スピオーネ

8月15日(月)曇り時々晴れ

 シネマヴェーラ渋谷で「映画史上の名作 15」特集上映から、『スピオーネ』と『ガリバー旅行記』の2本を見る。「映画史上の名作」シリーズでは随分いろいろな作品を見てきたが、少なくともこの2作品については、名作かどうかは議論が分かれるかもしれないが、映画史上、記憶されるべき作品であることは間違いない。この2作品は、8月18日(木)にも上映されるので、興味のある方はぜひ、見てください。

 『スピオーネ』は無声映画時代からトーキー初期にかけてドイツで活躍したオーストリア出身の監督フリッツ・ラング(Fritz Lang, 1890 - 1976)が1928年に制作した無声映画である。ただし、今回の上映はHDデジタル上映ということで、音楽がつけ加えられている。『シネマヴェーラ通信』167号によると上映時間は150分ということだが、145分とする資料もあるから、デジタル化で延びた部分があるということかもしれない。

 Spioneというのはドイツ語のSpion (=スパイ、諜報部員)の複数形であり、第一次世界大戦後のヨーロッパのどこかの国の情報部と、さまざまな破壊活動を行って国際的な平和をかく乱しようとする秘密組織との対決を描く。この映画が製作された1928年ごろは、まさにスパイの活動が活発化して、国際関係が緊張していたので、時代の雰囲気を読み取っての企画であった。なお、Spioneは標準的なドイツ語では、「シュピオーネ」と発音するはずである。

 要人が襲われたり、秘密書類が盗まれたりして、世論の非難を浴びているヨーロッパのある国の情報部の代表者は、得体のしれない敵との対決のために、敵方に顔がばれていないはずの情報部員326号(ヴィリー・フリッチュ)を起用する。代表者の部屋に入るなり、彼は職員の1人が隠しカメラを持っている(つまり、敵方のスパイである)ことを見抜く。敵は、情報部の内部にまで入り込んでいて、情報が筒抜けになっている。

 破壊活動の頂点にいるのは、ハッギ銀行の頭取であるハッギ(ルドルフ・クライン=ロッゲ)という人物である。彼は銀行の建物の中の隠し部屋を本拠にして、さまざまな指示を出す。(ルドルフ・クライン=ロッゲという俳優は、ラングの『ドクトル・マブゼ』シリーズでマブゼ博士を演じているので、わかる人にはわかる配役がされているのである。) 326号とハッギはともに変装の名手であって、両者の変装合戦も見ものの一つである。
 実は326号のことも、ハッギは知っていて、自分の部下であるソーニャ・バラニコヴァ(ゲルダ・マウルス)という亡命ロシア人の美しい女性を彼に近づける。ソーニャは指示されたように326号に近づくが、彼が自分の兄(帝政時代に処刑されたことが後でわかる)に似ていることから、恋心を抱いてしまう。326号もソーニャに惹かれるものを感じ、彼女の跡を追う。実は、ハッギもソーニャを恋していて、そのことから326号を消そうとする。

 秘密書類を盗んだ1人がイェルジッチ(字幕ではジェルシックになっていたが、Jellusicの最後のcの上に∨型の記号がついているので、多分ハンガリー系の名前ではないかと思う。ジェルシックの方が正しければ、チェコ人の可能性がある)という大佐であることに気付いた326号は彼の後を追う。しかし、そのこともハッギには筒抜けで、イェルジッチは粛清される。さらにマツモト(ルプ・ピック)という日本の外交官が登場したり、かれから秘密書類を盗み取ろうとハッギがキティ(リエン・ダイヤース)という女性を近づけたり、物語は複雑な展開をしていく。
 イェルジッチがオリエント急行で逃げるのを、326号が飛行機で追うくだりはヒッチコックや、イアン・フレミングの007を思い出させる。列車の場面はほかにも設定されているので、見てのお楽しみ。秘密書類を奪われたマツモトが切腹する場面があり(おそらくこのために、この映画は戦前の日本で上映されなかった)、その前後の画面の構成が表現主義的であるとPaul M. Jensen(1969), The Cinema of Fritz Lang という本には論じられている。なお、ラングには、『ハラキリ』(1919)という日本を舞台にした映画があるそうである。

 『シネマヴェーラ渋谷通信』には「複雑なストーリーをさばく見事な脚本、緊張感あふれる演出、豪華なセットが素晴らしい。近年評価が高まりラングの最高傑作という呼び声も高い一本」と記されているが、脚本は、この当時彼のパートナーであったテア・フォン・ハルボウ(Thea von Harbou, 1888 - 1954)の原作小説に基づいて、彼女とラングが共同執筆している。2人の協力関係はサイレント時代の1920年代に始まり、『死滅の谷』(1921)、『ドクトル・マブゼ 賭博者』(1922)、『ニーベルンゲンの歌』(1924)、『メトロポリス』(1926)、トーキー初期の『M』(1931)と続くが、ナチスが台頭してくると、ハルボウはその動きを支持するようになり、1932年に2人は離婚、それでも1933年の『ドクトル・マブゼ』では両者の協力関係は続いている。ユダヤ人であったラングはフランスに逃れて、『リリオム』(1934)を作り、さらにアメリカへと渡る。
 アメリカでラングは『激怒』(1936)、『暗黒街の弾痕』(1937)、『マン・ハント』(1941)などの作品を監督、アメリカにわたってからの彼の作品についてはピーター・ボグダノヴィッチがPeter Bogdanovich (1967), Fritz Lang in Americaという本を書いている。ジャン=リュック・ゴダールなど『カイエ・デュ・シネマ』から出発した映画人たちが評価したのはアメリカ時代のラングの作品であり、その結果、1963年に製作されたゴダールの『軽蔑』にラングが出演することになった。この映画の中でゴダール自身がラングの助監督の役柄を演じているのが興味深い。

 実は、すでに引用した『通信』の文章にもあるように、ドイツ時代のラングの映画はSF的な内容の作品が多いこともあって、豪華なセットを組んで作られているのだが、そういう映画の作り方は、ゴダールたちが否定したものではなかったのか、ロケーション撮影や即興演出を重視するというのが「ヌーヴェル・ヴァーグ」の基本的な映画作りの姿勢ではなかったのか…という疑問がある。ラングの映画作りが、彼の渡米をきっかけとしてどのように変化したのかを詳しく検討していかないと、この疑問は解けそうもないのだが、どうも私はアメリカにわたってからのラングの作品をあまり見ておらず、これからどの程度見ることができるのかわからないので、(私にとって)永遠の疑問になるかもしれない。

 それからラングとハルボウの関係であるが、1958年にラングはドイツに戻ってインドを舞台にした『大いなる神秘 第一部 王城の掟 第二部 情炎の砂漠』という映画を製作しているが、この原作者がハルボウである(すでにこの時には、彼女は事故死していた)。だから、これも一筋縄ではいかない関係のようだ。
 映画の中でハッギを裏切って326号に協力するソーニャを演じたゲルダ・マウルス(Gerda Maurus, 1903 - 1968)はこれがデビュー作であったが、その後、ナチス時代にも活躍、戦後も西ドイツの映画やテレビに脇役として出演していたらしい。彼女はオーストリア出身だが、クロアチア人の血を引いているので、ロシア人の役を演じたのであろう。ハッギに忠実な女スパイを演じたリエン・ダイヤースはオランダの女優だそうで、第二次世界大戦中に英国、さらにアメリカに移住したが、その際に女優をやめて、その後の詳しい消息はよく分からないそうである。

 ラングと彼の作品に興味をもって、作品を見たり、文献を集めたりしていたのはずいぶん古い昔のことなので、情報の偏りがあるかもしれない。いろいろ、好き勝手に書き散らしたが、映画史的に見ても、また映画自体についてみても、興味ある作品であることは間違いない。一見をお勧めしたい映画である。
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