ジョージ・バークリーの哲学とその周辺

12月14日(水)小雨が降ったりやんだり

 一昨日付の当ブログで木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』(講談社学術文庫)を取り上げたところ、<ささげくん>さんから(<ささげ>さんでいいのかな?)コメントを頂いた。そのコメントを読んで、私の文章の説明不足の部分が分かったので、お礼を兼ねて、補足的な文を書いておきたい。

 木田の著書の関心はマッハとその影響を受けた人々の思想にあるので、『マッハとニーチェ』の第10回「レーニンとロシア・マッハ主義者たち」は、ボグダーノフに代表されるロシアの<マッハ主義者>たちの議論の方を詳しく述べていて、『唯物論と経験批判論』でどのようにレーニンが彼らの主張を論駁したかについてはあまり触れていない。わずかに
「レーニンが『唯物論と経験批判論』で、マッハ/アヴェナリウスを中心とする<経験批判論>をバークリー/ヒュームの主観的観念論の再来として攻撃していることはあらためて言うまでもあるまい」(193-194ページ)と述べている箇所があるので、そこを私のブログでは部分的に取り出したのだが、考えてみると、「バークリー/ヒュームの主観的観念論の再来」だというだけでは、批判にならない。マッハとバークリーやヒュームの考えの近縁性を指摘したうえで、それらがいかに間違っているかを論じなければならないはずである。もちろん、『唯物論と経験批判論』にはそのあたりの議論は書かれているけれども、木田はどうも理解できない部分があるらしく、口を濁しているし、私は読んだけれども忘れてしまったので、ここでは書かないことにする。むしろ、この書物の第1回で、木田が述べていることの方が真相を見抜いているのではないかと思われる:
「レーニンも一時期はこのいわゆる『マッハ主義』に共感を示したといわれるが、しかし彼は、労働者や農民を結集して革命を起こそうというときにこんな洗練されたイデオロギーは有害であり、もっと大ざっぱな分かりやすい理論が必要だと考え、マッハ主義、つまり経験批判論を批判の槍玉にあげたのである。」(22ページ)
 結局、レーニンが生き残って、ボグダーノフが消えたのは、ボリシェヴィキの中でレーニンが政治的に勝利したことと、(木田の本の211ページ辺りを読めばわかるように)ボグダーノフの側の自滅という側面があった、議論に負けたからではなかったようである。

 話を戻すことになるが、優れた思想は時空を超えて影響力を発揮する。とは言うものの、18世紀アイルランドの思想家であるジョージ・バークリー(1685-1753)やスコットランドのデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)と、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてオーストリア=ハンガリーとドイツで活躍したエルンスト・マッハ(1838-1916)の間にはちょっとした距離があり、その間の社会や科学技術の変化に伴っての問題意識や思考方法の違いがあるわけで、マッハの哲学を「バークリー/ヒュームの主観的観念論の再来」と決めつけるだけで物事が片付かないのは明らかである。それで、違いを論じるためには、1人1人の思想を確認する必要があると考えて、まずバークリーの哲学について勉強しなおすために、一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』(ちくま学芸文庫)を読んでみることにした。「まえがき」で著者が述べるところによると「「功利主義」と「分析哲学」という2つの哲学・倫理学の潮流について、両潮流の源流にあたる「経験論哲学」に沿いながら論じ、なおかつ「計量化への志向性」という見地から功利主義と分析哲学が融合していく様子を追跡していくこと」(9ページ)がこの書物の主題である。

 一ノ瀬さんの著書の第4章は「ジョージ・バークリの非物質論」として、バークリー(一ノ瀬さんは「バークリ」という表記をされているが、この書物の75ページに掲げられた肖像画の下には、「バークリー」と書かれている)とその主張の紹介に充てられている。全体で16章からなるこの書物の中で、1章(以上)を与えられている思想家はロック、ヒューム、ベンサム、(J.S.)ミル、ウィトゲンシュタインとバークリーの6人だけであるから、(一ノ瀬さんがバークリーの哲学についての著作を発表しているという事情を考えに入れても)その扱いの大きさが分かるだろうと思う。この章は次のように書き出されている:
 本章では、イギリス経験論の歴史の中で、いささか特異な位置を占めているアイルランドの哲学者、ジョージ・バークリの哲学について検討する。バークリは、20世紀になって、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドやカール・ライムント・ポパーによって形而上学や科学的道具主義という文脈で再評価がなされたり、数学の哲学の文脈で、その厳格主義とか微分法批判といった議論を通じて、現代の分析哲学にも改めて一石を投じるなどして世界的には哲学史上の大物の一人と目されているのだが、なぜか日本では研究者が少なく、せいぜいエピソード的に触れられるだけで、あまり紹介もされていない。
 けれども、バークリの哲学は経験論という思潮の揺らぎを指し示してもいて、経験論哲学の輪郭をとらえるのに最適な事例ともなるし、後の功利主義とも遠く連係もしていて、本書の方針にもしっくりと位置づけることができる。(74-75ページ)

 「なぜか日本では」というのは、一昨日のブログでも触れたように、私にも実感がある。私が主に滞在した外国というのが英国で、次がアイルランドということも関係しているとは思うのだが、書店の哲学書のコーナーで見ると、バークリーの著作、あるいはバークリーについて論じた著作というのはかなり多い。日本とは段違いという感じがある。この違いを生みだした一つの理由は、やはり、レーニンが『唯物論と経験批判論』でバークリーを批判したことであろう。一ノ瀬さんの著作にも
一般にバークリの「ペルキピ原理」は、物質は存在せず、すべては観念であるという観念論の典型的なスローガンとして理解されており、例えばウラジーミル・レーニンは『唯物論と経験批判論』の中で観念論を批判することで唯物論を正当化しようかとするとき、バークリを観念論者の代表としてやり玉に挙げている。」(79-80ページ)と記されている。ここで指摘されているのは、バークリの「ぺルキピ原理」というのは<観念論の典型的なスローガン>として理解されているけれども、それは浅薄な理解であること、その浅薄な理解に乗っかって、レーニンが(<経験批判論>を)観念論と決めつけて批判した(つもりになった)ということである。マッハとともに、バークリーもレーニンの決めつけの被害にあった思想家であるといえそうである。

 バークリーの生涯と業績、特にここで問題になっている「ぺルキピ原理」については、また機会を見つけて書くつもりであるが、彼の哲学がスウィフト(1667-1745)の『ガリヴァー旅行記』(1726)に与えた影響として指摘されているのは次の箇所である。
 ガリヴァーは第2篇の最初の部分で、見知らない土地にたどり着き、そこでは何もかもが巨大であるのに驚きつつ、リリパット(小人国)が懐かしくなってきて
Undoubtedly philosophers are in the right when they tell us, that nothing is great or little otherwise than by comparison.(疑いもなく、比較によらなければ何事も大きくも小さくもないと、哲学者たちが言うのは正しい。) かなり大げさで大真面目な表現であるが、これはバークリーの『視覚新論』(New Theory of Vision, 1709)が物の大きさの判断の相対性を強調している議論に影響を受けているといわれる。中野好夫訳では「大小は要するに比較の問題だと哲学者はいうが、まことにもってそのとおり。)

 物質は存在しないというのは、生活実感からかなり離れた議論であるが、その一方で、物事の見え方、聞こえ方…はそれぞれの受け取り方によって違いがあるということも否定できない。ごく単純に考えても、バークリーは重要な問題に取り組んだ哲学者の1人であったと考えてよさそうである。
(入力ミスで、書きかけの状態でこの記事を公開してしまいました。不手際をお詫びします。)
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