親孝行の周辺

4月28日(日)晴れ

 4月25日(木)に放送されたNHKカルチャーラジオ文学の世界『落語・講談に見る「親孝行」』の第4回は「親の厳しさと甘さ―落語『火事息子』『ラーメン屋』」として、これらの2つの演目の一部を放送しながら、落語に描かれた親子関係をめぐる情愛の機微について論じる内容であった。特に『火事息子』については六代目三遊亭円生の口演が紹介されていて、懐かしかった。

 質屋である伊勢屋の息子の徳三郎は小さい頃から火事が好きで、火消しになろうとするが、どこへ行っても相手にされず、仕方なく臥煙(がえん)という火消し人足になり、そのため家からは勘当されてしまう。あるとき、伊勢屋の風上に火事が起き、店では防火のために蔵に目塗りをしなければならないのだが、職人が間に合わず、店の者だけで目塗りをすることになる。ところが素人なのでうまくいかないのを、臥煙になった徳三郎が駈けつけて手伝ってくれたおかげで無事に終えることができる。

 手伝ってもらった番頭に実は勘当された若旦那がと打ち明けると、父親である主人はもう他人だといったんは拒むが、番頭に説得されて渋々承諾し、親子が久々に対面する。はじめは型通りにあいさつを交わしていた親子であるが、全身刺青姿の息子を見て父親はだんだんと小言じみた物言いになってくる。このまま気まずくわかれそうになったところへ母親がやってきて、風向きが変わり、話は落ちへと進む。

 講師である勝又基さんの説明もさることながら、六代目三遊亭円生の口演、特に父親の性格描写が実に見事であった。なかなか自分の感情を表に出さないが、実は心の中にさまざまな葛藤が秘められているというところは、六代目の人物そのものであったようにも思える。

 六代目の不肖の弟子であった川柳川柳師匠は次のように書いている:
 圓生師がこんなことをいっていた。
「わたしは、芸術院会員なら喜んでいただくが、あの国宝てえのは、いけません。どこかの島の婆さんが機を織ってたり、なんか焼物をしてる汚い爺さんが、泥なんかこねてる。私はあんなのと一緒にされたくありやせんな」
 実に圓生らしい言葉だ。悔しいから、そんな憎まれ口を利いているが、本当に選ばれればホイホイ喜ぶにきまっている。(『ガーコン落語一代』河出文庫、2009、155ページ)。

 ついでながら、泥をこねている汚い爺さんであった河井寛次郎は人間国宝を辞退している。それはそれとして、親しい仲だからこその憎まれ口というのもあるだろうし、自分の心情を正直に言うことへの気恥ずかしさもあるだろう。心の中の葛藤をそのままの言葉で表現せずに、憎まれ口や小言の中に感情を込めることで一層人間、それもそのあたりに転がっている平凡人の精神の奥深くまで描き出すことにこそ話芸としての落語の価値があるのである。そういう話芸の奥行きを久々に感じることができた。
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