日記抄(10月14日~20日)

10月20日(木)晴れ、気温が上がる。

 10月14日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
10月14日
 NHK「カルチャーラジオ」「科学と人間」は『漱石、近代科学と出会う』の2回目。『猫』の寒月、『三四郎』の野々宮宗八のモデルといわれる寺田寅彦と漱石の関係について、寅彦が漱石の創作活動にヒントを提供した例などを中心に話が進められた。
 ところで、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したことが話題になっているが、イタリアの詩人・劇作家でノーベル文学賞を受賞したルイジ・ピランデッロは漱石と同じ1867年の生まれである。何か、ピランデッロの方が若いような印象があるのはどういうことだろうか。
 Margery Brady(1990), The Love Story of Yeats & Maud Gonneという本の中にウィリアム・バトラー・イェイツ(1865-1939)がノーベル文学賞を受賞した際の話が出ていることも思い出す(1865年生まれということは、森鴎外と同じ年の生まれということになる)。イェイツは『アイリッシュ・タイムズ』紙(現在も刊行されている、アイルランドの高級紙)の編集長からの電話で受賞を知ったという。彼が最初に質問したことは、賞金がいくらかということであり、7,500ポンドという答えを聞いて、当時生活に余裕がなかったイェイツは大いに喜んだ。それで、奥さんとワインでお祝いをしようと思ったのだが、ワインがなかったので、ソーセージだけで済ませたという。翌日、イェイツはダブリンのシェルボーン・ホテルでお祝いのディナー・パーティーを開いたが、その席に最初に届いた祝電が、ジェイムス・ジョイス(1882-1941)からのもので、彼は大いに喜んだ。アイルランドの文学を代表するこの2人の作家は、お互いに批判もしあっていたが、やはり尊敬しあっていたのである。

10月15日
 NHKラジオ「攻略!英語リスニング」は”The Fall of Constantinople"(コンスタンチノープルの陥落)を放送した。4世紀にコンスタンティヌス大帝によって作られ、
It was one of the great centers of medieval Christendom, a place of culture and learning and magnificent architecture.
(中世におけるキリスト教世界の拠点の1つであり、文化と学問と素晴らしい建築があった場所であった。)
 しかしイスラム教を奉じるオスマン帝国の力が強くなり、1453年にその若いスルタンであるメフメットⅡ世による攻撃を受けてついに陥落する。包囲戦は50日以上に及んだが、その間に様々な敗北の前兆があったという。ところで、その前兆の1つがa partial eclipse (部分月食)であったというのだが、月はイスラム教徒がシンボルとして使っているのだから、攻囲軍の敗北の前兆と考える方が自然だと思うのだが、そういうことはもはや考えていられない状態であったのだろうか。コンスタンチノープルから西方へ逃げた学者や芸術家たちと、彼らが伝えた知識や技術がルネサンスの一因になったといわれる。

10月16日
 Eテレの『日本の話芸』では月亭八方「コテコテ版 男の花道」を放送した。桂文枝作の新作落語で、旅芸人の一座が解散し、その座長がイタリア料理店にウェイターとして転職するが、予想以上にうまくいく…という噺である。一座が解散するところと、イタリア料理店での社長との会話という2つの部分がうまくつながっているとはいえず、その点での工夫の余地が残されている。

 横浜FCはアウェーで水戸ホーリーホックと1-1で引き分ける。

 夜空に浮かぶ満月を見ながら、ダンテの『神曲』の月天の部分を思い出していた。

10月17日
 この日の当ブログにアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』について書いたが、この映画を始めてみたのは、大阪にあったATG(アート・シアター・ギルド)の北野シネマでのことであった。

10月18日
 『朝日』の朝刊によると、京都の下鴨神社は同社の神職の家柄に生まれた『方丈記』の作者鴨長明の没後800年を記念して、彼の座像などを10月28日からの「京都非公開文化財特別公開」に先立って、公開するそうである。
 NHKの「カルチャーラジオ」では木曜日の「文学の世界」で『鴨長明と方丈記』を放送している。その第1回によると、私が通った京都大学の本部構内の時計台の北側あたりに長明が生まれ育った南大路亭があったそうで、長明と『方丈記』により親しみを覚えた。
 当ブログの2012年12月30日の項に「思いで」という詩を投稿しているが、下鴨神社と糺の森にかかわる思いでをまとめたものである。

10月19日
 NHKラジオ「ワンポイント・ニュースで英会話」では、平城京の遺跡から出土した木簡にペルシャ人らしい名前が記されていたことが分かったというニュースを放送していた。唐時代の中国にはペルシャ人は大勢住んでいたようであるから、その中の1人や2人が日本にやってきても不思議はない。問題は、その人の名前がペルシャ人らしいということで、ペルシャ人と決めつけてしまう考え方の方である。

 同じく「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」で落語の「芝浜」を圧縮した話を放送していた。大みそかの12月31日という表現が出てきたが、大みそかが12月31日になったのは、明治5年(1872年)に太陽暦を採用したのちのことである。それまでの天保暦(太陰太陽暦)では1年は365日ではなく、354日であった。これは気を付けておいた方がいいことの一つである。

10月20日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquote"のコーナーで取り上げられた言葉:
Do not go where the path may .lead. Go instead where there is no path and leave a trail.
---- Ralph Waldo Emerson
(U.S. philosopher, poet and essayist, 1803 - 82)
(敷かれた道を進んではならない。そうではなく、道のないところを進んで足跡を残しなさい。)
 高村光太郎(1883-1956)の有名な詩、
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
を思い出させるところがある。一海知義先生は、この高村の詩が、魯迅(1881-1936)の短編小説「故郷」の結びの
もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
と対比できるものだとどこかで書かれていた。さて、この魯迅の言葉と同じようなことをスペインの「1898年世代」の詩人であるアントニオ・マチャード(1875-1939)が書いているが、魯迅とマチャードはお互いにお互いの著作を読んだ形跡がないという話を読んだことがある。高村光太郎の詩は新しい道を切り開くというところに強調点があり、魯迅の言葉は、むしろ新しい道が将来の主流になることを希望するというところに強調点があると思うのだが、マチャードを含めて、彼らがほぼ同時代人であるという点が興味深い。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR