人間からの離脱

9月4日(日)曇り、一時晴れ

 最近、梅棹忠夫の著作を読み返していて、彼の議論の先見性や普遍性を再認識する一方で、予想が外れている部分もあることを見つけてなんとなく安心しているところである。そう言う読書の中で梅棹と湯川秀樹の対談をまとめた『人間にとって科学とはなにか』(中公新書)に出会い、いろいろと考えさせられた。1967年に初版が出て、私の手元にあるのは1993年に出た第33版であるから、かなり多くの人に読まれた書物らしい。
 最初に梅棹さんのことを書いたのだが、この書物に限って言う限り、主役は湯川さんの方である。湯川さんは1907(明治40)年生まれであるから、単純に計算して、1967年には60歳、梅棹さんは1920(大正9)年生まれであるから、47歳ということになる。このころ、昭和生まれの私はまだ大学の学生であった(今や対談が行なわれた時の御二方の年齢をはるかに超えてしまった)。明治生まれと大正生まれの学者の対談を、昭和生まれが読んだことになるが、湯川さんがこの対談の中で問題にしているのは、そういう時間の推移の中で、科学が人間を置き去りにして、限りない巨大化・精密化の道をたどり始めているということなのである。

 書物の中の湯川さんの発言を引用しながら説明すると、数学にせよ、物理学にせよ、日常の経験的な世界を忠実に記述する学問として発展してきた。ところが、数学においては非ユークリッド幾何学、物理学においては量子論が現れて、経験科学からの離脱が始まった。量子論を始めたプランクが好んで使った言葉が「人間からの離脱」という言葉である。
 「…自然界は19世紀までの段階では、それほど奇妙なものではなかった。ところが量子論というようなものは、実に奇妙なものなんですね。もしも、彼[プランク]あるいはほかのだれかが、実験で得られた事実を、是が非でも説明しようと努力しなかったならば、そんなおかしな考え方は、出てこなかったに決まっている、そういう性質のものです。老子の最初に「道の道とすべきは常の道に非ず」とありますが、これを曲解すれば――、あるいは正解かも知れんが――20世紀の物理によくあてはまる。」(7~8ページ)

 もともと物理学は「人間の感覚や経験からそう遠くない現象、人間を包んでいる普通の環境とそう違っていない状況で経験しうる現象」(6ページ)を扱っていたのが、そうではなくなったというのである。夏目漱石の『三四郎』に登場する野々宮宗八は寺田寅彦をモデルにしているというのが(本人は否定していたそうだが)一般的な理解である。それで、中川信夫監督の映画『夏目漱石の三四郎』(1955、新東宝)を見ていたら、野々宮が自分は朝起きてから、夜寝る前に人間が出会うさまざまな現象を解明することを心掛けているというようなセリフを言うくだりがあったことを思い出した。原作、あるいは寺田の随筆の中に、このような言明があるかもしれないと思って探しているのだが、今のところ見つけていない。ただ、寺田の業績をまとめた本の中に、同じような考えが記されていたことを記憶している。とにかく、湯川さんが物理学を始めたころは、この寺田のような考え方が一般的であったのではないか。誰でも、日常の生活の中で直面するような様々な不思議に取り組むのが物理学だという寺田の考えは、ごく健全なものである。だが、物理学はそこから離れて、独自の道を歩み始めたと湯川さんは認識している。

 そこで、どうしても思い出すのが、京都大学の理学部で湯川さんの先輩であり、日本で初めて量子論の研究を始めた田村松平先生のことである。私が京都大学に入学した時に、教養部の物理学の授業を受け持っていたのが、田村先生であった。先生と呼ぶのは、授業を聴講して、可だったか良だったかは忘れたが、単位を頂いたからである。先生は、私のようなわけのわからない、そのくせ生意気な文科系の学生向けの物理学の授業を開講される一方で、理科系の学生相手には、中西太さんが仰木彬監督の下でヘッドコーチをしていたように、湯川さんの研究グループの代貸し格として指導に当たられ、物理学の教科書も何冊か書かれていたはずである。

 8月に亡くなられた作家の真継伸彦さんは、京都大学の卒業生で、学生時代の経験を基にした半自伝的な小説『青空』を『毎日新聞』に連載されていたことがある(後に単行本になった)が、その中に、田村先生のことが村田という名で出てくる。村田先生の物理学の試験問題というのが「物理学と天皇制」ということで、点数については自己採点で好きな点数を書き込むと、それが成績表にそのまま記載されたという話である。真継さんの小説以外にも、同じような話をする先輩がいるので、多分、本当のことなのであろう。そして、私は長いこと、この話を一つの笑い話として記憶してきた。(昔務めていた学校に、京都大学の理学部を卒業された先生がいて、入学早々、田村先生の授業を聴きに行ったが、一つもわからない。やっとわかったことは、前の年の講義が終わらずに、その続きを話しているということであった――という話を懐かしそうにされていた。そういうたぐいの逸話の多い先生である。)

 しかし考えると、田村先生は日本における物理学の「人間からの離脱」の口火を切られた方である。そしてその一方で、田村先生や坂田昌一は違うらしいのだが、京都大学の物理学教室の少なからぬ関係者が、実験、理論の別なく太平洋戦争中に海軍の原子爆弾の開発計画に携わったようなのである。そう考えると、「天皇制」が出てくるのは飛躍しすぎであったかもしれないが、物理学の人間的、あるいは社会的な意義について、学生に考えさせるというのは、重要な問いかけであったと思うのである。
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はじめまして

たんたん日記を楽しみにしている者です。

私は1971年に京大に入学したので、湯川秀樹も田村松平も退職後だったと思います。田村松平の話は教養部、学部時代に聞いたことがなかったのですが、1970年代の終わり頃、約10年上の先輩と話ていた際、田村松平のことがでてきました。その名前も知らなかったので、記憶に残りました。
ここで田村松平の話が出て、懐かしさを感じています。
理学部でしたので、教養部時代に履修した物理や数学は専門の基礎になるようなものばかりでした。井上健だったか湯川秀樹の弟子が教養部の教授で科学史のような授業を行っていたようでしたが、残念ながら受講せず、今となっては残念な気持ちがあります。

3回生になって専攻は地球物理にしました。数学や物理は天才のやるような分野に思え、もっと泥臭い分野のほうが身に合っていると思えましたから。

非ユークリッド幾何や量子論が経験科学からの離脱との話、もっともなことかもしれません。一般的な経験から離脱して構築する世界像かもしれませんが、観測、実験という方法で、再度また我々の感覚へと還元されるものであろうと思います。
最新の自然観が作り上げている自然像、世界像は究極的には我々の感覚に還元されるものと思うのです。そして我々の感覚のレベル(時代とともに変化している)で納得しえるものが<正しい>世界観として残っていくのでしょう。観測手段が我々の感覚に訴えるレベルの違いで、天動説、地動説、時間軸が不変とされた世界像(非相対論的世界)、相対論的世界像、量子論的世界・・・・

さてこれらの世界像は我々人間の感覚に基づいたものだと思わざるをえません。基となっている感覚が異なれば違った世界像になるでしょう。
嗅覚に優れた犬は人間と異なった世界像を作り上げているでしょうし、聴覚に優れたコウモリはまた別の世界像を作っているはずです。またミミズの世界像もあるでしょう。人間の作っている世界像が唯一無二のものでないでしょう。そしてそれらの世界像に、はたして優劣があるのでしょうか。

地球外生命体の存在の可能性が話題になります。8月にも地球から4光年離れた恒星に水の存在しうる惑星があるらしいと新聞に出ていました。
地球外生命体についての議論で暗黙の前提になっているのが、水が存在し、酸素が存在し、地球のような惑星、そして人間のような存在云々。
我々人間と同じような感覚器官を持ち、それを基にして構築している世界像は我々の世界像と同じようなものかもしれません。そうなれば、人間とその生命体との間に接点をつけることは可能でしょう。しかし人間と同じような感覚をもった生命体ばかりではないでしょう。そのような生命体では人間と異なる世界像をもっているのですから、我々人間と共通の接点が無いと考えられます。
人間が唯一無二の存在とうぬぼれている議論としか思えません。

妄想のようなお話を書きました。
これからもよろしくお願いします。
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