日記抄(9月2日~8日)

9月8日(木)曇り、昼過ぎから雨が降り出したかと思ったら、降りやんで青空がのぞく。変わりやすい空模様が続く。

 9月2日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、その他:
9月2日
 『朝日』朝刊で鷲田清一さんが担当している「折々の言葉」というコラムで、吉本隆明の「『なんのために』人間は生きるかという問い…を拒否することが<生きる>ということの現実性だというだけです」という言葉が引用されていた。哲学専攻ではない私が、「倫理・哲学」という科目を担当することになったときに、学校の校長が「生き方の基本的なことを教えればいいのです」というようなことを言ったのを記憶している。学校の授業というのは、意図的、計画的なものであり、人生のかなりの部分は偶然から出来上がっている。学校の授業を通して「生き方」を教えるというのは土台、無理な話である。

 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Talk the Talk with Heather Howard"のコーナーで、ヘザーさんがいったこと:
I get a lot of enjoyment out of finding the right way to express things in the writing I do for work, for example. It's like a puzzle and I'm looking for the right piece. Some great expressions in English don't have an easy parallel in Japanese, and vice versa. I get a real feeling of accomplishment when I manage to find a smooth conversion. If we find that kind of fun in our jobs, whatever they are, going to work feels much less like an obligation.
(例えば、仕事で文章を書いている時に適切な表現方法を見つけることは、私の大きな喜びです。それはパズルと同じようなもので、正しいピースを探しているのです。英語の素晴らしい表現の中には、簡単な類似の日本語がないものがあり、その逆の場合もあります。しっくりくる表現に何とか置き換えられた時には、心からの達成感を覚えます。どんな仕事であっても、この種の楽しみを見出せば、仕事に行くことを義務のようにはあまり感じなくなります。)

9月3日
 横浜FCはアウェーでV・ファーレン長崎を2-1で破る。

9月4日
 NHKラジオ「攻略!英語リスニング」は”Octopus"(タコ)を話題として取り上げた。
The octopus, a mollusk, has the most complex brain of all invertebrates and is one of the most intelligent animals of land or sea.
(タコは、軟体動物で、無脊椎動物の中では脳が一番発達している。そして陸や海に住む動物の中でももっとも知能が高い部類に入る。) 自分の体の色を周囲の色と同じにカムフラージュすることができるが、この能力をほかのタコとのメッセージのやり取りや、敵かもしれない相手を威嚇するためにも使っている。タコの墨のことを英語ではinkという。日本語では墨とインクは区別しているが、英語ではしていないということのようである。タコは道具も使えるし、学習能力があるという証拠もあるという。
They have three hearts, a special kind of blood, and exceptional eysight.
(心臓は3つあり、特殊な血液が流れていて、とても目がいい。)
タコを見る機会があれば、よく見た方がいい。
The octopus might be the closest you get to seeing what an alien life form looks like.
(タコは宇宙人に一番近いのかもしれない。)
 昔はタコのような火星人がよく描かれたものだが、もっと遠くにタコのような宇宙人がいないとも限らないという話である。

 Eテレ「日本の話芸」は三遊亭小遊三師匠の「付き馬」。吉原の遊郭で遊んだ挙句金を払わない客についていった付き馬(金の取り立てについてくる店の従業員)が、逃げられた上に、特大の早桶を押し付けられる。馬が、馬を引っ張って帰るという話。こういう噺ができるほどに吉原の遊郭の取り立ては嫌がられたということであろうか(だったら、遊びに行かなければよいのである)。「居残り佐平治」と似ているが、こちらの方が客の振る舞いが陰湿に思える。好きな噺ではないが、小遊三師匠の話しぶりは、なかなか良かった。

9月5日
 『朝日』の朝刊は「今こそ 大野晋」という記事で、国語学者・大野の仕事を回顧している。彼が言葉の意味に徹底的にこだわったこと、最近の言葉遣いの中で語彙が限定されてきていることを憂慮していたことなどが取り上げられていたが、再評価すべき業績は他にもいろいろあるだろう。(大野の自伝の中に、有坂秀世にあったとき、大野が構想していた研究を有坂が否定したのでやめたという話が出てきたが、そのあたり、もっと掘り下げてみる必要があるかもしれない。)

 NHK「ラジオ英会話」に
I lost my balance on the escalator at the mall. (モールのエスカレーターでバランスを失った。)
という表現が出てきたが、年を取ってくると、そういうことがいつ起きても不思議ではなくなる。私もエスカレーターでバランスを失ったことがあったが、大事なかったのは幸いであった。

9月6日
 アジア諸国歴訪中の安倍首相が中国からラオスに到着。
 ラオスというと思い出すのは、キセルの火皿と吸い口とを接続する竹管を羅宇(らお、らうとも)といったことで、これはラオスから渡来した黒斑竹が主として使われていたことによるものである。今ではキセルを使わずに、紙巻きたばこを吸う、いや、タバコ自体を吸う人が少なくなってしまって、忘れられかけているが、むかしは羅宇屋といって街を歩きながら、キセルの羅宇のすげ替えを商売とする人がいた。

 紫檀楼古喜という狂歌の名人。もとは立派な旦那衆だったが、店を潰して裏長屋住まい。それでも狂歌はやめずに、まいにち市中を「羅宇屋ァ、きせる」と羅宇のすげ替えに歩いていた。ある冬の夕方、両国薬研堀の小奇麗な家ですげ替えを頼まれ仕事をしていると、そこの新造(若奥さん)と女中が自分のことを「汚い爺」といっているのを小耳にはさみ、
牛若の御子孫なるか御新造の吾をむさしと思ひ給ひて
と詠んで渡す。新造も狂歌の心得があったので、
弁慶と見しはひが目かすげ替への才槌もあり鋸もあり
と返歌をした。古喜もこの才知に感心して、さらに
弁慶にあらねど腕の万力は キセルの首を抜くばかりなり 紫檀楼
と返す。これを見た新造はびっくりして、恐縮して、この寒い中、風邪などひかないようにと綿入れの羽織を渡そうとする。「いや、御新造、その御心配には及びません。あたしはこの荷さえ背負っていれば、ほれ、羽織ゃ~着てる(羅宇屋ァ~きせる~)」
というのが落語の「紫檀楼古喜」。8代目の林家正蔵(彦六)と、三遊亭圓生が演じたが、私には、正蔵の演じたものの方が懐かしく思われる。

 「一口にいえば、紫檀楼古喜という人はたいへん苦労のない、やりたいだけのことをやって一生を終えた幸せな江戸人である。近世文芸や狂歌の研究家でも紫檀楼古喜という名を知っている人は少ない。しかし、その反面、落語ファンなら、「ああ、あの羅宇屋のおじさん」とすぐ思い出してくれることだろう。名前ばかりでなく、袖口や襟がピカピカ光った着物や飄々とした歩きぶり、少し皮肉な口の利き方まで目の辺りに思い浮かべてくれることだろう。古喜老人にとっては、江戸文学史に不朽の名を留めなくとも、庶民の思い出の中にいつまでも残っていた方がむしろ本懐に違いない。どんなに生活は貧しくとも名利にはそっぽを向いて、長年磨き上げた自分の生活を静かに守りつづけることが江戸市井の風流精神だからである。」(永井啓夫/矢野誠一『落語手帖』、131ページに引用)

9月7日
 NHKラジオ「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」は”Lazy, lazy family"という、無精者の親子の噺。自分の家が火事になっても、消火が面倒くさいといっているうちに焼け死んだ親子が、閻魔様の前に引き出されて、次は人間ではなく、動物に生まれ変わることになるが、どんな動物になりたいか希望があれば申し出ろと言われて、親子ともに口の近くに白い点のある黒猫になりたいという。ネズミが点をご飯粒と間違えて口の中に飛び込んでくるだろうというのである。この噺、明治時代の三遊亭円遊の速記本の中に出ていたはずだが、起源はもっと古いのであろう。ステテコ踊りで一世を風靡し、その一方で鼻が大きいので、鼻の円遊と言われた円遊であるが、彼の落語の中では生まれ変わったら象になると予言されている。

 横浜FCはアウェーでロアッソ熊本を1-0で破り、順位を8位に上げた。

9月8日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」は昨日から”Pay It Forward" (恩送り)というビニエットを放送している。
It's doing good deeds for others without asking for anything in return. Instead the recipient is asked to do a good turn for someone else in need.
(〔恩送りとは〕何の見返りも求めることなく、他の人のためによい行いをすることです。善意を受けた人は恩返しをする代わりに、困っている他の人のために良いことをするよう、求められます。)
登場人物の一人は言う。
But I want to do it in a way that doesn't draw attention to myself.
(でも、目立たないように行いたいのです。)
 これは、近世の東アジア世界に広がっていた「陰徳思想」と通じるものがあるような気がして、興味深かった。明治期の落語の速記本などを読んでいると、この時代までの日本人の道徳観はこの「陰徳思想」の影響を強く受けていたように思われるからである。
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