木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』

12月12日(月)晴れ後曇り(この原稿を書いているうちに曇ってきた)

 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』(講談社学術文庫)を読み終える。「やっと読み終えた」という感じである。現象学の研究で知られ、ハイデッガーやメルロ=ポンティについての著作を残した木田(1928-2014)が19世紀から20世紀への転換期のヨーロッパにおける思想状況について概観する論考で、『大航海』25号(1998年12月)から40号(2001年10月)に連載され、2002年2月に新書館から単行本として刊行されたものの文庫化である。

 世紀転換期というのは、すでに述べたように19世紀から20世紀への転換の前後ということで、具体的には19世紀の終わり3分の1と20世紀の初め3分の1、1870年ごろから1930年ごろまでを想定している。エルンスト・マッハ(1838-1916)は超音速の速度単位であるマッハにその名を残した物理学者であるが、現象学的な研究方法を提唱し、アインシュタインの相対性理論や、ウィーン学団の論理実証主義、ウィトゲンシュタインの後期思想、ハンス・ケルゼンの実証法学など広い範囲に彼の思想の影響がみられるという。
 この書物ではフッサールの現象学とその成立の前後、その周辺で展開されたさまざまな思想的営為がマッハからどのような影響を受けているか、またニーチェ(1844-1900)とマッハの思想の共通性と影響関係、その後の思想に及ぼした影響などが考察されている。哲学だけでなく、自然科学、心理学、社会科学、文学、芸術など、思想運動の影響のおよんでいるあらゆる範囲を視野に入れて、詳しく論じるというよりも、こういう方面の研究が今後必要になるのではないかというような問題提起の書物として考えた方がよい書物である。

 書物の内容を詳しく取り上げて論じていくと、いつまでたっても紹介が終わらないことになるかもしれないので、マッハの影響の一端だけ述べておけば、ロシアのマルクス主義者たちの中にボグダーノフ(1873-1928)のようにマッハの思想を取り入れて革命理論を再構築すべきだと考える人々が現われた。マッハは自然科学や唯物論者たちが説く<物質>は形而上学的な概念に過ぎないとして否定して、物とか物体とか物質とかは比較的恒常的に表れてくる感性的諸要素の複合体に与えられる「思考上の記号」に過ぎないと説いている。これは唯物論を全面的に否定する議論であり、ここから新しい革命理論が構想できるかもしれない。新しい技術や新しい社会形態が出現するのに対応して、新しい科学的心理、つまり経験を組織するための新しい社会的形式も現れてくるはずである。マルクスは「フォイエルバッハに関するテーゼ」で、「古い唯物論の立場は<市民>社会であり、新しい唯物論の立場は、人間的社会あるいは社会化された人類である」といっている。だから新しい革命理論が生まれていいわけである。として、ボグダーノフは<経験一元論>を唱えた。
 ボグダーノフに代表されるロシア・マッハ主義がボリシェヴィキの中で影響力を持ち始めたことに危機感を持ったレーニンが書いたのが『唯物論と経験批判論』で、マッハ⇒ボグダーノフの「経験批判論」がバークリー/ヒュームの主観的な観念論の焼き直しに過ぎないと批判を加えて、改めてマルクス主義の哲学的な基礎が唯物論であることを強調したのである。

 私が大学の1回生だったころに、田村松平先生が物理学の講義の中でマッハの名前を挙げられて、彼の議論をレーニンが『唯物論と経験批判論』で批判しているということを述べられた。余談のようにして触れられたので、議論の詳細は紹介されなかったと記憶する。マッハとレーニンという人名、『唯物論と経験批判論』という書名、固有名詞だけが記憶されて、どんなことが主張されていたのかについての興味がわかなかったのは、受験勉強の負の遺産であろう。『唯物論と経験批判論』は読んだはずだが、何が書かれていたかはほとんど忘れてしまった。この書物の中で批判されているアイルランドの哲学者バークリーであるが、その後、英国に滞在した折に、彼の評伝や著作に触れて、彼の何事も経験であるとさまざまな実験を繰り返した逸話や、アイルランドの民衆の困窮を救おうとした努力を知り、大いに好きになった。少なくとも、肖像を見る限り、バークリーの方がレーニンよりかなり人相がいい(まあ、顔ですべてを判断するわけにはいかないが)。余計なことを書きついでに付け加えておくが、バークリーとスウィフトは2人ともアイルランド国教会の高位聖職者であり、親友でもあって、『ガリヴァー旅行記』の中には、バークリーの哲学の影響がみられる。

 もう一つ大学(院)時代の事を思い出したのは、心理学におけるゲシュタルト理論もマッハの影響のもとに発展したのであるが、この流れの代表的な1人であるマックス・ウェルトハイマー(1880-1943)の『生産的思考』は、大学院時代に読んだ本で、その後、古本屋に売ってしまったことを後悔している本の1つである。いろいろな発想のヒントを与えてくれる書物なのだが、私の元同僚の心理学者でこの本が近年あまり評価されていないことを残念がっている人がいた。確かこの本の翻訳者は京大の教養部で心理学を教えていた伊吹山太郎であったと記憶するが、この先生の産業心理学という授業を途中まで履修したことを思い出す。途中でやめてしまった割には、内容が印象に残っているのは、もともと興味があった(しかし根気が続かなかった)からであろう。

 ここでは私が特に興味を持ったことについて取り上げてみたが、これは本当に氷山の一角に過ぎない。この書物を読むことによって、この書物の様々な部分から、読者の中には様々な思いや、理解や、さらなる疑問が生まれてくるはずであるし、そういうことを願って書かれた書物であると思う。 
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マッハを初めて知りました

>マッハは自然科学や唯物論者たちが説く<物質>は形而上学的な概念に過ぎないとして否定

〇なるほど、マッハを初めて知りました。
 最後にアイルランドの神学者の話が出てきますが、その人たちにも影響があったということでしょうか。ということは、マッハは唯物理論否定論者の一人、という扱いでしょうか。
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