ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(8-2)

12月13日(火)曇り

 ベアトリーチェに導かれて天上の世界に飛び立ったダンテは、月天で地上での誓願を果たさなかった人々、水星天で地上での栄光を追い求めた(その分、天上の世界から遠ざかった)人々の魂に出会った。これらの魂は至高天にいるのだが、そこでの神からの距離を表すためにそれぞれの天にやってきたのだという。神への思いの強さが神からの距離を決めているのである。彼はさらに金星天に到着し、地上で出会ったことがあるハンガリー王であったシャルル・マルテル・ダンジュー(1271-95)の魂に出会う。シャルル・マルテル・ダンジューはイタリアにおける教皇党と皇帝党の争いを終わらせる人物として期待され、ダンテも彼の前でカンツォーネを歌ったことがある。シャルル・マルテル・ダンジューの魂は、シチリア王が東方への軍事進出のために重税を課そうとしたことに対して、パレルモの市民たちが反乱を起こし、イベリア半島のアラゴン王の助けを借りて、国王を倒したシチリア晩鐘事件について触れ、ナポリ王である彼の弟ロベルト・ダンジューの悪政を批判した。金のかかる軍事ではなく外交によって国際的な問題を解決すべきであるというのである。

 ダンテはシャルル・マルテル・ダンジューと再会できたこと、彼が語る政治的な意見を喜び、ロベルト王の政治が誤っていることのさらに原理的な説明を求める。彼は<王は王国内においては皇帝である>として、神聖ローマ帝国の皇帝の自国内への影響を排除し、ローマ皇帝権の神的正統性や普遍性を認めず、単なる地域的な権力として自分と同等の存在と見て、その権威を認めずに戦いを続けた。これはダンテの政治観から見れば正義を実現するものではないが、ロベルトの政治観は近世の絶対主義につながるものであって、こちらの考えの方がその後は有力になっていく。

 シャルル・マルテル・ダンジューの魂は神が人間の諸性質を決定するといい、
諸性質とともにそれら諸性質の救いも決定される。

このため、この弓が放つものは何であれ
制御され、あらかじめ決定された目標に落ちる、
あたかも矢が彼の的を射抜くように。
(129-130ページ)と続ける。弓の射手は神、弓が諸天空、矢が叡知の光線、的が人間であり、神の計画は弓矢や的には不可知であることが示されている。

 さらに、シャルル・マルテル・ダンジューの魂は問いかける:
…もし生来の市民性を持たぬとすれば、
地上の人間にとってそれは悪いことであろうか」。
「然り。――私は答えた――そしてその理由を私は問いません」。
(131ページ) 「市民性」というのは人間が生来持つ相互扶助的な社会性を指すと原さんは傍注で説明している。またダンテにとってアリストテレスが『政治学』で述べた「人間は社会的な動物である」というのは公理であるため、ここで理由を問おうとしていないのであるとも説明されている。
 よく言われるように、ダンテの時代はアリストテレスの哲学がアラビア経由でヨーロッパに伝わり、ラテン語で彼の著作が読まれていたので、アリストテレスの真意が伝わっていない場合もあったと思われる。そこで、アリストテレスの『政治学』(牛田徳子訳、京都大学西洋古典叢書)で当該箇所にあたってみると、「人間は自然によって国家的(ポリス的)動物である」(9ページ)となっていた。細かい点での考え方の違いはあるかもしれないが、ここでのダンテの考え方はアリストテレスから大きく外れるものではないと思われる。

「だとすると、もし下界で人々が様々に異なる役割のために
さまざまに異なった人生を送るのでなければ、このことは可能であろうか。
否、諸君らの師が諸君らに向けて正しく書き記しているのならば」。
(131ページ)とシャルル・マルテル・ダンジューは続ける。人間はそれぞれに違った性質を持って生まれてくるので、分業と協業によって、それぞれが自分にふさわしい役割を引き受けながら、社会を構成していくことになる。これもアリストテレスが『政治学』で展開した議論であるという。

 しかし現実には、持って生まれた性質にふさわしくない役割を社会の中で引き受けるということが起こりうる。
生まれたものの性質は
神の思し召しが勝つのでないならば、
生みだしたものと常に同じ歩みをするだろう。
(132ページ) ダンテの時代は身分が固定され、親の職業を子どもが継ぐのがふつうであった。しかし、本来ならば、生まれつきの性質の方が、家柄や親の身分・職業に優先して考えられるべきである。
またもし、地上の世で
その性質が定める人の資質に注意が払われ、
それに従ったならば、有能な人々が輩出するはずだ。
(133ページ) 

 しかし、現実の社会ではこのようになっていない。
だが、君達は剣を腰に帯びるべく生まれついた者を
歪めて聖職者に育てようとし、
説教をするべく生まれついたはずの者を王にする。

それうえに君達の残す歩みは道を外れているのだ」。
(134ページ) シャルル・マルテルの弟にはフランシスコ会の修道士となったルドヴィーコと、ナポリ王となったロベルトがいるが、ロベルトはすでに述べたようにその政治のやり方を強く批判されているロベルトは、神学者としては優れていたといわれる。シャルル・マルテルの言葉は、宗教家としての優れた資質を持っていたロベルトが、柄にもなく政治家になってしまったことを非難している。絶対君主が重税を課したとか、盛んに戦争をしたとかいうことは道徳的に見て好ましいことではない。ダンテは、ここでそれを中世的な秩序を維持しようとする立場から非難することの限界に気付き、アリストテレスにさかのぼって、より普遍的な人間の社会性・市民性の議論を持ち出して、批判しているところにこの第8歌の意義を認めるべきであろう。

 次回は第9歌に入るが、ダンテはまだ金星にとどまっている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR