「ラジオ英会話」でノエルはエルフ(妖精)たちの働くおもちゃ工場を見学したついでに彼らの組合の集会を傍聴しようとする。すると案内者が言う。
A word to the wise: You'd be wasting your time. (こういうだけでおわかりでしょうが、時間の無駄です。)
 昨日も参考にしたRidout & Witting, English Proverbs Explainedには”A word is enough to the wise"(賢者には一言で十分である)という形で掲載され、「頭のいい人はヒントを与えられただけですぐに全体を理解する」という意味だと解説されている。ラテン語ではvebum sat sapientiというが、satは省略されることが多いとのことである。
 17世紀英国の医師で、『政治算術』などの著書を通じて、古典派経済学と統計学の祖といわれるウィリアム・ペティ(1623-1687)にVerbum sapientiという論説がある。

 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquote"のコーナーで取り上げられた言葉:
The only good is knowledge, and the only evil is ignorance.
              ――Socrates (Greek philosopher, 469-399 B.C.)
(唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。)
 日本では知育と徳育とを区別する考えがよく見られるが、それはソクラテス以来の西欧の伝統とは異なるものであることを認識しておく必要がある。(別にそれが悪いといっているわけではない。ただ、違うことを認識しろと言っているだけである。)

12月15日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
When a man is wrapped up in himself, he makes a pretty small package.
           ――John Ruskin (english writer and art critic, 1819 -1900)
(人は、うぬぼれているときには、自分をとても小さい人間にしている。)
 河上肇はマルクスは物質的な面からの、ラスキンは精神的な面からの資本主義の批判者であるというようなことを言っていたが、これは20世紀の初めごろの英国でふつうにみられた論調のようである。ラスキンには、水彩画やターナーの評価に代表される美術評論家としての側面、自然賛美を通して登山を推奨したという面もあって、それぞれに日本の文化に影響を与えた思想家である。もう20年以上前に、英国のシェフィールドにあるラスキンの記念ギャラリーを訪問した時のことを覚えているが、日本からの訪問者の署名が多かった。そういえば、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーを訪問した際に、ラスキンと彼の妻だったエフィーのそれぞれの肖像画の絵葉書を買った。肖像を描いたのはミレー(John Everett Millais, 1829-96)であるが、エフィーはその後、ラスキンと別れてミレーと結婚したのである。

 NHKラジオ「まいにちイタリア語」応用編『古代ローマ幻想」は”I teatri romani" (古代ローマの劇場)という話題を取り上げた。古代のイタリア半島には様々な民族がすんでいたので、それらの民族の間に伝わっていた芸能や、ギリシャ演劇をラテン語に訳したものが、古代ローマでは上演されていたという。(ギリシャ劇のローマでの展開をめぐっては、小林標さんの興味深い考察がある。)
I generi più importanti del teatro greco erano la tragedia e la commedia. (ギリシャ演劇で最も重要なジャンルとされていたのは悲劇と喜劇だった。)
La maschera (persona) che si metteva durante la rappresentazione teatrale, aiutava a riconoscere il personaggio. (演劇の上演中に被った仮面(ペルソーナ)は、登場人物を見分けるのに役立った。)
 放送の中では触れられなかったが、1回の上演に参加する俳優の数は限られていたので、同じ俳優が別の仮面をかぶって何度も登場するということがあったようである。
 このほか、ギリシャとローマの劇場の違いなども話題として取り上げられた。

12月16日
  NHK「まいにちイタリア語」応用編『古代ローマ幻想散歩』は紀元2世紀ごろのローマで暮らすコルネーリウス家という架空の家族とその周辺で起きる事柄を取り上げながら、古代ローマの人々の暮らしと文化について概観している。今回の話題は”Librerie e biblioteche"(書店と図書館)で、一家の長男であるティトゥスは父ルーキウスからもらったオウィディウスの本を読み終えた。そして母親であるアウレーリアにもっとほかの本を読みたいという。
Le Metamorfosi di Ovidio è un lungo. Alcune storie sono troppo difficili. (オウィディウスの『変身物語』は長い本だよ。いくつかの話は僕には難しすぎるな。)
Non è necessario adesso capire tutto. È communque una lettura importante, perché ancora non puoi leggere le grandi opere in lingua greca. Ovidio riprende molte storie raccontate da poeti e scrittori greci. (今、すべてを理解する必要はないわ。でも、あなたはまだギリシャ語で書かれた名作が読めないから、これを読むことはとても大切よ。オウィディウスは、ギリシャの詩人や作家たちが書いた数多くのお話をもとにしているんですから。)
 ラテン語を勉強するようになって気づいたことがいくつかあって、その1つがヨーロッパではラテン語とギリシャ語とが古典語として学ばれてきたが、ラテン語ができる人に比べて、ギリシャ語ができる人は少ないようだということである。(ヨーロッパに限らず、日本でもそうである。) だから、ギリシャ神話といっても、ギリシャ語で読んでいる人は少なくて、オウィディウスの『変身物語』などを通じて知っているという人が多い。この辺りの事情を知っていると、上の会話は余計に面白い。(もっともティトゥスは古代ローマ人だからラテン語は母語である。とはいえ、オウィディウスとは100年あまりの時代の差があるから、そう簡単には読めないのであろう。)

 話題をめぐるマルコ・ビオンディさんの解説から:
La biblioteca romana era divisa in due aree distinte: una per i libri in lingua greca, l'altra per quelli in latino. In iascuna area era disposto uno staff di professionisti esperti nelle lingue antiche. (古代ローマの図書館は2つのゾーンに分けられていた。1つはギリシャ語の本、もう一方はラテン語の本のゾーンだった。それぞれに、古代言語に精通した専門スタッフが配置された。)
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR