『灰とダイヤモンド』とオギンスキのポロネーズ

10月17日(月)雨

 「日記抄(10月7日~13日)」でアンジェイ・ワイダ監督の訃報について触れたが、あまりに簡単すぎたので、彼の代表作の一つ『灰とダイヤモンド』について考えていることを少し書いておきたい。この映画はイェジ・アンジェイェフスキが1948年に書いた同名の小説を1958年に映画化した(日本公開は1959年)もので、原作が執筆された時期との政治状況の微妙な変化を反映して、登場人物の性格付けなど原作とは異なる部分がある(原作者も脚色に加わっている)。学生時代に原作を読み、その後、映画も何度か見た。ただし、その後長い時間が経過し、記憶にたよって書いているため、以下の記述には不正確な部分があるかもしれない。なお、この映画の題名は、原作(と映画)の中で引用されているポーランドの詩人ノルビットの詩に基づいている。

 1945年5月、ドイツ軍の降伏により独立を回復したはずのポーランド。ロンドン亡命政府派とソ連軍の力を背後にもつ共産主義者が戦後の主導権を争い、後者が優勢である。亡命政府派の青年マチェクは、モスクワから帰ってきた共産党の幹部であるシュチューカの暗殺を依頼されるが、誤って別人を殺害してしまう。あらためて彼はシュチューカを暗殺しようとするが…。

 この映画からはいろいろな意味を読み取ることができるはずであるが、私の心に一番突き刺さっているのは、終わり近く、戦勝記念祝賀会で、そろそろみんなが踊りつかれてきたときに、シュチューカがショパンの『軍隊ポロネーズ』を演奏し、踊らなければならないと言い出す場面である(曲名を言うのではなく、楽曲の出だしを歌って指示する)。それまで演奏されていたのは、ポーランドの作曲家ミハウ・クレオフォス・オギンスキ(1765-1833)の『ポロネーズ第13番イ短調』<祖国への別れ>である。どちらもポロネーズであるし、ポーランドの作曲家の曲であるから似ているといえば、似ている。しかし、両者を比べると、オギンスキの曲の方がポーランド的な感じがする。

 これは私の独断と偏見で言うのだが、ポーランドの楽曲というのはやたら装飾音符が多いという印象がある。オギンスキもそうだし、チェーホフの戯曲『三人姉妹』で姉妹の隣人の家から何度も聞こえてくる「乙女の祈り」などという曲もそうである(末娘のイリーナがこの曲を嫌がっているのは、たぶん、装飾音符過剰のためであろうと私は思っている)。ポーランドを去ってフランスを中心に活動をつづけたショパンの楽曲も装飾音符は多いが、やはりある程度抑制され、民族的な特色は抑えられているように思う。とはいうものの、オギンスキの曲はポーランドの独立の回復の思いとともに長く演奏され続けてきた歴史を持つ。つまり、この場面から私は民族主義的な感情と、より国際的・普遍的なものを目指す理念の対立を読み取ったのである。それにしても、ここでのシュチューカの態度はひどく横暴に思える。そういう演出がなされている。

 興味深いのは、1971年にソ連(当時、現在ではベラルーシ)で製作された(日本では1972年に公開)『小さな英雄の詩』(レフ・ゴループ監督)という映画は、『灰とダイヤモンド』よりも前の独ソ戦の中で親に死に別れた音楽少年のさすらいを描いているが、この作品で少年が出会うポーランド人のオルガン弾きがオギンスキのポロネーズを強く愛しているという設定になっていることである。ネタバレになるからあまり書きたくないのだが、この映画の最後の場面で、ワルシャワで開かれた音楽コンテストでヴァイオリニストとして成長した少年がオギンスキのポロネーズを弾く…ということになっている(オルガン、ヴァイオリンで演奏することで、装飾音符が多少省かれているということがあるかもしれない)。この映画のスタッフが『灰とダイヤモンド』を見ているか、見ていたとすれば、どのように受け止めていたかということにも興味がある。(それから『小さな英雄の詩』がロシアではなく、ベラルーシで製作されていたということも注目してよいのかもしれない。)

 主人公であるマチェクの運命、暗殺が成功するかどうかということもさることながら、夜遅くまで踊った(踊らされた)人々の運命、あるいは彼らがどのように戦後のポーランドを生きたか、あるいはどのように音楽と付き合ったのかということも気になる。それが『灰とダイヤモンド』の主要なテーマではないのかもしれないが、音楽(あるいは文化一般)の中での民族的なものと国際的あるいはより普遍的なものとの対立・葛藤という問題が私をとらえて離さないままなのである。

 永井荷風の『断腸亭日乗』1939年9月の項に、ドイツとポーランドの間で戦争が始まったことを記し、ショパンとシェンキェヴィッチの祖国に勝利の栄光あれかしと書き留められている。荷風のヨーロッパ文化に対する愛着と理解とが同時代の日本人の多くに勝るものであったことを物語る箇所ではあるが、『灰とダイヤモンド』という映画を見ていると、それでもまだ荷風には理解できなかったであろう部分があるということも知らされるのである。(ポーランドはショパンとシェンキェヴィッチの祖国であるとともに、オギンスキとミツキェヴィッチ=彼の『パン・タデウシュ物語』をワイダは映画化しているの祖国という受け止め方もある。)
 
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