カラブリア州とカンパネッラ

11月7日(月)曇りのち晴れ間が広がる

 イタリアで出会った食べ物と人々の暮らしぶりについて描いた内田洋子『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)を買って、読み進んでいるところなのだが、この書物は次のように書き出されている:
「イタリア南部に、カラブリアという州がある。この州のことを、誰も知らない。外国人だけではなく、イタリア人すら知らない。」(7ページ)

 ところが、私はカラブリア(Calabria)という地名をかなり早い時期(たぶん、高校時代)から知っていた。岩波文庫に入っているシラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac, 1619-1655)の『日月両世界旅行記』(今、私が手にしているのは有永弘人訳だが、新しい訳が出ているはずである)の第二部「太陽諸国諸帝国」で、主人公兼語り手は、地球から飛び立って太陽に到着し、鳥たちにつかまって裁判を受けるというような様々な経験をしたのちに、一人の老人に出会う。彼は言う:
「わたしの名はカンパネッラといい、国からいえばカラブリヤ人です。太陽に来てからというもの、わたしはこの大きな球体の諸々の土地を訪れて、その奇観を発見することに時をつかいました。太陽は王国と共和国と州と公国に分れていることは地球と同じです。こうして四足獣も、鳥類も、植物も、石もそれぞれ、その国を持っています。そしてその中には異種族の動物、殊に鳥類が何よりも不倶戴天の敵として憎んでいる人間には入国を許さない者たちがいるにかかわらず、わたしは危険を冒すことなく旅行できます。というわけは、哲学者の魂は、人がそれを苦しめるために使用する道具よりもさらに繊細な部分から織りなされているからです。」(有永訳、153ページ)
 
 カラブリヤ(=空振り屋?)という地名が強く印象に残っただけでなく、大学進学後にユートピア思想に興味を抱き、このカンパネッラと名乗った老人が『太陽の都』(Civitas Solis)の著者トンマーゾ・カンパネッラ(Tommaso Campanella, 1568-1639)という実在の人物であること、カラブリアが長靴型のイタリア半島のつま先の部分、海を渡ればシチリアという場所にある州の名前であることを知るようになった。だから、シラノ・ド・ベルジュラックとトンマーゾ・カンパネッラのおかげで、カラブリアという名前とその場所だけは、記憶にとどめてきたのである。

 いろいろな要素がまじりあって複雑な展開を見せるこのかなり不思議な物語の中でカンパネッラが言うところによると、彼は死後、その魂が太陽にやってきたのだという。普通の人間が死ぬと、その魂は太陽と一体化するのだが、哲学者はそうならずに、太陽の世界の住人となる。自分はすでに述べたように、太陽帝国の各地域を旅行していたのだが、最近、到着した友人(=デカルト)に会うために旅行を中断して、哲学者の王国へと急いで戻る途中なのであった。

 有永を含む多くの研究者が、シラノのこの書物は、カンパネッラの『太陽の都』に大きな影響を受けていると考えている。実在のカンパネッラはガリレイと交わったりして最先端の科学知識を身につける一方で、独自の自然哲学を構想し、その一方で魔術に関心を寄せたり、宗教改革に同調したり、かなり揺れ幅のある人物であったようである。晩年、イタリアからフランスに亡命して、シラノの哲学の師であるといわれるピエール・ガッサンディ(Pierre Gassendi, 1592-1655)とも交流があったというから、シラノも生前の彼に会った可能性はある。ガッサンディはエピクロス哲学の復権に貢献したほか、「理性」を重んじるデカルトに対して、「経験」の重要性を主張して論争を展開した(スウィフトの『ガリヴァー旅行記』の第3部第8章にこの論争に関連した箇所があるので、興味のある方はお読みください)。シラノの『太陽帝国』の最後には、デカルトが登場するのだが、この作品全体を通じて流れる考え方は、エピクロス的で、シラノはやはりガッサンディに近い思想をもっていたのではないかという気がする。

 『太陽の都』を読んだことはあるが、本がすぐには見つからない状態なので、詳しいことが書けないのは残念である。共産主義的な制度が支配する架空の都市を描いたこの書物はトマス・モアの『ユートピア』やフランシス・ベイコンの『新アトランティス』と並んで、ルネサンスのユートピア文学を代表する作品と考えられている。川端香男里『ユートピアの幻想』(講談社学術文庫)は、『太陽の都』に多くのページを割いていないが、宗教改革の影響がヨーロッパに広がる中で、この世の中の終わりが間もなくやってきてキリストが再臨するというような千年王国的な期待が高まり、そのような宗教的な期待の中で生み出された典型的なユートピアが『太陽の都』であったと論じられている。

 さらに川端さんは「アルフレート・ドーレンはこのカラブリアがピュタゴラスやエンペドクレースや、ジョアッキーノ・ダ・フィオーレの故郷であり、この後も黙示録的期待の発祥地であることを指摘した」(川端、講談社学術文庫、111ページ)と書き添えている。カラブリアには古くからギリシャ人の植民地が築かれていて、一種の精神的な伝統が形成されていたということらしい。学者の中にはカラブリア州の精神的な風土について注目する人もいたわけである。とともにカンパネッラが貧しいカラブリアの貧しい農家の出身であったことも忘れてはならないだろう。そして、(最初に戻るが)内田さんの本には、イタリア西北部のリグリア州にカラブリア州から移住する人が少なくないという話も記されている。都会で働くのではなく、漁師は漁師として、農民は農民として働く例が多いという。いろいろと考えさせられる。 
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