親孝行と詩

4月19日(金)曇り

 昨夜(4月18日)、NHKカルチャーラジオ「文学の時間:落語・講談に見る『親孝行』」の第3回「孝行者表彰のゆくえ――現代の親孝行」を聴く。

 江戸から明治へと世が改まったが、孝行者への表彰は1881(明治14)年に制定された緑綬褒章に引き継がれる。1882年から昭和の終わりにかけて、緑綬褒章は合計905人が受賞したが、実はこのうちの多くは親孝行によるものではない。1890(明治23)年から緑綬褒章には「実業に精勤」という項目が加わり、受賞者の多くがこれによるもので、孝子・順孫・節婦・義僕は全体の5分の1以下の160名に留まっている。しかも千五緑綬褒章を「実業に精勤」以外の理由で受賞した人は3人に留まり、その行いを子細に見ると「節婦」と考えられる事例ばかりである。1955(昭和30)年に黄綬褒章が設けられ、実業家や技術者がこの部門で表彰されると緑綬褒章そのものの受賞者がいなくなってしまった。

 ところが1975年ごろから、親孝行を表彰しようとする自治体の試みが見られるようになる。これは一方で経済成長でなおざりにした人間の心を大事にしようとする動きの反映であり、他方で親孝行を軍国主義と結び付けるイメージが薄れたことにもよるものである。

 このような表彰には高齢になった親への介護を対象とするものと、伝統的な親孝行の延長上にあるものが見られる。しかし、この後者については1992(平成4)年の新聞報道によると、疑問の声が寄せられるようになってきたという。それでもこの制度は平成の市町村大合併によって当該自治体が消滅するまで続いたのである。

 その一方で、平成14(2002)年の政府による栄典制度改革で「ボランティア活動などで実績のある個人に」緑綬褒章を授与することに対象が拡大されている。講師である勝又さんは第1回(このブログでは触れていない)で述べた『桃太郎』の変化―身内への孝行から公共への善行へ―と軌を一にするものであると論じている。

 以上、書いてきたことで思い出すのは田村隆一さん(1923-1998)が1997年に次のように書いていることである:「こうなったら、僕は緑綬褒章の戦後4人目の老人になってやるぞ。・・・では、物証は? と問われたら、ただ一言――『子孫に美田を残さず』(『新潮45』1月号、田村『若い荒地』366-7ページより重引) 美田を残す方が伝統的な親孝行には合うだろうが、残さない方が公共のためには役立つかもしれない。とにかく、でたらめを続けてきた詩人の韜晦と見るべきか、照れ隠しと考えるべきか。

 これに比べると「ラク町の街頭詩人」として多くの人々から親しまれた城米彦造(1904-2006)さんの没後編まれた詩集『城米彦造“昭和を謳う〟』(2008)の巻頭に掲げられた「母に」という詩の方が心に素直に響く:
私が十三の歳に亡くなったお母さん
その悲しみの日からもう五十年も経ちました
半世紀という、遠い昔のことなのに
私には、まだ、悲しみは新しく(以下略)

 詩の好みは別にして、田村さんも城米さんも勲章や褒章とは無縁の人生を送った。詩人には無冠が一番よく似合う(桂冠詩人などという制度を設けている国もあるが、なくってもよいのである)。親孝行も詩のように人々の間に広がってゆくのが望ましいのではないか(無理に広まらなくてもよいのではないか)と思う。
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