ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(4-1)

10月11日(火)曇り

 地球の南半球にそびえる煉獄山の頂上にある地上楽園でベアトリーチェに会ったダンテは、彼女の導きで天界へと旅立つ。最初に到達したのは月天で、天体であるとともに、天国の一部である。そこには誓願を果たすことができなかった霊がいる。そのような霊の中にダンテは親友であり煉獄でその魂に出会ったフォレーゼ・ドナーティの妹であるピッカルダを見出す。彼女は修道女であったのが、もう1人の兄コルソによって無理やり修道院から引き出され、政略結婚させられたのである。

 この出会いからダンテは2つの疑問を抱く。その2つの疑問のどちらを最初に口に出すべきか、ダンテは迷う。そして
等距離に離れ、等しく食欲をそそる
二つの食べ物の間にあると、自由なる人間は、
その一つを歯でかじる前に飢えて死ぬ、
(62ページ)という荒唐無稽なたとえを持ち出す。翻訳者である原さんの解説によると、ダンテは理性により意志は導かれるのであり、人間には完全な自由意志があるから、人間の行為の責任はその人間自身にあると考えていたという。ふつう、この考えはトマス・アクィナスの影響を受けたものとされているが、トマスは理性が意志に従属するという立場をとっていた。そこから、神の本質は理性にではなく、意志、換言すれば欲望にあるとする考えが出てくる。これは自身のあらゆる行動を神の意志ゆえのものとして正当化した<教皇の絶対的に無謬な自由>や絶対君主の自由に繋がっていく。これに対して、ダンテは理性によってそのような<自由>を規制しようとする立場に立っているのであるという。〔少し言葉遣いを変えると、現代の政治状況の中での意志決定の在り方につながる意味が見いだされる。〕

私は沈黙していた。しかし私の願いは
自分の顔に描かれ、それは話して表されるより、
ずっと熱意にあふれて問いかけていた。
(62-63ページ) ダンテの表情から彼が抱いている2つの疑問を読み取ったベアトリーチェは、それを言葉に変えてダンテに説明する。1つは、他人の暴力により意志の実現を妨げられても、その責任はその人にあるのかということであり、もう1つはプラトンが『ティマイオス』で述べていること、人間の魂は死後もとの住処であった星へと戻っていくというのは本当のことかというものである。

 ベアトリーチェは、第2の疑問から答えていく。ダンテが月天で出会った魂たちも、実は最高位の天使たちや旧約聖書の預言者、使徒、さらには聖母マリアと同じく、至高天にその座を持ち、
実は皆、第一の天輪を美しく飾っています。
そして永遠の息吹を感じる多少に従い
さまざまに異なる清らかな生を送っています。
(65ページ)という。ダンテが月天で彼らの霊に出会ったのは、至高天の内部で霊的な功績に従い、席が下から円をなして階段状に積み重なっていて、彼らはその一番下の席にいる。人間の理解は感覚をもとに行われるので、言語で表現不可能なものを、別なものを語ることで表現して伝えなければならないからだと、説明する。
あなた達の資質に対しては、このように話しかけることが必要なのです。
なぜならそれは、ただ感覚のみにたよって、
後で知性が整理するものを知るのですから。
(66ページ) 人間はまずもって感覚的な存在であるという考え方は、西洋の認識論や教育学の歴史の中で大きな流れを形成していて、ダンテもその流れの中にいる1人であることがわかる。そういえば、ダンテが旅してきた煉獄の道筋には、人間の感覚に訴えてその信仰や道徳性を改善しようとする仕掛けがいくつも見られた。〔人知を超えた存在について人知の範囲内で説明することは不可能なはずだが、それを可能にしようとアレゴリー(寓意、象徴)という手段が用いられる。芸術を通して人間性を改善しようとする試みは、そういう流れの中にあるのだが、果たしてどこまで有効なのか…という問いが、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』の最後の方で展開される。〕

 プラトンは『ティマイオス』で人間の魂は肉体以前から存在し、星に住み、肉体と偶然に結合し、肉体が滅びると星に帰って次の肉体との結合を待つという考えを述べている。ベアトリーチェはこの考えは全くの間違いではないという(キリスト教的に解釈しなおす余地があるということである)。中世キリスト教の影響下にあったダンテの考えでは、魂は人間の誕生時に神により創造され、生まれ変わることはなく、固有のもので、死後、地獄か天国に行くことになっていた。しかし、人間の世界で起きることが、天界の動きに影響されているという考えは
幾分かの真理を射抜いているのです。
(67ページ)とベアトリーチェに言わせている。しかし、古典古代の人々は、このような影響をユピテル(木星)、メルクリウス(水星)、マルス(火星)などの神々として神格化するという誤りを犯したともいう。異教ローマ世界は、それらの神々が実在し、星の世界に住み、地上の出来事を決定するという信仰を持っていたとダンテは考えていた〔実際のローマ人の信仰のありようはもっと複雑で、多様であった。その一方でより明快な生きる原理を示すストアやエピクロスの哲学や、キリスト教がローマ人の間に浸透していったことも見落としてはならないだろう〕。
 たぶん、多くの日本人にとって、ダンテよりもプラトンの考えの方が人間の魂の運命についての説明として受け入れやすいと思うのだが、どうだろうか。ベアトリーチェはダンテのもう一つの問いにどのように答えるかをめぐっては、また次回に。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR