日記抄(12月9日~12日)

12月15日(木)朝のうちは曇っていたが、その後晴れ間が広がる。

 12月9日から本日までの「日記抄」を掲載するつもりだったが、記事が多くなったので、12月9日から12日、13日から16日の2回に分けて発表することにした。前回に書き残したことも付け加えている。

12月8日のNHK「カルチャーラジオ」文学の世界『鴨長明と方丈記 波乱の生涯を追う」第10回は「長明の旅、長明の恋」として、長明が都の内外の歌枕となった土地を巡遊していることが語られた。特に伊勢旅行の記録が残っていて、そこからは彼の恋愛らしきものの痕跡がうかがわれるということであった。

12月9日
 NHKラジオ「まいにちイタリア語」応用編『古代ローマ幻想散歩』は”I banchetti"(宴会)という話題を取り上げた。
 Gli invitati si mettevano un abito da cena e dei sandali (soleae), poi si disponevano sui letti del triclinio. (招待客は夕食用の衣服とサンダル(ソレアエ)を身につけて、トリークリーニウムの寝台の席についた。) トリークリーニウム(Triclinium)というのは10月に放送されたこの番組のLezione 3の”Le abitazioni cittadine" (古代ローマの住宅)で説明されたが、裕福な家庭の邸宅であるdomusに設けられていた寝そべって食事をする部屋である。
 Era abitudine dei Romani, aprire il banchetto con le uova e concluderlo con la frutta, add esempio con le mele. Da qui nasce l'espressione idiomatica latina "dalla uova alle mele" ("ab ovo usque ad mala") che significa "tutto quanto". (晩餐会を卵料理で始め、リンゴなどのフルーツで締めくくるのがローマ人の習わしだった。ここから「最初から最後まで」という意味を持つ「卵からリンゴまで」というラテン語の言い回しが生まれた。(イタリック部分はラテン語)
Ogni banchetto dovena finire con la baldoria o con i bagordi: la comissatio che era una gara di brindisi. (どの宴会もどんちゃん騒ぎ、乾杯の連続であるコーミッサーティオーで幕を閉じるのが常であった。)

12月10日
 渋谷Bunkamuraル・シネマ2で『ブルゴーニュで会いましょう』を見る。頑固な父に反発して生まれ育ったブドウ農園を飛び出し、ワイン評論家として名を成した男性が、実家の危機を知ってその再建に取り組むというストーリーに、隣の農園の母娘との二代にわたる恋愛模様が絡む。田園風景の美しさを別にすると、特にみるべき内容があるとは思えなかった。

 NHKラジオの『朗読の時間』で断続的に聴いていた夏目漱石の『坊っちゃん』の放送が終わった。漱石が松山の(旧制)中学校で教えた時の体験がもとになっているが、坊ちゃん=漱石というわけではない。それでも、地方都市の狭い世間の中で新任教師の一挙手一投足が注目の的、噂の種になることについて、かなり神経質に対応するのは漱石の体験そのものであろう。
 昔、私が住んでいたアパートの前にあったコンビニで、学生がアルバイトで働いてきたことがあって、そのあたりからうわさが広がり、ある学生に私たちは先生の事なら何でも知っているなどとすごまれたことがあったが、身近な場所からの観察であっても、そこから得られる情報は表面的、断片的なものであることが多い。わかっていることは部分的であり、少なく、わからない部分について憶測が紛れ込むから、余計噂というものは怖いのである。

12月11日
 神保町シアターで『キューポラのある街』、『かぶりつき人生』、『危いことなら銭になる』と3本続けて映画を見た。
 『キューポラのある街』については既にふれたが、そこで書かなかったことを付け足しておく。ヒロインの弟と仲の良い朝鮮人の子どもがいて、好きな女の子と学芸会の劇で共演したいと言い出し、実現させる。演目が『にんじん』で、客席から「朝鮮人参」とヤジが飛ぶ。普通の人参よりも薬草として珍重されてきた朝鮮人参の方が高価だということを知らないことからのヤジであろう。(ちなみににんじんはセリ科、朝鮮人参はウコギ科の植物だそうである。)
 この場面の相手の女の子を演じていたのが、後にテレビの『サインはV!』などで活躍した岡田可愛で、この作品が映画デビューであった。

 『かぶりつき人生』はストリッパーを母に持つ娘(殿岡ハツエ)が、母の生き方に反発するが結局は母と同じ道を歩んでいくという話で、観客席の側よりも、舞台の上と舞台裏の人間模様の方が主に描かれているので、その点で題名との違和感がある。映像的に見るべき場面はあるが、ストーリーが弱いという印象が残る。

 『危いことなら銭になる』は、紙幣を印刷するための紙が盗まれ、偽札作りが企まれているのだろうと考えた宍戸錠、長門裕之、平田大三郎の3人が香港から帰ってきた偽札作りの名人(左卜全)に接近するが、紙を盗んだ連中に名人は連れ去られてしまう。3人はお互いに相手を出し抜こうとしたり、協力したりしながら、事件の核心に迫っていく。それに柔道2段、合気道3段、フランスに行きたいと金をためている浅丘ルリ子が加わってくる。かなり現実離れのしたアクション・コメディで、最後までストーリーが二転三転するので目が離せない。左卜全のとぼけた名人ぶりがおかしい。

12月12日
 NHK「ラジオ英会話」はリポーターのノエルが北極のSt. Nick (サンタクロースのこと)とその工場を訪ねるという”St Nick's Busiest Month"の第2週目、今回はノエルがトナカイ小屋(The Reindeer Stable)に案内される。なお、stableは「小屋」という意味のほかに、相撲の「部屋」という意味もあるそうである。
 St. Nickのそりを引くトナカイたちが、本当に空を飛ぶのかという疑問をもつノエルが、事実はすべて検証することが大事だというと、案内役が
Well, as they say: "Seeing is believing." (そうねえ、よく言うように、「百聞は一見に如かず」ですよ。)
と返す。
 齋藤秀三郎の『熟語本位 英和中辞典』ではSeeing is believing.について「見る程確かな事は無い(百聞一見に如かずに非ず)」と記されている。手元にあることわざ辞典のRonald Ridout & Clifford Witting, English Proverbs Explainedには
Many people are reluctant to believe a thing unless they can see it. (多くの人々はある物事を見ることができなければ、それを信じようとしない。)と説明してあって、両者の意味するところ、まったく同じというわけではなさそうである。
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