ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(8-1)

12月6日(火)晴れ、温暖

 ベアトリーチェに導かれて地上から飛び立ったダンテは、月天で誓願を果たさなかった人々の魂に、水星天で地上への栄光を追い求めた人々の魂に迎えられた。
 ダンテはいつの間にか、第三天空である金星天に達していた。

かつて地上の世界は、己に災厄をもたらす信念ではあったが、
美しいキプロスの女神が第三天空の軌道上で周転円を回りながら
狂気の愛を放射していると信じていた。
(120ページ) ローマ時代には金星は愛と美の女神であるウェーヌス(英語でヴィーナス)と結びつけて考えられていた。ウェーヌスはギリシア神話のアフロディテ―と同一視されてきたが、その出生をめぐってはさまざまな神話がある。ダンテはこの女神がキプロス島で主神ユピテルと女神ディオーネーの間に生まれたという神話に基づいてこの行を書いている。プトレマイオスの天動説では、地球の周りを月、水星、金星、太陽、火星…の順で天体は運行しているが、惑星は単に円軌道を描いて地球の周りを回るのではなくて、その軌道上で小さな円を描きながら動いていると考えられた。(それでもなかなか惑星の運行は説明できず、そのことがコペルニクスが地動説を考える一つのきっかけとなった。もっともコペルニクスの体系でも周転円を完全になくすことはできず、この問題が解決されたのはケプラーの出現を待たなければならなかった。)
 地獄と煉獄を通じてダンテの導き手であったウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』に登場するカルタゴの女王ディドーは、ウェーヌスのたくらみによってアエネアスと恋に落ち、最後には自殺することになるが、このような狂気の愛と金星とを結びつけることは、間違いであるとダンテはキリスト教の立場から断言する。

 ダンテはベアトリーチェがますます美しくなったことから、彼らが金星に達したことを悟る。
そして炎の中に火花が見えるように、
あるいはある声が音程を保ち、別な声が高くなってもとに戻る時に
声が声の中に聞き分けられるように、

その光の中にそれとは別の光の群れが、
思うに、それぞれに内在する視力に従って
速く、また遅く走りながら円を描いて動くのが私には見えた。
(121-122ページ) ダンテはここで、宇宙の調和の地上における予型としてポリフォニー音楽を引き合いに出し、金星もまた調和に満ちた世界であると述べる。
しかも他に先んじて前にいた光の間では、
「ホサナ」の声が、その後になって私が再び聞きたいと
終生願わずにはいられないほど美しく響いていた。
(122ページ) 「ホサナ」はヘブライ語で「救いたまえ」という意味だそうで、新約の『マタイによる福音書』ではイエスとその使徒たちの一行がエルサレムに入ると、熱狂した群衆がこの言葉を叫んで、イエスをたたえる。

 その後で、光(魂)の中の1つがダンテに近づいてきて話しかける。その魂はダンテの旧知であったハンガリー王シャルル・マルテル・ダンジュー(1271-95)であった。彼はシャルル・ダンジューⅡ世とハンガリー王女マリアの長男として生まれ、1287年に神聖ローマ皇帝ルドルフⅠ世の娘コンスタンツァと結婚、教皇の同盟者であるアンジュー家の継承者であり、皇帝の娘と結婚したことで、教皇党と皇帝党の争いを調停し、平和をもたらすことが期待された。そして父であるナポリ王シャルル・ダンジューⅡ世に会うためにフィレンツェを通過した際に、熱狂的な歓迎を受け、ダンテもその折に彼の前でカンツォーネを歌ったという。しかし、平和を望む人々の願いもむなしく、彼は感染症で早世した。

 シャルル・マルテル・ダンジューの魂は、彼とダンテとの地上における友愛について語った後、彼の生前と死後のイタリアの状況と、アンジュー家の政治の失敗について語る。
もしも悪しき統治が、支配下の市民達を常に
苦しめ、パレルモの都市を動かして

「殺せ、殺せ」と叫ばせなかったならば、
(126ページ) アンジュー家の苛烈な「悪しき統治」がシチリア晩鐘事件(1282年にパレルモの市民たちが苛烈な支配に対して蜂起し、アンジュー家を追い出した)を引き起こし、アンジュー家はシチリア王国を失ったが、ナポリ王国でもその苛烈な政策を継続するならば、再び同種の事件が起こるであろうと予言する。(世界史年表を見たところ、1282年のシチリア晩鐘事件というのはちゃんと記載されていた。この事件に反乱側の要請を受けてイベリア半島のアラゴン家が介入し、アンジュー家とアラゴン家の対立が激しくなったそうである。イタリアの南部にはスペインの影響が残っているというが、こういうところでその種がまかれているのである。) シャルル・マルテル・ダンジュー自身はアブルッツォ地方(イタリア中部にあり、アドリア海に面している)を平和に統治していたのである。

 こうして読んでいくと、『神曲』がきわめて神学的であるとともに、政治的な主題を含んでいることが分かる。歴史的に見ていこうとすると、政治の方が分かりやすいので、思い切ってそういう読み方をしている。第8歌の後半もシャルル・マルテル・ダンジューの言葉が続く。
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