『若くて、悪くて、凄いこいつら』、『現代っ子』

11月26日(土)晴れ

 神保町シアターで、「今村昌平を支えた職人魂 キャメラマン姫田眞左久の仕事」の特集上映の中から『若くて、悪くて、凄いこいつら』(1962、日活)と『現代っ子』(1963、日活)の上映を連続して見た。今回は、ともに中平康監督による、1960年代前半の若者の生き方を描いた作品であるが、前者は柴田錬三郎原作の活劇アクションで、後者は同名の人気テレビドラマの映画化であり、出来上がった作品には大きな違いがみられる。

 『若くて、悪くて、凄いこいつら』は、浩(高橋英樹)、新子(和泉雅子)、俊夫(和田浩治)の大学生3人組が別荘地で疑獄事件のカギを握るとされる大企業の元会長に出会ったことから、その会長が書き溜めたノートを手に入れようとしてやってくる悪者たちと対決することになる。元会長には孫娘がいたのだが、つい最近自殺したという。ところが、彼女は生きているという電話がかかってきて、彼女の身柄と引き換えにノートを渡せというのである。ノートを手に入れようとしてやってくる何組かの連中の中で、眠狂四郎と名乗る男(葉山良二)は3人、特に浩には好意を持ち始めたようである。

 東京に戻った3人は大学で同窓のオートバイ狂いの女子学生(清水まゆみ)や没落貴族の御曹司(山内賢)を仲間に引き入れ、策略を用いて悪い連中のところに監禁されていた元会長の孫娘を奪回する。しかし彼女は記憶喪失になっている。彼女をかくまっている元貴族の屋敷に、暴力団が押し寄せてくる。屋敷に住む老婆(北林谷栄)がそういう攻防を嫌がって、孫娘を連れ出してしまう。学生たちは無事彼女を探し出し、元会長との対面が実現するのだが、依然として彼女の記憶は戻らない…。

 同じ中平の『あいつと私』(1961)と同様に大学生たちの群像を描いているのだが、登場人物の性格設定はかなり類型的で、ストーリーは荒唐無稽、題名には「悪くて、凄い」とあるのだが、勧善懲悪の娯楽作品である。先日見た『にあんちゃん』の脚本を今村昌平とともに執筆していた池田一朗が脚本を書いていて、『にあんちゃん』のリアリズムとはあまりにも対照的な作品になっていると思った。現実離れがしている分、「正義は勝つ」(というよりも主人公たちが勝つ)とわかって安心してみていられる。かなり乱暴なアクション場面も挿入されているのだが、誰も死なない。和泉雅子と清水まゆみの脱衣場面もあるが、50年以上昔の映画であるから、直接的には描かれていない。むしろ、きわどいセリフが多いところに中平の特徴を認めるべきであろう。

 『現代っ子』は東京の下町の3人兄妹(鈴木やすし、中山千夏、市川好郎)が警察官である父を失いながらも、人の世話にならずに、自分たちだけで強くたくましく生きていこうとする物語である。『若くて、悪くて、凄いこいつら』が現実離れをしているのに対し、こちらは登場人物が長所と欠点を持ち合わせた人間として描かれ、下町の風景がリアルに描き出されているところに特徴がある。母親が泣いてばかりで頼りにならないから、自分たちで物事を進めていこうというのは健気ではあるが、無理がある。さらに、その後になってくると、だんだん話し合いもしなくなる。3人兄妹の長兄は、母親を働かせることになったことに罪悪感を感じ、中学生の弟は独善的に暴走するところがあり、それぞれどこかで無理をしている。映画を見ていて、それぞれの登場人物に助言してやりたいと思ったりする場面が少なくない。

 すでに述べたように、もともとテレビで放映された物語を、主要キャストをそのままに映画化した作品であり、視聴者の生活から遠くにはいない作中人物の生き方について、番組を見ながら批評しあい、解決策を探るというテレビ・ドラマの特徴が映画にも持ち込まれようとしている。中平が、その後の監督としての映画作りの中で、リアリズムとこのような対話型のドラマ作りという可能性をさらに推し進めなかったことが惜しまれる。もちろん、中平が他の様々なジャンルでその才能を発揮した実績は認めるのだが、それが最後まで続かなかったのは、これらの可能性を掘り下げる努力を怠ったためではないかと思うのである。
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