ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(7-2)

11月29日(火)曇りのち晴れ

 ベアトリーチェに導かれて天空を旅するダンテは、月天で<誓願を果たさなかった人々>の魂に出会ったのち、水星天で<地上での栄光を追い求めた人々>の魂に迎えられ、その一人であり、東ローマ帝国の皇帝であったユスティニアヌスの魂からダンテの時代の西欧世界における皇帝党と教皇党の争いが神意に背くものであること、さらに全地上世界の統治権(=正義)がどのような変遷をたどってローマ皇帝の地位と結びついたかの説明を受けた。ダンテは人類の原罪をキリストが負って十字架上でその罰を受けたという「正義の復讐」について、それが正しい裁きであるのに、なぜ、再びその後で、正義を執行した人々が「正義にのっとって/罰せられる」のかという疑問をもった。ベアトリーチェは神慮にのっとった正義であるローマ法に従った人間としてのイエスの処刑は神の意志を反映するものであり、後のティトゥス帝によるエルサレム滅亡も、神であるイエス・キリストに対する瀆神行為への罰として、神慮にのっとった正義であると、イエスの人性と神性を分けることによって説明をした。(翻訳者である原さんも書いているように、紀元30年ごろに起きたイエスの処刑にかかわったエルサレムの人々と、70年にローマによって破壊された時にエルサレムに住んでいた人々は関係がないはずであり、あるいはダンテにユダヤ人に対する差別感情があったことの反映かもしれない。)
 この後、ベアトリーチェは神がなぜ、人の子として地上に生まれ出て贖罪をしなければならなかったかを説明する。人間は神によって創造されたがゆえに、永遠であり、自由であり(自由意志を持ち)、神に似ている。これら3つの1つでも欠ければ、人間はその高貴さから失墜することになるという。

罪だけが人類から自由を奪い、
至高の善の似姿ではなくし、
罪ゆえに人類は白く輝くなくなるのです。

そして人類は決して尊厳を回復できません、
悪しき喜びに対する正しい罰を下し、
罪があけた穴を再び埋めねば。

あなた方の人性は、始祖である種の中で
その全体として罪を犯したときに、この尊厳からも、
天国を失ったように遠く離れたのです。
(111-112ページ) しかし人類は、始祖アダムの罪に起因する原罪を負ったために楽園を追放され、地上楽園にいたころの原初の状態に戻るには罪が贖われなければならなかった。このため
・・・神がただその寛い御心で
お赦しになったか、あるいは人類が独力で
自らの過ちを償ったかのどちらか・・・
(112ページ)がなされなければならない。

人は有限の存在であるがゆえに、
後で謙虚に服従しようとも
自らを卑しくして償うことはできなかったのです。

逆らって驕り高ぶったことに見合うほどには。
つまりこれが、人類が自力で償うことを
不可能にしていた理由です。
(113ページ) 無限の存在である神に歯向かった瀆神の罪に見合う「服従」と「謙虚」は有限の存在である人類には不可能であるがゆえに自力での償いは不可能である。

従って神はご自身の道により
人を本来の完全なる生へと戻す必要がありました、
・・・ 一つの道か、あるいは両方の道によって。

しかし、行為は、その行為を生ぜしめた
精神の善がより現れていれば、
それだけ行為者からいっそう大切にされるように、

世界に型を押す神の善は、
あなた方を再び高めるにあたり、
両方の道を進むことを喜びとされました。
(114ページ) その結果として、神は人類にも贖罪の行為をさせた方が自分の愛の真意が明らかにされるためにそちらを好み、神からの許しと人間からの贖罪という「両方の道」を進むことを選んだ。

 そして、世界の最初から終点までで最も偉大な行為、神が自分を人間とした「托身」、つまりつまり人間の肉体の中に自身を完全な形で宿らせるイエス・キリストとなって贖罪の磔刑という殉教をした。
 このベアトリーチェの話は、神による創世の一部をなす人間の創造とキリストの受難を結びつけることにより、ローマ帝国による正義の執行が神の計画の一部であることを語るものである。
 ダンテは水、火、空気、土という四元素とそのあらゆる混合物が「滅びに至り、長くは続かない」(116ページ)、もしそれらが神によって創造されたのであれば、「滅びを免れていなければならないはず」(同上)であるという疑問をもつ。これに対して、ベアトリーチェは宇宙全体のうち神が直接に創造したのは、天使や星や星の持つ力(形相を与える力)であり、4元素でできていて滅びと死のある地上世界の事物は、形相を持たない質料に、星に由来する力が形相を与えることで生まれること、その中で唯一人間の命だけが神から直接吹き込まれること、また、神から直接作られたアダムの肉体の継承者である人類の肉体が最後の審判の時に復活することを述べる。

 ダンテの知っていた地上の世界が、実は地球のごく一部でしかなかった(ローマ帝国の版図は確かに広大ではあったが、西アジア、南アジア、東アジアには別の帝国があり、またそれら以外にも人の住む広大な土地があった)こと、また彼の知っている宇宙(地球、月、太陽、五大惑星、その周辺に展開する恒星天)に比べて現代の我々が知っている宇宙がはるかに広大であること(余計な話だが、ミルトンの『失楽園』にはガリレイの発見した木星の衛星が登場する。ミルトンはイタリア旅行の際にガリレイに会って、彼の望遠鏡をのぞいたりしているのである)、4元素や事物の滅びと死などの考えが今日の物理や化学の常識と相いれないことなど、議論の前提となる知識の違いを考慮しても、彼の展開する議論には問題が多く、筋が通らないところが多くあることに気付く。にもかかわらず、彼が哲学的・神学的な主題を美しい言葉で叙事詩にまとめ上げて論じていることに感動してしまうところがある。
 こうして、ダンテは水星天の訪問を終え、次の第8歌では金星天を訪れることになる。
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