ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』(3)

9月21日(水)曇り、晴れ間がのぞくこともあったが、雨が降り出すこともあった。台風は通り過ぎたが、秋霖の雨雲が居座っている。

これまでのあらすじ
 親が愚かな結婚をしたために、貧乏人の子沢山の家で育ったファニー・プライスは、10歳の時に、母の姉の夫である准男爵サー・トーマスの屋敷マンスフィールド・パークに引き取られる。虚弱体質で内気な少女は、伯母であるノリス夫人のいじめと、従兄であるトマス、従姉のマライア、ジュリアのからかいに会いながら、もう一人の伯母であるバートラム夫人のお世話係として、ひたすら耐える日々と送る。その中で味方となるのは、従兄(次男)のエドマンドで、ファニーは彼の影響で読書の喜びを知り、立派な道徳心を身に着けた、感受性豊かな女性へと成長する。そして、ファニーはエドマンドに対して、恋心を抱く。
 マンスフィールド教区の新しい牧師になったグラントのもとに、グラント夫人の異父弟妹であるヘンリーとメアリーというクロフォード兄妹がやってくる。ロンドン仕込みの機知あふれる個性的な美人メアリー・クロフォードの魅力にエドマンドはひかれ、メアリーも自分本位に遊びまわっているトムよりも、まじめでひたむきなエドマンドの方が魅力的だと考え始める。一方、ヘンリーはマライアとジュリアの両方の心をもてあそぼうとする。
 トムを訪ねてマンスフィールド・パークにやってきたイェーツの話がきっかけとなり、屋敷の若者たちの間で芝居を上演しようという話が持ち上がる。西インドのアンティグアにある自分の農園に滞在中の父親で、謹厳なサー・トマスがいれば賛成しない計画であるとエドマンドは反対するが、計画はどんどん進んでいく。その中で、ヘンリーはジュリアよりもマライアに心を寄せていることが明らかになる。

第16章
 芝居への出演を頼まれたファニーは、自分が好きに使っている<東の部屋>でどうしようかと思案に暮れていると、エドマンドがやってきて、素人芝居に外部の人間を巻き込んで騒ぎを大きくするよりも、自分が出演することで内輪の催しにとどめる方がいいだろうと思い、芝居に協力・参加することにしたと語る。その決心の背後に、メアリ・クロフォードの影響力を感じたファニーは不安になる。

第17章
 エドマンドが芝居に協力することを知ったトムとマライアは喜ぶ。ファニーが演じるように頼まれていた農夫のおかみさんの役は、教区牧師の妻であるグラント夫人が引き受けてくれた。ファニーは芝居の準備の中で果たすべく役割もなく、寂しい思いをするが、「サー・トマスのことを考えると、絶対に反対しなければならないこの素人芝居に、私が参加するわけにはいかないのだ」(243ページ)と自分に言い聞かせる。芝居の準備からのけ者にされているのはジュリアも同様であった。ヘンリー・クロフォードは姉の方が好きだということを知った彼女は、「婚約中という姉の立場を心配することもなかったし、自分のために冷静に落ち着きを保とうという努力もしなかった。」(244ページ) それでもジュリアは、イェーツ氏の心づかいだけは時々受け入れていた。

第18章
 芝居の準備は順調に進んでいるように見えたが、ファニーは意外なことに「べつに大きな障害が生じたわけでもないのに、みんなはこの準備をすっかり楽しんでいるわけでもなさそう」(250ページ)だということに気付いた。エドマンドの内輪だけで上演するという意見は無視されて、トムの意向で上演は大掛かりになり、そのトムは自分のセリフは全部覚えてしまったのに、ほかの出演者がもたもたしているため、待つ身のつらさを味わっていた。ほかのみんなも何かしら不満を抱えていて、ファニーがそれらの不満の聞き役になっていた。稽古の中でマライアとヘンリーとは熱いところを見せて、ラッシュワースをいらだたせていたが、そのラッシュワースのセリフの覚え方が遅いのも問題であった。
 ファニーが針仕事を抱えて<東の部屋>に戻り、物思いにふけっていると、メアリ・クロフォードがやってきて自分の稽古に付き合ってほしいという。彼女がそうしていると、エドマンドがやってきて、ファニーは劇中の2人が恋愛について語る場面の稽古にプロンプター兼観客として付き合うことになる。
 ディナーののち、最初の3幕のリハーサルを行う予定になっていたが、グラント牧師が体調を崩したために、グラント夫人が参加できなくなり、ファニーが農夫のおかみさんのセリフを読むように頼まれる。リハーサルが始まったが、突然、部屋のドアが開き、ジュリアが現れて、サー・トマスが帰宅したと告げる。

第19章
 芝居に参加していなかったジュリアが、父親にあいさつするために出ていくと、トム、エドマンド、そしてマライアも迎えに出ていく。ヘンリー・クロフォードの助言であいさつに出かけた方がよいといわれたラッシュワースも3人の後を追う。ファニーは、クロフォード兄妹、イェーツとともに後に残る。クロフォード兄妹はサー・トマスの怒りや、芝居が中止になることを予測して、そのまま帰宅したが、イェーツはその場に残るという。
 ファニーは遅れて、客間にいるサー・トマスのところに出かけるが、思いがけなく優しい対応をされる。ラッシュワースもたいへん丁重に扱われる。
 しばらく団欒が続くが、サー・トマスが自分の部屋の様子を見てくると席を立ったために、彼の部屋を使って芝居の準備をしていた一同は慌て始める。部屋ではイェーツが自分の演技の稽古をしているのである。サー・トマスはイェーツがトムの友人の1人であることを知り、主として彼の口から、芝居の計画について知る。イェーツは空気を読めずに、得々としゃべりたて、サー・トマスの怒りを書き立てる。ラッシュワースは(自分がうまく溶け込めなかったからであるが)芝居の計画を非難し、サー・トマスに称賛される。

第20章
 翌朝、エドマンドは父と会って、事情を説明する。サー・トマスは素人芝居の計画を中止させ、舞台装置など、芝居に関係するすべてのものを屋敷から一掃することで、子どもたちに自分の意思を示すだけで、特に説教することはしなかったが、ノリス夫人に対しては、なぜ芝居の計画をやめさせなかったのかと問いただした。「サー・トマスが…反対している素人芝居が、そんなにいけないことだとは思わなかったと告白するのは恥ずかしいし、かといって、自分の影響力が不十分で、忠告しても無駄だったということを認めるのもいや」(282ページ)なノリス夫人は、全力を傾けて話題をそらせる。
 サー・トマスが芝居に関係するものをすべて処分するのを見て、イェーツは反発するが、その威厳に満ちた態度に押されておとなしくなる。マライアは、ヘンリー・クロフォードから求婚されるという愚かな期待を抱くが、ヘンリーはバースの叔父のもとに去っていく。それから1日か2日後にイェーツもマンスフィールド・パークを去る。
(ノリス夫人がヘンリーはジュリアに恋をしたはずなのに、なぜ実らなかったのだろうと不思議に思ったという記述で、ノリス夫人の観察力の不足が明らかになる。一方、ファニーは婚約者のいるマライアとヘンリーの中を心配しているのである。)

第21章
 サー・トマスは他家との親密な付き合いを好まない方なので、マンスフィールド・パークはこれまでとは打って変わって、陰気な様相を見せるようになった。ただラッシュワース家だけは例外であった。エドマンドは、この変化を嘆くが、ファニーはこれがもともとの姿だと気にしない。エドマンドは父親がファニーの変化に気付いたといって、彼女の美点を褒める。そういう称賛の言葉の中に、ミス・クロフォードの影響がみられるのがファニーには気になる。
 ラッシュワースをよく知るようになってサー・トマスは彼が最初に考えたほど賢明な人間ではないことに気付き、マライアのことが心配になる。それでマライアに結婚についての彼女の意思を確かめるが、マライアは一瞬のためらいを見せたものの、結婚したいという気持ちに変わりはないと答える。
 11月半ば前にラッシュワースとマライアの結婚式が行われ、「とてもきちんとした立派な結婚式だった」(305ページ)。この結婚に最も貢献したことを自認するノリス夫人はこれ以上はないほどにご機嫌な様子であった。彼女の自信に満ちた勝ち誇った表情を見た人々は「ノリス夫人は生まれてこの方、不幸な結婚生活というものを一度も耳にしたことがないのだ。それに、自分が手塩にかけて育てたマライアがどういう性格か、まったくわかっていないのだ」(306ページ)というだろうと、作者は書き記している。
 ラッシュワース夫妻は、数週間ブライトンで過ごし、その後、ロンドンに行く予定であった。当時は普通のことであったのだが、ジュリアもブライトンに同行することになった。2人がいなくなったことは、マンスフィールド・パークの生活に大きな隙間ができたような変化をもたらした。(そのことで、物語の新しい局面が開けてくるのである。)

 この小説はエドマンドに寄せるファニーの思いが中心になるのだが、そのエドマンドはメアリ・クロフォードに心を奪われている。メアリの兄ヘンリーはマライアとジュリアの心をもてあそび、婚約者のいるマライアと親密になるが、結局彼女を置いて去っていく。マライアが大して好きでもない大金持ちのラッシュワースと結婚するのは、その腹いせの気持ちもあるようである。ヘンリーの行為に、ジュリアは大いに傷つくが、そのジュリアに貴族の子どもだという以外に取り柄のないイェーツが思いを寄せている。このように複雑な恋愛模様を、主役脇役の行動や性格の描写をちりばめて展開していく作者の筆致はなかなかのものである(もちろん、弘法も筆の誤り、英語で言うとEven Homer sometimes nods. という部分も無きにしも非ず)。
 このところ、当ブログ上での紹介が途絶えているのだが、ゴーゴリの『死せる魂』も時代的に接近しているロシア農村社会の地主たちの暮らしを描いているので、両者を比べていろいろなことを考えさせられている。
 
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