嘉数次人『天文学者たちの江戸時代――暦・宇宙観の大転換』

9月26日(月)曇り

 嘉数次人『天文学者たちの江戸時代――暦・宇宙観の大転換』(ちくま新書)を読み終える。7月に入手して、全5章のうちの4章の半ばまで読み進んでいたのだが、本がどこかに紛れ込んだために読書が中断していた。本を見つけ出すとすぐに読み終えることができたのは、この書物が読みやすく面白いからである。

 日本では長らく中国から暦を輸入して使っていた。ところが平安時代の862年に宣明暦法が採用されて以来、ずっと新しい暦を輸入する試みが絶えてしまった。江戸時代は、ようやく日本人が自力で暦を作り出すようになった時代であり、1685(貞享2)年から施行された「貞享暦」、1755(宝暦5)年から施行された「宝暦暦」、1797(寛政9)年に完成し、翌年から施行された「寛政暦」、1844(天保15)年から施行された「天保暦」と、改暦が繰り返され、その間、中国の暦法の採用から、西洋天文学に基づく暦の作成への転換が行われた。天文学は暦と天文占いの2つの柱を立てて発展してきたが、江戸時代を通じて、天文占いは後退し、合理的・科学的な天体観が次第に発展していった。また天文学は暦法以外にも、伊能忠敬による日本地図の作成作業などでも重要な役割を果たした。

 この書物は大まかに言って以上のような内容を持つ。徳川の300年を通じて、次第に西洋天文学の影響が強くなってきたというだけでなく、その西洋の天文学がこの時代、天動説から地動説へ、ケプラーの楕円説、ニュートンの引力説、ハーシェルによる天王星の発見と、劇的に変化していたのであり、そうした変化の波が日本にもゆっくりと押し寄せてきていることにも気づく。

 目次は次のとおりである:
プロローグ 天文と暦――日本の天文学ことはじめ
第1章 中国天文学からの出発――渋川春海の大仕事
1 800年ぶりの改暦――渋川春海と貞享改暦
2 渋川春海は星占い師?――天文占いと星座研究
3 西洋天文学との出会い
第2章 西洋天文学の導入――徳川吉宗・麻田剛立が開いた扉
1 西洋天文学を導入せよ――徳川吉宗の試み
2 西洋天文学が変えた宇宙像――麻田剛立が見た宇宙
3 吉宗の願いが叶う時――寛政の改暦
第3章 改暦・翻訳・地動説――高橋至時・伊能忠敬による発展
1 下級武士が取り組んだ改暦事業
2 拡大する天文方の仕事――蘭書翻訳と伊能忠敬の測量事業
3 地動説への取り組み
第4章 変わる天文方の仕事――間重富・高橋景保の奮闘
1 町人学者の改暦参画――間重富
2 伊能忠敬の全国測量異聞
3 オランダ語と天文学――蛮書和解御用
4 広がる天文学研究――彗星と天王星
第5章 西洋と東洋のはざまで――江戸の天文学の完成期
1 シーボルト事件と天文方
2 渋川景佑の活躍と天保の改暦
3 幕末の天文学
4 江戸の天文学の終焉

 渋川春海が幕府の碁方である安井算哲の実子で碁打ちでもあったこと、吉宗が大望遠鏡を作らせたが、まだ性能が低く、土星に耳があるように見えたこと(74ページに図入りで紹介されている)、伊能忠敬が地図作成事業に取り組んだのは、彼の師である高橋至時が地球の大きさを知りたいと考え、そのために子午線の長さを実測によって求めようとしたことが発端であること、高橋至時は地動説を採用せず、ティコ・ブラーエの地動説との折衷的な天動説を正しいと考えていたこと(当時の観測の水準からすれば、これは当然のことである)、渋川景佑が英国で発行された航海暦を手掛かりとして天王星の観測に成功したことなど興味深い記述が多く盛り込まれている。

 明治以降の日本の天文学は、内発的な発展の成果というよりも、海外からの輸入によって成立したもので、宇宙観の内発的な発展や観測資料の継承など、江戸時代の天文学から引き継ぐべきものも多くあったのだが、それを無視してしまったことは残念なことである。
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明治以降の日本の天文学は

>明治以降の日本の天文学は、内発的な発展の成果というよりも、海外からの輸入によって成立したもので、宇宙観の内発的な発展や観測資料の継承など、江戸時代の天文学から引き継ぐべきものも多くあったのだが、それを無視してしまったことは残念なことである。

〇なるほど、日本の天文学も、江戸時代、そして、それ以前から独自の発展を遂げていたのですね。
 参考になります。

Re: 明治以降の日本の天文学は

ささげ 様

コメントをありがとうございました。私の議論の趣旨は、①江戸時代以前の天文学・暦学について知る、②その中の優れた側面を継承する努力が必要だということで、嘉数さんの本はおそらく読者が一定の知識を持っていることを前提に書かれていることに注意する必要がありそうです。例えば、江戸時代の陰陽暦では1年は365日ではなく、354日であり、このため19年に7回閏年を設けて、閏月を足して修正する必要があったというようなことです。偉そうなことを書きましたが、私も暦の問題には詳しくなく、2033年に友引をどのように設定してよいのかがわからないのが問題になっているという記事がインターネットに出ていて、その記事で、現在「旧暦」と言われているのが「天保暦」であることを知りました。「天保暦」の作成に至った天文学・暦学研究の苦心は重視すべきですが、そこで出てきた暦は、今や太陽暦の時代になっているのだから、忘れてもいいのではないかという気もします。
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