宗教改革を自分に引き付けて考える

9月10日(土)晴れ

 中学・高校の6年間、カトリックの学校に通った。その6年間のうちにカトリックの信者になった同期生はかなりの数に及ぶ。それからもともとカトリックの信者だったというのが少数いた。入学した時から卒業するまで信者にならずじまいというのも少なかったはずである(私はその1人)。ごく少数だが、プロテスタントの信者というのがいた。その1人が、卒業後だいぶたってから会ったときに、宗教の時間で自分が述べた意見は、キリスト教の外部からではなく、内部からの批判なので、先生方が答えるのに苦労されたようだと、多少面白そうに話していた。

 一般的に言って、同じキリスト教信者でもカトリックとプロテスタントでは、あまり交流しないようである。だから、カトリックの学校にプロテスタントの生徒が入学したというのは、お互いにとって自分の意見を確認し、相手の意見を聞いて話し合う、よい機会となったのではないかと思う。
 あまり交流しないというのは、日本だけのことではないようである。家人は私と違ってカトリックの学校を卒業して、だいぶたってから信者になったのであるが、イングランドのある地方都市で、国教会の大聖堂(アガサ・クリスティーの小説に出てきたことがある)の前に、SPCK(Society for Promoting Christian Knowledge, キリスト教知識振興協会)のショップがあったので、そこで、カトリックの教会がどこにあるのか尋ねたところ、知らないといわれた。結局、私が地図で探して、連れて行ったのだが、キリスト教関係の図書やグッズを売っている店の従業員でも自分の宗派(イングランド国教会)以外の教会はどこにあるのか知らないのである。

 以前、このブログで紹介したことがあるHendrik Willem Van Loon, The Story of Mankindの”Reformation"の章に、こんな記述がある。昔、この本の翻訳が岩波の少年文庫に入っていた時に、読んだ時から、ずっと記憶に残っていた箇所で、今でも時々読み返している。
  Take my own case as an example. I grew up in the very Protestant centre of a very Protestant country. I never saw any Catholics until I was about twelve years old. Then I felt very uncomfortable when I met them. I was a little bit afraid. I knew the story of the many thousand people who had been burned and hanged and quartered by the Spanish Inquisition when the Duke of Alba tried to cure the Dutch people of their Lutheran and Calvinistic heresies. All tha was very real to me. It seemed to have happened only the day before. It might occur again. There might be another Saint Bartholomew's night, and  poor little me would be slaughtered in my nightie and my body would be thrown out of the window, as had happened to the noble Admiral de Coligny.
 (私自身の場合を例として取り上げよう。私はプロテスタントが極めて有力な国のそのまたプロテスタントの中心部で成長した。私は12歳ぐらいになるまでカトリックの人々とあったことがなかった。それで、私は彼らと会った時にとても居心地の悪い思いを感じた。私は少し怖かったのである。私はアルバ公がオランダの人々がルター派やカルヴァン派の異端であることをやめさせようとしたときに、スペインの異端審問によって火焙りにされたり、首をくくられたり、四つ裂きにされたりした何千人もの人々の物語を知っていた。そのすべてが私にとってとても現実的なものであった。それはつい前日に起きたことのように思われた。それはまた起きるかもしれなかった。もう一度聖バルトロメオの夜の(虐殺)が起きて、哀れな子どもの私は寝巻のまま虐殺され、私の死体は窓から投げ捨てられるかもしれないと思ったのである。あの高貴なコリニー提督の身に起きたように。) ルーンはオランダのロッテルダムの出身であり、この本の冒頭にあるロッテルダムの教会の塔に昇った経験のように、学校教育を通じてというよりも、塔の番人やその他自分の周辺にいる歴史に詳しい人々との交流を通じて、オランダの独立とその背景としての宗教改革の歴史を学び取ったのである。

 Much later I went to live for a number of years ina Catholic country. I found the people much plesanter and much more tolerant and quite as intelligent as my former countrymen. To my great surprise, I began to discover there was a Catholic side to the Reformation, quite as much as a Protestant.
(ずっと後になって、私は長い間、あるカトリックの国で暮らすことになった。私はその国の人々がはるかに楽しげで、はるかに寛容で、そして私のもとの国の人々と同じくらいに頭がいいことを発見した。大変驚いたことに、私はプロテスタントの場合とまったく同様に、宗教改革についてのカトリック側の見方というものがあることを発見し始めたのである。)

 Of course the good people of the sixteenth and seventeenth centuries, who actually lived through the Reformation, did not see things that way. They were always right and their enemy was always wrong. It was a question of hang or be hanged, and both sides preferred to do the hanging. Which was no more than human and for which they deserve no blame.
(もちろん、実際に宗教改革の中を生きていた16世紀と17世紀の善良な人々は、物事をそんな風には見なかった。彼らは常に正しく、かれらの敵は常に間違っていた。それは相手を絞首刑にするか、自分が絞首刑にされるかの問題であった。そして、どちらの側も相手を絞首刑にする方が好きだった。どちらが人間的かとか、それが当然のことであるのかというようなことは問題にならなかった。)

 ルーンは歴史の流れが、大きな振り子のように、前進と後退を繰り返していると、この前の方で述べているのだが、欧米の人々が問題にしている紛争の焦点がキリスト教の中のカトリックとプロテスタントの対立から、キリスト教(あるいは、のようなもの)と、イスラム教(あるいは、のようなもの)の対立に移っているということは言えるかもしれない。最近出版された祝田秀全『銀の世界史』(ちくま新書)には、江戸時代の初めごろの東アジアの情勢をめぐり、明はカトリックを受け入れて、スペイン、ポルトガルとの結びつきを強めようとしたのに対し、徳川家康はプロテスタントのイングランド、オランダとの貿易を推進しようとしたというようなことが書かれている。宗教改革は、ヨーロッパだけの出来事ではなく、グローバルな影響力を持っていた――日本にもその影響が及んだというのである。同じようなことは、現代にも言えそうだが、相互理解の努力なしに、自分たちは正しく、敵は常に間違っていると決めつける――思うだけならまだしも、行動に移す――ことが多くなってくると、振り子の揺れどころの話ではなくなってくるかもしれない。
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宗教というもの

最後のあたりに「相互理解の努力なしに、自分たちは正しく、敵は常に間違っていると決めつける――思うだけならまだしも、行動に移す――ことが多くなってくると、振り子の揺れどころの話ではなくなってくるかもしれない。」とありますが、本気の仏教徒(道元流の仏教)だった私の経験から、いくつか言わせていただきたい。
①本気の宗教信徒は自分の信ずる宗教が最高のもので唯一信じ行ずるに値するものだという信念を持つ。つまり、相互理解というのが、相互に十分認め合うという意味なら相互理解などあり得ないと言える。これは努力してどうなるものでもない。洗脳されてこその宗教なのだから。
②他宗教信者を「敵」とまで言うのは宗教の本質ではない。相手にしないだけで、相手を無きものにしたいという発想はない。
③「思うだけならまだしも、行動に移すことになってくると」とあるが、「行動に移す」とはどういうことか?他宗教の異教徒を「間違っていると思うだけならまだしも、」「行動に移す」というと、普通には「お前ら間違ってるよ」と言ったり書いたりすることだと考えられる。これが、トラブルのもとになる可能性は否定できないが、言論表現の自由として寛容であるべきだと思う。シャルリー・エブド事件に関して言えば、ああいう宗教信者を逆なでする行為は慎むべきであり、宗教批判は、相手を気遣った上でするものだとは思う。④イスラームは、この宗教の創始者ムハンマドが自ら武闘によって自宗教を広めた実績があり、神アラーがこのことを積極的に勧めているのだから、ムスリムの中でも本気のムスリムは現代においても怖いものがある。多くのムスリムはいい加減で、本気ではないから怖くはないのである。
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