ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(1-1)

8月30日(火)雨が降ったりやんだり、午後になって晴れ間が広がる。

万物を動かされる方の栄光は
全宇宙をあまねく貫き、その反射は
あるところでは強く、別なところでは弱く輝く。
(18ページ) 1300年4月13日の正午。ダンテはベアトリーチェとともに、煉獄山の頂の地上楽園にいる。
 宇宙全体(万物)を動かす運動の開始点である神の「栄光」とは、善と知と力が一体となった神的な光であって、通常の太陽を光源とする物理的な光ではない。神の栄光により、事物は存在の根拠を与えられる。そして神の栄光が創造した事物は、神の光を反射して輝き、初めて存在するのであるという。

その方の光をひときわ強く受ける天空のまっただ中に
私はいた、そして誰しもがその天空から降りると
語るすべも語る力も持たぬ事物を見た。
(同上) 『神曲』の世界では天国は、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天、原動天、至高天から構成されている。それぞれがどのような性格を持つのかは、それぞれの箇所で説明する。「その方の光をひときわ強く受ける天空」はそのうちの至高天を表している。ダンテは至高天に言ってきたと述べる。それは言語を超えた世界であるという。

なぜならその望みに近づくほど、
われらの知性はその中に深く入り込むため、
記憶がその後を追うことはできないからだ。
(同上) ダンテ自身の霊的部分は神が創造されたものであるので、至高天に遍在している神の中に「深く入り込」み、その結果として自分の見たものを地上に帰ったのちに再現することができなくなっているというのである。

それでも、聖なる王国について
わが記憶の中の宝にできた限りを
これより我が歌の題材としよう。
(18-19ページ)と、ダンテは天国で見聞きしたことを歌いあげることを宣言する。そして古典古代の叙事詩で詩人たちが詩の女神たちに霊感を与えてくれるように祈った例を踏まえて、詩の神であるアポロンに助けを求める。中世にはパルナッソス山には2つの峰があり、その1つにアポロンが、もう1つに詩の女神たちが住んでいるといわれていた。詩の女神たちは人間の知恵と能力を、アポロンは神の英知を象徴するので、ダンテはアポロンに祈るのである。異教の神にキリスト教の天国を描くための助けを祈るのは奇妙に思われるが、キリスト教と古典古代の文化との融合が意図されていると解釈しておこう。

 そしてダンテは、自分がベアトリーチェとともに煉獄山の頂上にある地上楽園に立って、地球の北半球が光に、南半球が闇におおわれている壮大な眺めを目にしていたことを思い出す。ここから彼は天空へと飛び立つのである。
その時に私はベアトリーチェが左側を
向き、太陽にじっと目を凝らされるのを見た。
鷲でさえこれほど鋭くそれを凝視したことはない。
(22ページ) 彼女に倣って、ダンテも太陽を見つめたが、
私には長くは耐えられなかった、しかし
まるで火の中から出てくる溶けた鉄さながらに、
それが辺りに火花を散らすのを見られぬほど短くもなかった。

すると突然、日の光に日の光が
加えられたように見えた、まるで全能なる方が
もう一つの太陽で空を飾られたかのように。
(23-24ページ)。ダンテはさらに、ベアトリーチェを見つめ続けるが、「彼女を見ているうちに私の内面は変容した」(24ページ)。ベアトリーチェを媒介にして神の光がダンテに伝えられ、ダンテ「超人化」(同上)するのである。

 まだこの時点でダンテは気づいていないのだが、ダンテは地球を離れ、天空へと飛翔を始めている。こうしてダンテの天国の旅が始まる。

 これまでに少なくとも2度、『神曲』に取り組んだのだが、2回とも、『天国篇』に入ったところで進めなくなって、全編を読まずに終わってしまった。『天国篇』は前2編に比べて、神学的・哲学的な思索が多く含まれ、それだけ難解であり、読みづらいが、原基晶さんの翻訳は、これまで私が呼んだ翻訳に比べるとわかりやすいし、解説も丁寧なので、何とか頑張って最後まで読み通そうと思っている。
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