ジュール・ヴェルヌ『インド王妃の遺産』

9月11日(日)雨が降ったりやんだり

 北朝鮮によるミサイルの発射や核実験のニュースを聞いて、ヴェルヌの『インド王妃の遺産』という小説を思い出した。ヴェルヌが1879年に発表した作品で、原題はLes cinq cents millions de la bégum(インド王妃の5億)である。日本では1968年に集英社から『ヴェルヌ全集』12巻として、中村真一郎による翻訳が刊行され、その後、1993年に集英社文庫に収められた。

 フランス人の医師であり、衛生問題の専門家であるサラザン博士は、英国のブライトンで開かれている国際学会に参加していた際に、シャープという事務弁護士の訪問を受ける。彼の祖母の兄が、インドで軍人として功績を挙げ、藩王の未亡人と結婚し、その莫大な遺産の用益権者となったが、すでに死亡、二人の間の子どもも死亡したので、サラザン博士はただ1人の相続人として5億フランを超える遺産を手にすることになったという。
 ところが、サラザン博士の祖母には姉がいて、その孫と称するシュルツ教授というドイツの大学教授も遺産相続の権利があると主張してくる。結局、サラザン博士とシュルツ教授は5億フランを2人で平等に分けて、2億5千万フランずつを受け取ることにする。サラザン博士は米国の西海岸に民族のあらゆる特性を伸長させ、強健で勇敢な若い世代を育成するのにふさわしい環境を整えた理想の都市を建設するという構想を発表していたが、シュルツ教授も負けずに、その近くに自分の理想を実現し、ゲルマン民族の優秀さを証明するような都市を建設することを計画する。
 サラザン博士にはオクターヴというあまりできのない息子がいて、それでも何とか中央工芸学校(実在するグラン・ゼコール)に入学し、技師への道を歩み始めている。彼にはマルセルという友人がいて、努力家で優秀な人物であり、サラザン博士の家庭にも出入りするようになり、サラザン博士の理想都市建設を手伝うことを約束する。

 それから4年、オレゴン州の砂漠の中に作られたシュルツ教授のシュタールシュタット、つまり鋼鉄都市は、シュルツ教授の所有する鉄の鉱山と炭鉱、製鉄、とりわけ新旧両大陸で最大の大砲製造工場から成り立っていた。シュルツ教授のもとで作られる大砲はその優秀性と、その一方ですぐにダメになることで知られていた。こうして彼は世界のあらゆる国に自分の大砲を売り付け、荒稼ぎを続けていたのである。
 他方、同じくオレゴン州に建設されたサラザン博士のフランス市は都市計画の行き届いた、衛生的で、教育施設の整った都市として発展し、すでにその人口は10万人に達していた。産業は自由であり、すべての指示がシュルツ教授によって与えられているシュタールシュタットとは対照的であった。(何が主要な産業であるのかは記されていない。)

 2つの都市がまだ計画中であった時から、シュルツ教授はフランス市の計画に対して敵対的であり、その不気味な敵意の真相を探るべく、マルセルがシュタールシュタットに変名を使って潜入していた。
 ある日、フランス市の首脳陣が晩餐会の席に集まっているときに届いたニューヨーク・ヘラルド紙(1835年から1924年まで発行されていた実在の新聞。その後、ニューヨーク・トリビューン紙と合併して、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙になる。スタンリーのアフリカ探検を後援して、1871年にスタンリーとリヴィングストーンの会見を実現させたことで知られる。なお、ニューヨーク・トリビューンの方はマルクスがヨーロッパ通信員をしていたことで知られる)に、シュタールシュタットがフランス市を攻撃する計画を具体化していると警告する記事が出ていた。フランス市の人々が慌てて、対策を講じようとしているところに、マルセルが現れた…。

 集英社文庫版の解説で三木卓が書いているように、「この作品の百年前のフランスの対ドイツ民族感情のリアリティは、正直言って気味が悪いほどである」(236ページ)。ヨーロッパ統合が推進されて、このような敵対感情は過去のものになりつつあるように思っていたが、事態はそれほど単純ではないということを最近のヨーロッパ情勢は示している。さらに言えば、この小説には当時の米国西海岸で問題になっていた中国人苦力(クーリー)のことが触れられていて、100年以上の年月が過ぎて、あらわれ方は変わっても、やはり外国人労働者の問題は解決されずに残っていることを考えさせられる。そして、ここではドイツとフランスの対立として描かれているものを、北朝鮮とその近隣の国々という風に読み替えることも可能なのである。

 実在する機関や新聞の名前を登場させながら、作者は物語に現実性を持たせようとしているのだが、まったくの作り話である。この作品には、ヴェルヌの他の作品にもみられる特徴――ロビンソン的な要素と結びついたユートピア志向がかなり前面に出てきている。どこか、新しい未知の場所に移り住んで、そこで新しい理想の社会を作ろうというのである。この作品では、そういう夢とともに、(シュルツ教授のシュタールシュタットも一種のユートピアであるとすれば)危険性も洞察されているように思われる。ヴェルヌの晩年の作品が見せる暗さがすでに表れ始めているとも受け取れる。ある人にとって理想であることが、ほかの人々にとっては悪夢であるということもありうるのである。そしてヴェルヌがどのように社会を理解し、理想を描いていたかも興味ある問題ではあるが、それ以上に、ヴェルヌの夢を手掛かりとして、それをどのように解釈し、自分たちの理想を描いていくかという現代の人間に課せられた課題の方がより重要なのではなかろうか。

 夢想するだけでは事態は解決しないのであるが、それでも、この文章を読んで多少の興味をもった方は、『インド王妃の遺産』を最後まで読んで、シュタールシュタットとフランス市の対立がどんな結末を迎えるのかを見届けてください。

 なお、中村真一郎の翻訳ではシュルツ教授の建設する都市の名が「シュタールシュタート」 と表記されているのだが、私のドイツ語の知識では「シュタット」とする方が適切に思われるので、そのように表記している。念のため。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR