吉田一彦『日本書紀の呪縛 シリーズ<本と日本史>①』

11月27日(日)曇り、午後になって雨が降り出した。

 この書物を読み終えたのは11月20日のことであったから、1週間ばかり書評を書かずにいたことになる。他に書きたいことがあったから後回しにされたのであるが、後回しにしているうちに内容を忘れてしまう―などということはなく、本の記憶は鮮明に残っている。それだけ読み応えのある本である。

 『日本書紀』は、養老4年(720)に完成した書物であるが、21世紀を迎えた今も、「私たちの中に一定の位置を占めて生き続けている。遠い過去の書物でありながら、過去の遺物にはなっておらず、今もなお意味を持つ書物」(3ページ)であると著者はいう。その理由は『日本書紀』という書物の性格に求められる。
 「『日本書紀』は歴史書であるが、その記述は客観的、中立的なものではなく、はなはだ政治的なものであり、歴史的事実とは異なる創作記事が多々記されている。だが、この書物は、天皇が定めた国家の歴史書として大きな影響力を持った。そのため、『日本書紀』完成以後は、同書を継承しようとする書物が記される一方、同書の記述に反駁しよう、あるいは無化することによって対抗しようと試みるような書物が現われ、いくつもの書物が『日本書紀』を取り巻くようにして作成されて行った。それは書物と書物との戦いであり、それが現実の政治権力や経済的権益と連関している場合があった。そうした書物と書物の構想や政治的対決の世界の中で、『日本書紀』は常に書物群の中央に君臨していた。」(4-5ページ)
 この書物は、『日本書紀』とはいかなる書物なのかだ、同時代にどのような力を持ったのかについて、関連する書物を掲げながら考察することを主眼とし、併せて『日本書紀』が成立してから今日に至るまでの影響力についても論じている。その内容は以下のようなものである:

第1章 権威としての『日本書紀』
第2章 『日本書紀』の語る神話と歴史
第3章 『日本書紀』研究の歩み
第4章 天皇制度の成立
第5章 過去の支配
第6章 書物の歴史、書物の戦い
第7章 国史と<反国史><加国史>
第8章 『続日本紀』への期待、落胆と安堵
第9章 『日本書紀』の再解釈と偽書
第10章 『先代旧事本紀』と『古事記』
第11章 真の聖徳太子伝をめぐる争い
第12章 『日本霊異記』――仏教と国際基準
終章  『日本書紀』の呪縛を越えて

 第1章「権威としての『日本書紀』」は、『日本書紀』が学校で習ったから名前を知っているが、読んだ人は少ない書物であるということから始まり、にもかかわらず、私たちの歴史常識の中に『日本書紀』に書かれていたことが少なからず含まれている。「『日本書紀』を読んだことがないというのに、その中身を一部とはいえ知っているというのは、考えてみれば不思議なことではないだろうか」(17ページ)というのがこの書物の出発点である。なぜかと言えば、「歴史というものが長い時間をかけて語り継がれ、書き継がれ、重層的な語り伝えの中で有名な出来事や人物が広く知られていくようになるからである。そうした語り伝えの際に要になる書物がいくつかある。『日本書紀』はその一つ、しかも歴史の冒頭を語る筆頭の書物として最重要視されてきた」(同上)からである。いわば日本の歴史の「正典」(カノン)として機能してきたのである。
 『日本書紀』の正典性はは、平安時代から江戸時代にいたるまで、『日本書紀』が読まれ、研究され、また普及していった過程に、また近代の歴史教育の中で果たした役割によって示されている。「天皇を政治の世界の中央に復活させ、また国際社会の荒波に飛び出していった近代日本にとっては、『日本書紀』は他に代えることができない重要書物であり、国家の理念を支える正典として重んじられた」(22-23ページ)のである。
 戦後の歴史教育の中で、考古学研究の発展を反映して、『日本書紀』の前の方の3分の2ほどは歴史教育から姿を消した。しかし後ろの方3分の1ほどは残った。日本の古代史を、①聖徳太子の新政、②大化改新、③律令国家の成立、④律令国家の崩壊過程ととらえる坂本太郎(1901-87)の学説に基づいて小中高の歴史教育は進められてきたのである。しかし、聖徳太子や『大化改新』についての『日本書紀』の記述には編纂段階で創作された記述があることが、戦前すでに津田左右吉(1873-1961)によって指摘されていた。
(津田の議論については第3章でさらに考察が加えられている。)

 これまで述べてきたような『日本書紀』の正典性、言い換えれば権威はそれが天皇の命令によって定められた書物であることによるものであると著者はいう。「中国では、歴代王朝の歴史が書かれた。それらはのちの時代の人が後世から過去を振り返って書くものであり、唐代以降は、前の滅亡した王朝の歴史を後代の王朝が書くというのがならわしとなっていった。これに対し、『日本書紀』の場合はそうではなく、現在の王朝が自らの歴史を書くものになっている。そのため、そこには自らの正統性を書くという姿勢が臆することなく表明されており、歴史の勝者、つまり「勝ち組」による歴史があらわに叙述されている。しかも、この王朝はその後も長く継続していったから、権力の継承者である天皇や貴族たちにとって、この書物は自分たちの政治的権力や経済的権益の根源が直接・間接に書き記されたものになっている」(26ページ)。しかも、『日本書紀』はその後の自らと異なる歴史を主張する歴史書との戦いに勝ち抜いてきた。
 とはいうものの、近代歴史学研究の成果を踏まえて、『日本書紀』の正典性の呪縛から抜け出すべき時ではないかと著者はいう。「この書物では、『日本書紀』を作り上げた『知の構造』と、『書紀』を中心に複数の書物によって織りなされていった歴史について考察し、「この書物に書かれていることをそのまま真実だとする考え方を克服し、『日本書紀』を相対化して、自由に歴史や文化を考える視座を得たい」(29ページ)と著者はこの章を結んでいる。

 第2章「『日本書紀』の語る神話と歴史」では、『日本書紀』の内容の概略を紹介し、その後でその特色を考察している。
 『日本書紀』は全30巻で、漢文体で書かれている。最初の2巻は「神代」の巻で、天地開闢から「天孫降臨」、さらに神日本磐余彦天皇(神武天皇)までが記されている。巻3~30は、神武天皇から持統天皇にいたる代々の天皇の即位のこととその系譜、そして各天皇の事績が記され、天皇自身の性格や文化的な特色などにも言及がなされ、40代におよぶ天皇の歴史が叙述されている。その叙述形式は編年体で、年月の進展に従って記述が進んでいく。
 『日本書紀』は養老4年(720)に完成した書物で、そのあたりの事情は『続日本紀』に記されている。『続日本紀』の記事は信憑性が高く、この記事も歴史的事実を伝えていると考えられる。一方、編纂の開始を記したものと理解されているのは『日本書紀』の天武10年(681)の記事で、その他の記事と合わせて、「この書物が複雑な過程を経て、複数の人物たちによって書かれたものであることが知られる〔山田英雄 1979〕」。(38ページ) 「『日本書紀』は40年間の時間をかけて編纂、完成した書物であった。編纂にあたっては、根本のストーリーをどう描くか、各氏族の祖先や祖神の活躍をどう盛り込むかなどをめぐって、内容を詰める作業が容易ではなく、時間がかかってしまったものと推測される。」(同上)
 『日本書紀』の記す歴史の最大の特色は、神武天皇から持統天皇までの歴代天皇の血筋がつながっていて、持統天皇が神武天皇の血筋上の子孫とされていることである。この君主の血筋の継続は「万世一系」と呼ばれる。明治~昭和時代の歴史学者の中には、国司の特性として「国史の連綿性」を指摘、重視する意見があった。しかし『日本書紀』が記す君主の血筋の一系継続をめぐっては、歴史的事実であるかどうかという議論も戦後になって展開された。そもそも「天皇」という制度は『日本書紀』の編纂が始まった7世紀末に開始されたばかりのもので、それを過去にさかのぼって説明しようとしても無理が生じる。

 時間の都合で今回はここまでで論評を止めておくが、きわめて論争的な書物であること、それゆえに強い印象を残すことは理解していただけたと思う。第3章では、『日本書紀』の聖徳太子についての記述への津田の批判をはじめとする『日本書紀』についての研究史が、第4章では「天皇」という制度の成立の過程が、第5章では「過去にさかのぼって説明する」というのがどういうことであったのかが問題にされる。それらについては、次回以降に取り上げていきたい。
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