人はパンだけで生きるものではない

4月18日(木)晴れ

 本日放送された「まいにちイタリア語」応用編の中に、non si vive di solo pane という聖書の一節が出てきた。これを放送では「人はパンのみにて生くるにあらず」と文語訳していたが、新共同訳では「人はパンだけで生きるものではない」と訳されている。

 ヨハネから洗礼を受けたイエスは荒野をさまよい、断食を続けるうちに空腹になる。と、悪魔が現れて、神の子なら石をパンに変えてみろと誘惑する。そこでイエスが答える。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイによる福音書4-4) 「ルカによる福音書」4-4にもほぼ同じような記述がある。

 「書いてある」としか書かれていないが、英訳を見ると、
"The scripture says, 'Human beings cannot live on bread alone, but need every word that God speaks.'"
とある。scriptureは「経典」とか「聖典」とかいう意味である。ここでScriptureとあれば、この場合は『旧約聖書』のことであるが、小文字になっているのはどういうことであろうか。大文字と小文字で意味が違ってくるので悩むところである。

 ヨーロッパの言語は皆同じようなものだと思っている人が少なくないが、同じヨーロッパの言語であるイタリア語訳と英訳とをくらべてみると、この両方の言語への翻訳がかなり違うことに気づくはずである。これはそれぞれの言語が歴史的に形成されてきた過程で、それぞれの特有の表現を発展させてきた結果である。聖書はキリスト教社会で重要な文献であるから、その翻訳には一方で印象の強い、簡明な表現が求められ、その一方で分かりやすさも求められる。ギリシア語の原典の単語を置き換えただけの単なる直訳では済まないはずである。そういうことで、たとえば「人」がイタリア語訳では「単数」で、しかも省略されている(viveという動詞の形で三人称単数ということがわかる)のに対し、英語ではhuman beingsと「複数」になっているというようなことが起きている。

 言葉の意味や文法的な用法をゆっくり考えながら勉強するというやり方はもちろん万能ではない。特に社会の急速な変化に対応することは難しいので実用的ではないかもしれないだろう。しかし学習方法というのはそれぞれの長短をもっているのである。キリスト教が文化の中に深く根をおろしている土地の言語を学ぶ場合に、その土地の言語で書かれた聖書を読むことが大いに役立つことは確かである。 
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